カテゴリー別アーカイブ: 雑感

エミール・クストリッツアの世界

 

ジプシーのとき サウンドトラック
ジプシーのとき
サウンドトラック

心斎橋へ、お昼間からこの時間しかやっていない、クストリッツアの映画を観にでかけた。

ジプシーの言葉で初めて撮られた映画だそう。実際に多くのユーゴスラビアのロマの村に住む人たちが出演している。今日は、「ジプシーのとき」を観た。

ここのところ、ずっと続いているロマという一つの民族(ととらえたほうがよい)の音楽に惹きつけられている。それに関する情報は、本やCDそして、クストリッツアの撮る映画であり、そこに現れるジプシー音楽である。お話しは、時に幻想的でありながら実際のロマの人々の暮らしや考え方、慣習を知ることもできる。

祝祭的な映画、近松の人情物のような刹那な展開、独特な風景に放り込まれ、そばで見つめているような気分にもなる。理屈を超えて生きていく。不思議でダイナミックな世界。内戦の激しかったユーゴスラビア、セルビア、マケドニア、ボスニアといくら聞いてもわかりにくい事情のバルカンにあってロマの人々は散らばって差別も軽蔑もされながら、自分たちの伝統と神と家族の強い絆の中に生きている。

音楽も素晴らしい。ゴラン・ブレコヴィッチの作曲によるものだが、クストリッツアの映画では有名らしい。劇中主人公が弾くアコーディオンの曲talijanskaや哀しい歌ederleziは、映画を観るまから知ってた。この映画は、1988年に撮られているので、ずいぶんヨーロッパでは知られているかとは思うけれど。

東欧の音楽と縁がなかったのだけど、ロマという人々の生きようとルーツ、音楽的な旋法の雰囲気などインドからやっぱり流れてきたと思わせることも多く興味深い。優れた音楽家も多いし。こうして本当に地べたの音楽で生きる人々がいること。惹かれる要素が満載だ。自分の中で音が消化され、新しいものが生まれることをとても楽しみにしている。

2016年はゆるゆると始まる

昨年ブログのHPを再び、ピアノクラフトワークのサイト内に戻して、ほったらかしの日々。FBでは、時たま報告をしているのだけれど、思えばソーシャルメディアで人々が口々に語り、写真で交流し、摩訶不思議なネットという雲海で蠢いているということが、当たり前になり、わざわざ何かをブログで書くことからココロが離れつつあったということでもあった。

気をとりなおし、こちらでも長いつぶやきを、タイムラグを前提に(つまり、リアルタイムのSNSではなく、長々となど)ゆるくやっていこうと思っている。

さて、本日は楽しい交流に混ぜていただいた♪

ハンセン病回復者の方々と、支援者つまりお友達団体による餅つき交流会!餅つきも楽しく盛り上がり、初めて出会った回復者の方からは貴重な体験を聞かせていただいた。

それぞれが子供の時、思春期などでハンセン病になってそれからの人生をその病の名前のために、社会との関わりがとても困難な状況になったり差別を受けることとなったこと。同じ感染症でも、結核だったら隔離して治療もするけど、社会復帰なんて言わない。普通に退院するだけだ。

断種や堕胎の経験のお話を聞くと、本当に辛い。そんな間違った政策がかつて日本にあって、著しく生きる権利を侵害された人たちがいるということを知らないままでは、いけない。縁を結んで一緒に生きていきたいと思う。

縁を結ぶ。 私にとって音楽も縁のツール。地面の上で、人と人の間にまみれて音楽という言語でしゃべるとき、新しい会話ができるから。

今年出会う皆様、一つよろしくお願い申し上げます!

 

失望 だけど 見失わない

ハンセン病問題講演会

マスメディアから流される情報に 失望の日々
語りたくもない佐村河内氏 。何が明かされて行くのだろう。本当の意味で彼の闇は深かったのか。

そしてNHKの奇天烈な面々。
または、都知事へ立候補の舛添氏の女性蔑視。
同じような色の人がこの政府にもうんといて、数で勢いを増したかの錯覚をし言いたい事を言い放つ。

でも今日は6の日
秘密保護法反対 ロックせよ!の日でもあります。

抵抗しないといけない側に立っている自覚。

そして、2月15日は、ハンセン病問題を考える日。
講演会があります。
「無らい県運動」という酷い国策の犠牲になったハンセン病の患者さんたち。
国の力が強く私たちの身に迫る時、どうやって抵抗するのか?
監視社会の一員として地方自治体、市民がどう加担したのか?
流れていかないためのヒントがあるかもしれない。

数でマスで迫るもの、同一化した情報、妙な我が国大好きキャンペーン。
隠された意図を、確かなセンサーで拾いたいものだ。

講演会詳細は、http://www.jinken-osaka.jp/2014/01/_1_40.html

風邪とアレルギーの季節

鼻トールメントール

不覚にも風邪で発熱。舞子へお稽古へ行き、妙なハイテンションに苛まれウチで熱を計ると38度に達していた。ワタクシは、風邪薬は飲まないのでカイロとお風呂で熱を追加し寝てやり過ごす。おかげで1日休んで何とか復活。関節痛は残りつつも仕事は出来る。 其の間に、通販で予約してた写真のキャンディが届く!

