第4回神戸ドキュメンタリー映画祭

神戸で、貴重なドキュメンタリー映画が上映される。

何度か観る機会を逃した映画、一度観て見たい映画、見たことがあるけれどもう一度見たい映画。
貴重な機会。

私は、観たかった映画がある。NHKのドキュメンタリー番組で「十九の春」の歌をルーツや変形、歴史、現代歌われている姿や、その意味を考察する番組があったのだが、そこに登場する一人の女性が歌うシーンが、あるドキュメンタリー映画の1シーンであることを知っていたから。

その映画は、「沖縄エロス外伝 モトシンカカランヌー 」。
モトシンカカランヌーとは、沖縄の言葉で、元手がかからない商売。60年代のコザ吉原の女性の仕事。
彼女の歌う「十九の春」は、別名「ジュリ小唄」と呼ばれていたそうだ。ジュリ=女郎。

ちなみに、NHKの番組では、デイサービスで歌う、ナミイおバアの十九の春もでてくる。

その他にもみたいものがが一杯。

詳細は、HPで http://kobe-eiga.net/kdff/
期間は、10月19日〜21日 10月26日〜28日

ご円? ご縁?

御金神社
御金神社 みかねと読む

9月29日土曜日。この日秋祭りにケセランぱさらんはお呼びが掛かり、京都烏丸御池の御金神社の子供みこしで練り歩き、直会でも歌ったり、しゃべったりさせていただきました。

あまりカミサマにはご縁のない私ですが。この神社は、お金のカミサマとして有名なパワースポットとして、知る人ぞ知る場所だそうです。ご縁ができるといいことがあるかもしれません。

東北2012その3

登米市の仮設住宅へ

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ここは、大手スーパーイオンの広大な跡地に300世帯もある大きな仮設住宅。
集会所も二つ。整体チームリーダー、はなはな整骨院院長も合流して別れて活動。

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ここも南三陸の沿岸部の方が多い。
楽笑さんの演芸に子供達は多いに突っ込み、元気に絡んでくれた。その後、私たちの番で「上を向いて歩こう」をみんなでうたった。前のおばちゃんが、ひとりぼっちの夜なんかかなしい…と目頭をおさえた。
終わったあとも、人なつっこい子供達は私におもちゃを持ってきたり、バルーンの剣で
突いてきたりと元気に遊んでいた。けれど、お世話していたおばさんの言葉は重かった。
一人の男の子を見て言った。「あら、今日は持ってないわ」その子は、この夏まで背中に大事なゲームやおもちゃをリュックに詰め、いつも背中にしょっていた。やっと、置いてこれるようになった。また、神戸の須磨に夏まで避難していた子がいた。仮設の子供達がずいぶん長い間、かかとをつけないでいた事。
心の中に、潰れそうなくらいの不安はを抱え、津波の恐怖からまだ開放されていない苦しみをもって。速く遊んでいてあっという間に時がすぎ、お家で暖かくすごせますように。失った大切な人たちの分もしっかり生きれますように。

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南三陸の沿岸部入谷仮設住宅へ 旧校舎の後ろにある

ここは、小さい仮設住宅
町会長さんの明るい楽しい雰囲気が、みんなを引っ張っている。

これで、8ヶ所の出張演奏は終わった。

傷は深いが、確実に変わりつつある東北。あまりにも美しい稲穂をつけた田んぼが延々、広がる。大きな大きな風景。
観光客を待っています。

私たちも、変わる姿をこれからも見続け、また、来ます。

東北2012 その2

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石巻市 スペース千人風呂

翌日、石巻市へ移動。
石巻 千人風呂は、今年7月にお風呂を提供することを終わりにし、コミュニティースペースとして再出発した。そこでのイベントとして我々の演芸・音曲パラダイスショーを迎えて下さった。ここは、津波被害で仮設に住んでいる人も、ふらっと立ち寄れる場所だ。
始まる前にも、近所のおばさんとおしゃべりした。「今日は何するんだい?変な格好だね~」などと笑ったり、前にやってたスナックの話を聞かせてくれた。

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石巻の名前の由来の 巻石 地盤沈下の影響で水没しかけている

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日和山を望む

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南三陸町 復興商店街
南三陸の沿岸部で流された店舗が再開している。

