翌日、石巻市へ移動。
石巻 千人風呂は、今年7月にお風呂を提供することを終わりにし、コミュニティースペースとして再出発した。そこでのイベントとして我々の演芸・音曲パラダイスショーを迎えて下さった。ここは、津波被害で仮設に住んでいる人も、ふらっと立ち寄れる場所だ。
始まる前にも、近所のおばさんとおしゃべりした。「今日は何するんだい?変な格好だね~」などと笑ったり、前にやってたスナックの話を聞かせてくれた。
カテゴリー別アーカイブ: 雑感
生きてるその先にある死
8月のNHKでの放送や新聞や報道でこの方を知らないわけではなかった。
復元納棺師という、ご遺体に生前の面影をたたえさせる技術を持った方。彼女が、いままでに出会った方々のお話や震災でボランティアとして行った復元の家族の話。短いエピソードを一つ一つ噛みしめるように読んだ。今朝、舞子へ行く電車中で読んでしまい、こみ上げる涙をこらえるのを誰かに悟られないか…気にしつつも、ぐっと入り込んでしまいレッスン前に気持ちを切り替えるのに深呼吸が必要だった。海を見る。同じ海だよな。
震災の遺体安置所がいかに尋常でなかったかは、ぼんやり想像するしかなかった。けれど、笹原さんの言葉はやはり重かった。損傷がひどいご遺体が本当に多い。人の形が変わってしまうような大きな力に命は奪われていったのだ。
家族は変わり果てた姿では、直視できず、お別れもできない。笹原さんが、何時間もかけもとの笑いシワをたどってその人の生きた証を復元する時、初めて泣き、慈しむことができる。
私は、三年前にホスピスの素晴らしい看護師さんと共に、父の髪をシャンプーした。
入院した時の服をきせて、やっと痛みから開放されて帰れるね…と家族みんなで最後の時間を共に過ごした。枕元で鳴らしていたチェロの音は聞こえてた?
生きているということのほんの少し先に、続きのように死はあるものだと感じた。
しかし、笹原さんの手による数々のお別れを読んで、そういう穏やかな終わりばかりでないことも知った。特に震災で引き裂かれるように奪われた数々の命。守りきれなかった小さな命。
震災死者が膨大な数字のカウントから、笹原さんの手によって、それぞれ表情を持つ一人の人となって天国へ行くことができたと信じる。
涙を流すことは、自分のためだな。泣いた。
また、私たちは、今月東北の地に向かう。また違った気持ちを持って。
虹
映画「ある精肉店のはなし(仮題)」
「祝の島」の監督、纐纈あやさんが新しいドキュメンタリー映画を大阪で現在撮影している。
六月の浪さんの大阪ライブで楽屋まで応援に来てくれた纐纈さん。浪さんの映画「ナミイと唄えば」ではプロデューサーを務めた。
たまたま、昨年7月に本橋成一さんの写真展「屠場」と講演がリバティ大阪であった。この写真展は、屠畜場を撮影したものだが、その講演の時に家族で屠畜を行っている方が会場に来ておられた。多分、その方が北出さんだったと思う。
この映画は、北出さんの家族が、牛を大切に飼育し、大切に肉にする営み、命のこと、差別をうけてきたこと、そういうことをテーマに扱っているようだ。家族での最後の屠畜をカメラに残された。私たちの生活の中で、忘れている見えない場所をしっかり見つめたいと思った。
今、この映画は、応援する会を立ち上げて、支援者をつのっている。私も、一口のりました。
関心のある方は一度、HPをご覧ください。
ある精肉店のはなし
本橋成一さんの写真展 「屠場」は、大阪ニコンサロンにて8/9~8/22まで
大阪ニコンサロン
COOZY…! また七夕や。
この写真は、Peter Heinzenさんが、Cc-by-nc-ndでflickrで公開している。彦星(Altair)です。
七夕のそらに、1人のアルタイル。明日は現れてくれるだろうか?