年中、アレルギーと付き合っているが、アレルギー剤が身体に入るそのなんとも言えない違和感が嫌だ。このキャンディ、割と良くてここ何年も買い続けている。
ただ季節商品で1月末発売で大体3月頃に店頭からきえる。コンビニ7-11のみにあり
この間、箱買いをしていた。が、今年はネット通販でゲット。

何だか持ってるとホッとする。甘くないので、人に勧めても好みがある。
涙が止まらん〜と言った人もおれば、湿布を食べてるみたい〜と言ったひともおるのです。

想いは、カタチに

1995・1・17 この日で一度人生は変わった。
程度の差こそあれ多くのあまりにも多くの人の人生にこの日は関わった。

人との別れは、この日が特別という訳ではないが、とりわけ突然奪われた命に対して自分の無力や重責に苦しめられる。

NHK大阪で、現在の復興住宅高齢化の問題をテーマに話し合われていたことは、これからもまだまだ続く。
取材の中の阪神大震災でいまだ、子供を亡くした自責が強く、自分の幸せを求めることを拒否して、孤立した生活を続ける女性。長い長い苦しみを抱きしめてひっそりと生きているひとの存在を知り得ることはなかった。少なくとも私は知らなかった。

相方のてじょんは、長田区西代仮設住宅へ訪問ボランティアを始め、復興住宅へ引っ越したのちも続けた。8年間それは続いた。この頃の仮設では孤独死も多くでた。今では関わりが無くなってしまったけれど、あの頃奔走していた人達はどうしてるだろうか。

阪神の19年の経過を東北のこれからの工夫にして欲しい。大きく被害は違っても人は人の力で生きなくてはならないのだから。
想いは、カタチにして。
今年も多くの方々に会えますように。
私というわずか一人のココロで誰かのささやかな心の一片でも触れることができればいいなと今日の日に思った。

今年もよろしくお願いします。

Grand Piano

今年は、自宅のピアノをメンテナンスして仕事をスタート。

家族も珍しく揃った今年の正月だけれど、つくづく日本人の働き方を考えさせられた。というのも我が家の若者が、世界を動いていて感じたことを聞くにつけ、思う事。

今の日本が若者に、仕事や希望を持ちにくい状況であることは非正規雇用の多さなど不安定な経済状況や貧困、大人も簡単に経済的難民に転落する不安など、社会の中にたくさんある。海外の国の経済状況が決していいわけでないけれど、社会全体の個々人の生き方に対する許容が広いというか個人主義の尊重があるのか、固定された働き方に縛られない生き方を見つけることができる。

例えば、以前オーストラリアでアウトバックツアーのガイドの男性は半年たっぷり働き、後の半年はフランス人の彼女と過ごすと言ってた。お正月見たTVも世界を旅する青年の話だったり、世界で暮らす日本人だったり。
長旅と仕事が両立する生活ってあるんだ。人生のどこを大切にするのか?
それをうちの旅人から学ぶ。

さて今年はどんな旅をするかな。
仕事と旅と音楽。今年もよろしくお願いします。

「ある精肉店のはなし」を観た

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十三 第七藝術劇場、「ある精肉店のはなし」を観た。纐纈あや監督とドキュメンタリーの主役北出精肉店の北出新司さんの舞台挨拶がある。ささやかながら、応援する会として支援したのでエンドロールに多くの支援者同様、自分の名前がクレジットされていた。

この映画のことは、前にも書いたが本橋成一さんが写真集「屠場」を出した時にリバティ大阪で写真展と講演会があった。2011年のこのときに会場から北出さんが貝塚で家族で屠畜をして販売もしていると話かけた現場にいた。多分それから、この映画は動いたのだ。

本橋さんはプロデュース。監督は纐纈あやさん。この二人は映画「ナミイと唄えば」の組み合わせでもあった。そのときは、本橋さん監督で、あやさんはプロデュース。
あやさんは、上関原発建設に反対する祝島を撮った「祝の島」でも監督をされた。住民に寄り添い、自然な流れの中にある原発建設反対運動の日常。海の命を絶やすことを恐れて反発する漁業の島の人々をあたたかく撮った。
そして、昨年の浪さんのライブに顔を出してくれた。