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美味しい海の幸が一杯のお店

東北2012 その1

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道の駅 そうま

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南相馬市 仮設住宅

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南相馬市 福寿園

9月21日、朝から伊丹空港を発ち仙台空港より、レンタカーでこのツアーを開始した。
メンバーは、演芸・音楽チーム 交遊亭楽笑さん ケセランぱさらん。そして健康体操チーム。
まずは、南相馬市をめざす。
南相馬市でお世話になる、南相馬いちばん星プロジェクトの星さんと待ち合わせ、社協でボランティア登録をすませ、仮設住宅へ。
仮設住宅では、集会所で色んな方が健康のお話をしたり、お茶をした孤立しないような工夫をしている。我々、演芸・音楽チームもまず1回目。賑やかしを…こちらの方々は控えめの感じ。

次は、かしま保育園におじゃまする、3・4・5歳児さんが60人ほど待っていてくれた。子供向けに、楽笑さんは、バルーンアート。私たちは、さんぽやアンパンマンなど、そして面白楽器を持ち出して一緒に遊ぶ。とても、ひとなつっこく、素直な子供たち。可愛かった~

けれど、園長先生からは、深刻な状況を聞く。目に見えない放射線の脅威は、影響を受けやすい子供たちに迫っている。園庭は、2回除染。プールは中止。外遊びは、保護者が許可した子供だけ、しかも時間制限付きだ。舞台の幕の後ろには、ぎっしり支援物資の水が積み上げてあった。ここでは、空気も水も安全ではない。給食は、百万円以上する食品の放射能検査器で1時間以上かけて食べ物を粉砕してからでないと測ることができない。検出基準以下ではあるけれど。

南相馬市も沿岸部は、津波被害が大きい。けれど、原発が未だ終息せず、この先の見通しが立たないという不安は人々を追い込んでしまう。星さんのような、再生のために踏ん張る人たちを応援したい。

今週末 東北へ再び


石巻千人風呂の宣伝チラシ!

今週末 東北へ向かう。今度も演芸・音楽チーム、整体・健康体操チームと一緒に南相馬市、石巻市、南三陸へ・・。楽しみ。

東北は、これから元気になっていく階段をすこしずつ上がらなくてはならない。大きくは厳しい状況が続いていると想像できる。けれど、人と人が繋がり少しずつお店が開店し、人が流れる。そんな小さい変化の積み重ねが沢山あつまればいいなと思う。
大阪から、ベタベタの大阪弁の変なやつらがやって来て、それが歓迎されるか否かはわからないけれど、全力で笑いと聴く人にも参加してもらう音楽を振りまいてくるつもりだ!

福島県南相馬市では、「南相馬いちばん星プロジェクト」の星さんのお世話になり保育園やデイ、仮設住宅を訪問する。

石巻市では、「石巻千人風呂」のスタッフの方の尽力で、あちこちおじゃまできるところを準備していただいた。このチラシは、千人風呂がコミュニティースペースになっているので、気軽に気楽にご近所の方々に遊びに来ていただければとっても嬉しい!

生きてるその先にある死

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「おもかげ復元師」笹原瑠以子 著 ポプラ社

8月のNHKでの放送や新聞や報道でこの方を知らないわけではなかった。
復元納棺師という、ご遺体に生前の面影をたたえさせる技術を持った方。彼女が、いままでに出会った方々のお話や震災でボランティアとして行った復元の家族の話。短いエピソードを一つ一つ噛みしめるように読んだ。今朝、舞子へ行く電車中で読んでしまい、こみ上げる涙をこらえるのを誰かに悟られないか…気にしつつも、ぐっと入り込んでしまいレッスン前に気持ちを切り替えるのに深呼吸が必要だった。海を見る。同じ海だよな。

震災の遺体安置所がいかに尋常でなかったかは、ぼんやり想像するしかなかった。けれど、笹原さんの言葉はやはり重かった。損傷がひどいご遺体が本当に多い。人の形が変わってしまうような大きな力に命は奪われていったのだ。

家族は変わり果てた姿では、直視できず、お別れもできない。笹原さんが、何時間もかけもとの笑いシワをたどってその人の生きた証を復元する時、初めて泣き、慈しむことができる。

私は、三年前にホスピスの素晴らしい看護師さんと共に、父の髪をシャンプーした。
入院した時の服をきせて、やっと痛みから開放されて帰れるね…と家族みんなで最後の時間を共に過ごした。枕元で鳴らしていたチェロの音は聞こえてた?
生きているということのほんの少し先に、続きのように死はあるものだと感じた。

