アフリカンアート展開催

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アフリカンアート展

ジンバブエの子供達がまた、6月にやってくる。
とても可愛い子供たち。アフリカの伝統音楽で多くの方々と交流する公演は素晴らしい。
ジャナグルアートセンターの代表の高橋朋子さんは大変エネルギッシュな方です。
ジンバブエの子供達の生活支援を現地で長年続けています。
このアートセンターで伝統楽器や音楽を学んだ子供達が全国の小学校や公共の場所で日本ツアーを行います。
それに先駆け、高橋さんが美術工芸品を展示販売しますので、ぜひお立ち寄りを!

神戸 高架下モトコータウン2 Pocket美術函 モトコー
3月20日から31日まで
12時ー19時(最終日17時)

いのちがいちばん輝く日

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ドキュメンタリー映画「いのちがいちばん輝く日」

今日は、立花病院ホスピス病棟へ行った。2ヶ月に一度位は来ていて、今日は山水野のママと一緒。美味しいチジミを焼いてくれた。
懐かしい歌や相変わらずのてじょんのテンション高いお笑いの進行で、車椅子やベッドでフロアに出てきてくれた方々と、目の前で音を奏で、歌う。

そもそも私もテジョンも親をホスピスで送った。立花病院はその時からのおつきあいだ。
ここの看護師さんたちは、明るく、気さくで飾り気がない。担当医の先生は、本当に心優しいし、病棟全体が堅苦しさもない。

そして、看護師さんから、この映画を教えてもらった。七芸では終了したが、シアターセブンでは3月23日から公開される。
この映画のダイジェスト版を見ていて、自分の時のことを思い出した。人生の仕上げに出会う人々が素晴らしい人であればいいな。
滋賀県近江八幡のホスピス「希望館」のドキュメンタリー。
公式サイトはいのちがいちばん輝く日公式サイト

今日は、3・11。多くの方々の命の奪われ方はむごいことだった。人は、明日どのようになるかわからないけれど、少なくとも自分は死がそんなに遠くのものでもないといつも感じる。
それは、ホスピスの患者さんたちに出会えたから。感謝しています。
いつも今の生のために精一杯怠けないようにしようとおもいます。

3・11 何を知り、何を感じ、何ができるか

touhoku2011
仙台へ向かう飛行機から
2011年11月

2年を迎える明日に向けて、報道で知ること。TVで見ること。検証の中身を知ること。
多くの人が支援に入り、多くの悲しみに接したことは1つの前に進むためのどうしても必要な一歩だったろう。私たちが立った、11月の東北は荒々しい大地がむき出してあったり、取り残された建物が強烈を目に焼きつけた。

昨年の訪問では、仮設生活を支援する色んな方々の努力を知ったし、自治組織も、ふんばる人々の気概も感じてきた。

このところの報道は、圧倒的な津波の映像を流すことはやめたが、その次にあぶりだされてきたことは、地域間格差だったり、結局全然進まない生活安定など問題が山積する現実をとらえたものが多い。実際そうだから。
原発の検証も新たな事実が解析されたりして、東電の技術力がないというか、人間の技術で扱うことがあまりある原発という妖怪の呪縛からまだ逃れられないことに怒りを覚える。

放射性物質は、日々放たれる。
ヒバクするものが日々増える。

では何ができるか。
答えはそれぞれ考えてください。私もいつも悩みの中にいます。
今年はもう少し、回数行きたいと思っているけど。

「かぞくのくに」素晴らしかった!

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多くの賞を取った、ヤン・ヨンヒ監督劇映画「 かぞくのくに」

映画「かぞくのくに」が大阪シネマフェスティバルで、監督賞、主演男優賞をとり、映画上映、監督トークショーがあるということや、6月公開の田端義男のドキュメンタリー映画「オース バタヤン」が先行上映されるので、楽しみにしていた。

この映画は、素晴しかった。と共に、今は解決のつかない理不尽な別れに涙が出た。
監督の実話に基づいた物語。1970年代北朝鮮への帰国事業で北に渡った兄が、病気療養のため3ヶ月という期限付きで日本での治療を許されて帰ってきたときのお話。
妹は、監督の分身。役者の安藤さくらさんが見せる苛立ち、愛、切なさ。兄役の井浦新さんが男優賞を取ったが、兄の葛藤、外に出せない感情を訴える。