あまりにも美しい、写真を見つけたので貼り付けて見た。(大好きなblog 壊れるまえに…の真似をしてみました。)
17年前に大きな事が有りすぎて、その追悼の日時は決して忘れることができない。私が音楽を続けるのも、Coozyのせいもあるよ、きっと。
阪神大震災のあった年、サリンが東京で撒かれた年、その年の七夕の日に暴漢にナイフを突き立てられ命を落とした。結婚が目前に迫っていたのに今も一人ぼっちのアルタイル。
いつも一緒に音楽の話をすると熱くなった。彼が高校生の時からR&;Bのバンドをやるからと言って誘われてピアノで仲間に入ったり。ブルースも好きで、エピフォンのギターを歯で弾いたりしてたけど、ある日やめにして、ジョー・コッカーのようなシンガーになると歌い始めた。
ダニー・ハサウエイ、マービン・ゲイ何かをセッションバンドでライブしたり。
亡くなるほんの少し前に、うちに遊びにきてドロドロになるまで飲んで、明日も仕事なのに語ることをやめなかったのは、何かわかってたの?
今日は、あまりにも内省的でした。でも、美しいアルタイルは、ひょっとしたらヴォーカルマイクを握ってるかもしれない。明日は、空を見上げよう。
楽器に恋し・・そして
今日は、時々強い雨が打ち付けていた。朝、強烈な雨が降っているのを窓から眺める。そういう時、ふわんと緑の臭いがやってくる。特に元気なローズマリーの香りは、雨もいいよなと一瞬思わせてくれる。
雨は昨日でなくて良かった。勝手な話だ。昨日は楽器を持ってホスピスで1時間ほど演奏していた。
いつも病院のデジタルピアノも使うけれど、私は三線、アコーディオンも使って、車椅子やベッドごとお部屋から出てきてくれた患者さんの前まで行って音を鳴らす。三線のへびの皮もさわってもらう。「へー、うろこがついてる」とちょっとはがれかけたうろこも触ってもらったり。
私たちはいつも多くの楽器をもっていく。相方と助っ人のも含め、二胡・のこぎり・ギター・チンドン太鼓・なみの音の楽器・ハーモニカが昨日の楽器たち。うたも歌います。相方のてじょんが黒人霊歌の「Amen」をもじって「えーねん」で、みなさんをほめちぎる。なかなか楽しかった。
楽器で空気を震わせて、こころに届くよう願う。
「初めて、目の前で音楽聴いたわ。」と美しい患者さんが涙ぐんだ。こんな私たちだけどささやかな時間のおみやげを置いていこう。
楽器は時に、生き方の方向を少し変えてしまうときがあるものだ。とこのところおもう。
東北行きの前に始めた、アコーディオン。この楽器に恋してるような感じ。
いつもピアノみたいにでかくて、頑丈な楽器と向き合っていると、ピアノの方から仕方ないからヒトの相手してやってると感じる時がある。けど、アコーディオンは抱いて使う楽器。
なんていとおしい・・・
古くて、昔は小学校の鼓笛隊で弾いていた(このときのは合奏用ですね)懐かしい楽器。調律のお客さんちで見つけても実は興味シンシンだった、そういえばおもちゃのアコーディオンを抱えてカントリーの演奏のとき助っ人で入った。近くて遠い楽器。
なんで、今まで出会ってたのに手を触れなかったのかな。もっと前に始めていたら、もっと上手になれてただろうな。ともおもうが、すぐに打ち消す。
例えばこの10年私は何をしていたの?と考える。色々あった。演奏の活動もバンドだったり、やらなかったり、今のように相方といろんなお人に出会いに楽器もって行ってなかった。
今だから積み重なったオモイが、考えてきた数々が、出会った出来事が音に込められるのかもしれない。
この楽器を始めるために、先生のところへ行った。たくさんアコーディオンの先生はいらして、あんまり敷居の高そうな先生はちょっとなとか、かなりの時間ネットの中をさまよっていた。で、たどりついたのがyoutubeで実に楽しそうに演奏する先生。
初めて体験に伺うときは、どんな方が緊張。笑顔で迎えてくださったけれど、もっとも揺さぶられたのは、目の前で鳴らしてくれたアコーディオンの音だった。
一目(聴)惚れ・・・。
こうして、やっとのことで、色んな条件がととのって、今、この楽器とであうことが出来た。この年になってから始めるということは考えないことにした。これからが恋の季節さ!