しかし、笹原さんの手による数々のお別れを読んで、そういう穏やかな終わりばかりでないことも知った。特に震災で引き裂かれるように奪われた数々の命。守りきれなかった小さな命。

震災死者が膨大な数字のカウントから、笹原さんの手によって、それぞれ表情を持つ一人の人となって天国へ行くことができたと信じる。

涙を流すことは、自分のためだな。泣いた。
また、私たちは、今月東北の地に向かう。また違った気持ちを持って。

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空に虹
あちこちで見た人がいるだろう。どこまで遠くの人まで見えるんだろう。
駐車場から見上げる。
みんなゴソゴソ携帯を取り出し、空に向ける。

自然の大きな動きにいつも不安を感じるこの頃。
海の断層、地の断層。苦しみの呻きのように、エネルギーの行き場をさがす。
私たちはそれから逃れることはできない。

でも、今日の空を見て、すこし忘れよう。

片山納涼まつりにて

おまつり

夏祭りにおじゃますることも多くなった、この頃。
今回は、吹田市片山公園であった納涼祭り。さつき作業所のみなさんも沢山、地域の子供達も沢山やってきてくれました。
施設のおじいちゃん、おばあちゃんも車椅子で来てくれました。

いろんな方々が参加できるお祭りってとてもいいですね。私の地域にも祭りがあるけれど最近はよそばかり行ってます。ちょうちんに灯がともり夜も少しは涼しくなりました。
よるの空も好きです。ずっと外で座っていたいくらい。

今日は、朝からシールドの土埃をそうじして、キーボードも丁寧にふきとりました。
そういえば、さつき作業所の伴奏のお兄さんもエクセルシアーを持っていらっしゃいました。演奏先でアコーディオンの方とお会いするのは初めて。嬉しくなりました。

「dear hiroshima ワンピースの写真が北米市民に投げかけた波紋」をみた

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石内都さんの写真集「ひろしま」

2008年。石内さんのこの写真展に行かれた、ブログで繋がった方の記事を読んでどうしても、写真が見たくてこの本を買った。

今年、67年経った敗戦の八月。NHK BSでカナダで開かれた「ひろしま」写真展のドキュメンタリーが放送された。
写真展は、カナダ、バンクーバーのブリティッシュコロンビア大学人類学博物館(MOA)で開催。この博物館は、展示されているカナダの先住民の巨大なトーテムポールの大きさに合わせて建築されており、数多くの先住民の収蔵品をもつという。アイヌの文化ととても似ている。自然の生き物が神の使い。「ひろしま」の写真たちは、ここで神々に癒されたのかもしれない。石内都さんと共に、世界を旅して欲しいと思う。

どんな人にも、この写真に触れてもらいたいと感じる。
本当に美しい色やデザインの被曝遺品のワンピースや、スカート。戦争が日本の降伏で終わろうとしてたあの夏。重苦しく、華美を諦めていた暑い夏。女性たちがこんな鮮やかなワンピースを着てたなんて、知らなかった。今回の放送で、広島平和祈念資料館の学芸員の方が言っていたが、女性たちは華美な装いが禁じられていたので、地味な着物の下に着ていたという。
丁寧に手縫いされた、可愛い柄の生地。

これを着ていたひとの姿が容易に想像できる。今までに無い、感覚。
生きた人がそこに居た。石内さんは、今まで広島の写真はモノクロばっかりだった。本当は、色があるのが当たり前なのだ。と語る。
鮮明になる。人の生きた証。このような遺品は、資料館に展示はされていないが収蔵されており、毎年増えるという。亡くなったヒバクシャの遺族が持ってくるから。

この放送でしらなかったことが他にもあった。
カナダは、アメリカと共にマンハッタン計画をすすめ、その開発はカナダのウランが使用された。その目的を知らないまま、採掘に従事させられたのはカナダの先住民(ナ・デネ族)だった。先住民の人たちは、そのことに深い罪の気持ちをもっていて、1998年彼らは広島と長崎に謝罪した。原爆に関して謝罪は彼らだけ。

でも、ウラン採掘も被曝する。今も、カナダやオーストラリアの先住民たちは、採掘のために被曝し続けている。原発を動かすウランは、一番初めからヒバクシャを生み出す仕組みなのだ。

この写真集と出会った2008年から変わったこと。新たな被曝が日本を襲ったこと。
ヒバクシャがまた増えたこと。