監視付きの滞在。妹へのスパイの誘い。おいてきた妻と家族。妹は、大嫌いな国だけどかぞくの住む国である北に対しどうしようもない行き止まりの感情を持っている。

監督は、家族のことをドキュメンタリー映画で撮っていたが今回は、初めての劇映画。ドキュメンタリーで語ることのなかった、本当の自分の家族たちに役者を通じて本当の心の言葉を語らせることができたとご本人が語っていた。

日本人が知らない、在日の家族の悲しみ。監督は、これからも北朝鮮に入国禁止になろうが映画の中で自分の事を表現していくという。勇気ある、野心ある、美しい女性にエールをおくる。
家族の分断を解くには、拉致問題の解決も含めて国交が正しく行われていかなくてはダメだろう。
困った国でも、そこに生きなくてはならない人の事を思うと、自由に行き来できるようにならなくては。

今日のトピックは、授賞式で松原智恵子さん、高橋恵子さんがあんまり美しくて驚いたこと。
井浦新さんは、背が高く、顔の小さい典型的な男前でした。

そうそう、バタやんも良かったー!

鷲ぬ鳥節

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サンニン(月桃)

八重山民謡で、石垣島はユーグレナモールの中に歌碑がある、鷲ぬ鳥節。
鷲のヒナがアコウの木で生まれ、飛び立つというおめでたい歌。
座開きの歌としてうたわれる。

 綾羽 ば 生らしょうり
 ぶぃる羽 ば 産だしょうり
 バスィヌトゥルィヤウ ニガユナバスィ

 正月ぬ すぃとぅむでぃ
 元日ぬ 朝ぱな
 バスィヌトゥルィヤウ ニガユナバスィ

 東かい 飛ぶぃつぃけ
 太陽ばかめ 舞いつぃけ
 バスィヌトゥルィヤウ ニガユナバスィ

この歌、ピアノで伴奏して歌ってみたら、メロディの美しさが、浮き上がってきた。
何とも言えず、美しく、まだ歌い込んでいないにもかかわらず、八重山の人達の反応を知りたい気持ちで、石垣島のお年寄りや、同世代の方々に聴いてもらった。
八重山で民謡を歌うのはハードルが高い。歌の島なのだ。民謡の名手はどこにでもいる。

けれど、概ね好評。ナミイおばあは、これは「鷲ぬ鳥」かい?と不思議そう。
ナミさんのCDでも鷲ぬ鳥節は最初に歌われている。

鷲ぬ鳥を、三線で練習していた時には生まれなかった、ウタに対する思いが自分の音に乗っていくような気がする。

ナミさんと、歌い遊ぶ

浪サン
浪サン
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崎原公園の津波石 石灰石
明和大津波 慰霊碑前の石
明和大津波 慰霊碑前の石

ヒルギ
ヒルギ

またまた、石垣へ行ってきた。
ケセランぱさらんは、下のような荷物をかかえて、石垣島へ行った。
nimotu

ナミさんと歌い遊ぶために、寒い寒い早朝の関空から気温2度の旅立ち。石垣に着けば楽園、25度で、どんどん着ているものを脱いでいき、ついに半そででちょうど良い感じとなった。

楽器もって遊びに行くからね~と言ったので、浪サンも一緒に石垣の「聖紫花の杜」デイサービスと、「太陽の里」デイサービスで音曲パラダイス。浪サンもゲストで一杯歌ってくれた。利用者さんも、浪サンが出るとやんやの拍手!有名なおばあが三線弾いてみんなの好きな歌を歌ってくれる。大盛り上がりで、ケセランぱさらんも自分の音を重ねていく。大阪とおんなじノリで、演っていて、笑顔をみることができて幸せでした。

連日、色々な方と縁を結んでいただく。おばあの親戚のお家に昨年に引き続きおじゃまし、宴会をさせていただく。そこで聴く、おじいのとらばーま。おばあが返し、若いおばあがまた返す。合いの手を挟み、何度も何度も歌われる。とらばーま。
哀しい節でぐっと迫る。その思い。こうやって、八重山の人々は歌い遊ぶ。歌い生きる。生きる中に歌は生まれ、思いは歌にのせられ、仕事し恋をし・・・