あ、先生の紹介は以前の記事にあります!CD素敵ですよ。
http://pianocraftwork.net/?p=253
人権は、見えない
リバティ大阪、ピース大阪、クレオ大阪、朝鮮学校………
これらの施設の名前のを見てピンと来るのは、大阪市民だけだろうか?
橋下市長によって補助金カットや統合廃止を計画されている所だ。
今、リバティ補助金カットなど、大阪の補助金削減案についてのパブコメが求められている。
メール無記名でもできます。ただし、29日まで!
大阪市制改革推進プラン(素案)
補助金に関するページはこちら
このブログがパブコメの書き方を解説している。
リバティ大阪を応援する
リバティは、マイノリティとして足を踏まれてきた人達について学べる貴重な場所だ。
存在だけでも意味深い。私も実際何度か足を運んだが、展示内容も性的マイニノリティについてなどや、新しい内容も加わり変化しており、企画展や講演会など時々に応じて行っている。
昨年も訪問したが、今夏も岡山のハンセン病回復者施設である邑久光明園、長島愛生園に再訪する予定にしているが、入所の方々は、高齢で次世代にこんな隔離政策が有ったことを生の声で聞ける機会はいつか途絶えてしまう。彼らの生きた証しは誰が伝えて行くのか?リバティ大阪で学べる意義は大きい。
人権というものは、特別な人が主張するようなものではない。それが奪われた時、侵害された時に初めて自分に実感できる誰にでもある普通にあるものだ。けれど、往々にして人の足を踏んでるのに気がつかない、痛みが自分に感じられないから。
人は、悲しいことに差別することで自分のアイデンティティを守っているというときがある。
それも、差別されているものが、さらに差別をドメスティックな場所で行うという、連鎖もある。
その底辺には、女性や子供たち。
意識して学ばないと得られないこともある。リバティにはそんな大切なメッセージがたくさんある。
ひととき光と戯れ
Ipadで遊ぶ
大阪の首長達
箕面の障がい者スポーツセンターの廃止が昨日撤廃になったというニュースを見た。この施設が廃止されることはおかしいと感じていたので、ひとまずは安心したが・・・
松井知事の前で、関係者がその報告を聞いているニュース画面。廃止撤廃を聞いて、反対を訴えていた人々が涙する。ある人は「ふりまわされたけど、今はホッとしている。」とコメントしていた。
おかしい図だ。橋下が知事時代に虐待された子供のための施設を作るので、障がい者のスパーツセンターは、廃止です。とおどし、松井知事が廃止撤廃という、それでありがたく喜ぶのがおかしいではないか。その当事者の方々に対しおかしいとおもっているわけではない。そもそも廃止がおかしいのに、ふりまわしたことを謝罪しないといけないのではないか。松井さん。いたずらに、利用者の方々を不安におとしれたことについて深く反省してほしいものだ。
障がいをもった人たちへの理解もなく、教育を語ることが出来るのだろうか。丁度、昨日・今日と毎日放送の夕方のニュース番組『VOICE』でMBS特集番組「大阪の教育未来図―アメリカ落ちこぼれゼロ法から学ぶが放送された。アメリカでは失敗した法律と似た大阪の教育基本条例。子供を育てるということはどういうことなのか・・・と考えさせられる。
取材したレポーターの関連する講座が開かれる。
<働く女性の教養講座>「MBS記者のアメリカ・レポ=教育基本条例のゆくえ」
レポーター:斉加尚代さん(毎日放送報道局)
日時:2月28日(火)18;30~20:30
場所:ドーンセンター 中会議室③
<斉加さんからひとこと>
大阪の教育基本条例案が来月にも可決されようとしています。
私が取材で知り合った全ての先生方が「子どもたちのためにならない」と怒りの声を
上げています。教育に必要以上の競争原理を持ち込み、現場の先生方を締めつけて
も、子どもたちの「学力」が上がることはありません。それは、すでにアメリカの学
校改革で実証されていることです。
この機会に大阪の教育改革の未来図をぜひ知ってもらいたいと思っています。