翌日はまた、違うとらばーまを聴く。おばあは、三線をもったら人が雑談してようが、自分が何か話そうが、糸をずっと弾いて音がつづいていく。バックミュージックのようにならされる音。このように三線をさりげなく弾く人は見たこともない。
ここで昨日より若い、とらばーまを聴いた。いくつか決まった節もあるのだが、その解説をおばあはヤマトの言葉になおして説明してくれる。また、哀しく、また朗々としており昨日とは味わいが違う。けれど、そうやって、語り歌う八重山の人々のうたごごろには、感服する。息をするように、歌う。

ここには、ちっさい光った合成樹脂の円盤やスイッチをいれないと聞こえない歌ではない、生の声がある。何もなくても声がある。そして、浪サンのすばらしい、衰えを知らない三線がある。私たちが、演奏し出すと、そくざにちんだみをあわせてくる。
抜群の音感をもっており、知らないうちに伴奏に入ってくる。
「あんたなんかと、一緒にアコーディオンとやりたいな。」と言ってくれる浪サン。
一緒に島の歌や、ヤマトのお座敷歌、歌謡曲を歌い・弾き・遊んで夜はくれる。もはや12時も回った。次もいこか~!
結局、2時前頃に宿にへたりこむ。浪サンまったく、動じなくにこにこ、一緒に遊ぶ。
91歳。浪サン。素晴らしい!!

声も艶があって、高い声もでていたし、すごかった。
また、次に会える日を画策しなくちゃ。

そして、少し時間があったので、回った石垣島の津波の痕跡。
1771年明和の大津波が八重山地方を襲った。最高で80メートルを越える大津波で壊滅的な被害があったそうだ。その高さは全く想像もつかない。写真の大きな石灰石は、はるかな年月を感じさせるように、多くの植物に取り巻かれていた。巨石である。
その下の慰霊碑前の石は、海抜60メートル付近のもので、ここに逃げれば津波から逃れらるとその当時まわりに高いものが何もなかったので、ここから合図して、ここまで逃げろと大声で人を集めたそうだ。その石の裏手に慰霊の碑がある。近くで作業をしていたおじさんに、この碑が何故ここにあるのかを尋ねたら、丁寧に教えてくれた。ありがとうおじさん。

そして、下の写真は大好きなヒルギ。生命力を感じるマングローブだ。
また、旅は始まり。終る。さみしいな。また、行きたいな。

未だ終わらない差別

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CDのサインに応じてくださる、沢 知恵さんと、CD 「かかわらなければ」

ハンセン病問題講演会に行く。
テーマは「ハンセン病回復者と家族・遺族 ハンセン病問題の核心に迫る」
回復者の家族の方々の複雑な苦しみは、それぞれの家族状況によってあまりにも違う。そんな苦しみを今まで知らなかった。知る機会が少なかったせいでもあるが、想像することができなかったことも多い。

療養所に暮らす多くの方が家族から絶縁されていることは知識として知っていた。長島愛生園の資料館でも、手紙が残されているのを読んだ。なんて酷いと思っていた。けれど、故郷の親族たちは心から絶縁しているのでは無かったことを、今日 知った。一方からの視点だけで物事を考えてはいけなかった。
そうさせていたのは、私たちの生きる社会の差別感情で、家族の方々を追い込んでいたのは私たち。例えば、そのことから逃げ続けていた家族のパネラーのかた。決して誰にも言ってはならないという思いをずっと抱えて生きること。そうせざるを得ないのは、子孫にまで及ぶ結婚差別への恐怖だったり、墓参に行ってもぶつけられる心無い言葉。

ハンセン病療養所にいる方々の平均年齢は82歳という。日本の国が謝罪したのは2001年。
今はもう患者はいないので、療養所では後遺症で、体の機能が低下して介護の必要な高齢者の方々が生活しているという形だ。退所して生活しているかたも勿論沢山いらっしゃるが、密やかに暮らす方も多い。ご本人が亡くなられたら終わりなのか…。そうではない。子や孫までそれが続く。なくなる時にどなたに連絡を取るか?それを受け入れるかいれないか。

隠す必要が無い、そんな社会でないとダメだ。そうなるには、個人の集まりである社会、一人ずつの偏見やそのような忌み嫌うムードなど空気感を拒絶すること。そのような言葉や態度に同意しないで立ち向かうというエネルギーくらい持ちたい。彼らの苦しみの一カケラも背負ったとは言えないくらいだもの。

今日歌ってくれた 沢 知恵さん。久しぶりに聞かせていただいたけど。塔 和子さんの詩を歌い、朗読すると言葉が勢いづいて、迫ってくる。塔さんのかわりに詩が音になる瞬間、ポーンと胸に音の振動がやってきた。

沢知恵さんのサイトはこちら

週刊金曜日でウタのこと

週刊金曜日2月8日号
週刊金曜日2月8日号

昨日は、建国記念日。
定期購読している「週刊金曜日」が面白い対談を掲載していた。
写真の坂本龍一さんと一水会顧問の鈴木邦男さんとの対談。左右の論点から考えるということだけど、坂本さんは、リベラルだけど左に振り切っているとは思えない。どっちでもいいけど…

面白いのは、やはり音楽家なのであのウタの話。「君が代」についての議論。
鈴木さんいわく、国のウタを考えるとき明治政府は5つの曲を候補にもっていたそうだ。
その中でも、賛美歌っぽいものが一番好きだと、意外にもミッションスクールに行っていた鈴木さん。明治政府が日本的なモノを一掃して音楽の言語も日本語をしゃべらなくなった。と言う言い方で坂本さんが続けて語る。君が代も途中からドイツ人のエッケルトという人がつけた和音が和洋折衷的で中途半端と。そうかあ、このウタも純国産でないわけだ。

鈴木さんに至っては、右翼なのにこのウタが、他の国のように革命歌や軍歌でなく、歴史問題やら天皇制論やらワヤワヤと議論の対象になるから良いのだという。日本人が国民から募集してウタを作ったら、きっともっと危ないことになると考えてる。
実に、日本のことを考え愛してる。

日本で軍歌が多いのは、君が代が全然、勇ましい曲でなかったからだって。とても面白い。

ウタやハタを強制されるのは嫌なことだけど、初めからステレオタイプに考えないでこういうお話がどんな方々ともできるのがイイ。

第8回大阪アジアン映画祭プレイベント

3月8日より始まる大阪アジアン映画祭のプレイベントの情報を見つけて、楽しみにしている。

映画祭そのものも興味深いが、その前、3日に行われるプログラムは、2つの作品の上映とトークもある。

上映されるのは、

ベストテン第1位受賞記念上映(作品賞・監督賞:ヤン・ヨンヒ監督)
かぞくのくに
2012年/100分/配給:スターサンズ
監督・脚本:ヤン・ヨンヒ 撮影:戸田義久
出演:安藤サクラ、井浦新、ヤン・イクチュン、京野ことみ

北朝鮮から帰ってきた兄お話を、「ディア ピョンヤン」などドキュメンタリーで描いてきた監督 ヤン・ヨンヒさんが劇映画として撮った作品。。
映画の後の監督のトークも楽しみ。

もう一つが、

おおさかシネマフェスティバル特別プレミア上映
オース! バタヤン
2013年/95分/配給:アルタミラピクチャーズ 長編ドキュメンタリー
出演:田端義夫、浜村淳

なんと、93歳になったバタヤンこと、田端義男さんが、大阪は鶴橋の小学校で行ったコンサートのドキュメンタリー映画。
なんて魅力的なんでしょう。
浪さんとほぼ同い年やんか〜

いつからかこういう映画に惹かれるようになった。大手メジャー映画の夢の世界より現実を描いた問題の中に、自分を投影することの方が私にはたやすいということなのか…とも思う。
私がメジャー映画が楽しかった作品は「ロード オブ ザ リング」が最後なのか?これは原作の指輪物語も全巻読んで面白かったんだけど。この時、ヴィゴ・モーテンセンに恋をしました。あのアラゴルン。忘れられない。

けれど最近見た「レ ミゼラブル」には、どの登場人物にも自己投影が出来なかった。誰かの目になれず、俯瞰してるみたいに歴史絵巻を眺めていた感じだった。音楽は素晴らしいのだけど。やっぱり、変人なんだろな。そして全体にはキリスト教を強く感じた。
私は、仏教徒でもなく、神道もキリスト教もイスラム教もさらには、新しいキリスト教系神道系などどの宗教も信仰しない。
けど色んな信者の方とは仲良くお付き合いさせてもらっているが、神社でさえ行かない。そんな私は宗教の感性に触れると独特のものを感じてしまい、余計に色々いらんことを考えてしまうから感動から遠ざかるのかもしれない。

話がずれた。のでそのままずれる。
人はそれぞれ求めるものが違う。だから面白い。同じものや事に出会い、同じように感じる共有の楽しさがない訳ではないが、違う感性とその場に共存することで、さらなる刺激とワクワク感を得る方が私は好きだ。