その映画と同じように、やはり貝塚に1年半住んで、北出さんの家族を通して、人が命を繋ぐために、生き物が食べ物に変わる現場を暖かく見守るように、静かに自然に映画にしていた。素晴らしい映画だった。屠畜のシーンから始まるが、鮮やかな人の手業で、手際よく枝肉にかわっていく大きな牛を見ていると、食べ物になることはこういうことなのかと納得する。

一方で、獣をあつかうことから差別をされてきた歴史、北出さんのお父さんの思いも子供たちの言葉から明らかになってくる。文字が読めなかった、もう亡くなったお父さんは学校へ行ったときに「東のものはくるな」といわれて先生の腕をかんで出て行きそれから、学校へは行かなかったという。「文字は読めんでも、金があったら生きていける」と反骨の精神で生きた。けれど、こども達には教育を受けさせた。
息子達は解放運動へ。解放運動の歴史。生活の質が運動によりあがった。
けれど今もなお続く、わけのわからない目に見えない差別の存在。
自分らが動かんとかわらへんから、解放運動は自分のためにやっていると新司さん。

北出さん一家が屠畜の全てを撮影させる決意は、自分達の仕事がごく当たり前の仕事で人の命をつないでいるということをしっかり伝えたかったから。
命を交換しながら人は生きているという。

今日、夕食を作っていてふと思った。野菜を刻んでいても同じやなと。
辰巳芳子さんが、料理する時は「素材が嫌がらないように調理するように」と言っていた。美味しいお肉になってくれた牛、豚、鶏。魚や野菜も命に変わりなく、人はそんな人以外の命から栄養をもらわないと生きていけない。

纐纈あやさんのチームは、撮影も女性だ。スタッフもほとんど女性。そういえば女性は命を生み出す性であった。命にいのちがけで向かい合うことは産むことも同じ。大切にそだてた牛の命がお肉になることを見守る女性たちの思いが伝わった。

いちばん星フェスタ2013 南相馬

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車で中央アルプスをみて
車で中央アルプスをみて
前日ちんどん枠準備中
前日ちんどん枠準備中
南相馬の津波慰霊碑
南相馬の津波慰霊碑
線量計
線量計
いちばん星農家民宿
いちばん星農家民宿

11日金曜日朝から大阪を出発し、沢山の材料を積み込み一路福島へ。道中、壮大な中央アルプスをのぞんだりしながら、ひたすら走る。
夜8時30分ころ到着。宿は、いちばん星南相馬プロジェクト農家民宿。
文字通り満天の星が、空に広がる。

翌朝から、前日の仕込み作業。100名に対応するためにひたすら、ちんどん枠を組み立て接着。白のテープ巻きなどいろいろ準備がいる。今回は、兵庫県子ども文化振興協会の強力なメンバーの方々の力で成功することができました。感謝。

12日、13日の連休中、多くの大人からこどもまで。ちびチンドンを気に入ってくれました。いつものように、音楽でにぎやかして帰るのとちがい、じっくり作業中に雑談ができたので、地元の方の気持ちが自然に聞けたりする機会もありました。
前日も外で作業していると、会場を普段から利用する人たちが不思議そうに声をかけてくれる。何かあるの?「明日イベントがあるんですよ~」と話す。大阪から来たことやちんどんを作ることを話すと、南相馬に住むことに対して、自分が感じてることや震災直後のことなどいろいろ話してくれた。
いままで、そんなに他人(ひと)におしゃべりしなかったのに地震から話すようになったとか。それ、阪神のときもそうだった。人と人との距離がちょっと変わった。けど、良いことも悪いこともあるんだけどね。

おばさんはつづける。南相馬が原発に近いので避難していて、戻れるようになったので南相馬へもどる道中、南相馬は汚染されているが山は空気がきれいだと思って、車のまどをあけてわざわざ吸ってたけど、そこは飯館村だったの。だれも、あんなに酷く汚染されているとおしえてくれなかった。あとからだよ分かったのは。

私たちも川俣村、飯館村を抜けて南相馬に向かった。そこは、今も除染中の旗がたてられ作業員が作業していた。そばに沢山つみあがった黒のビニールの塊。青のビニールの塊は、除染後の放射性廃棄物だ。
線量計の写真があるのは、児童館(学童保育施設)の庭。あちこち除染して、線量計を建てるけれど。

どこからみても美しい、東北の福島の自然。目に見えない脅威は今も尚収束することがない。
一方で、海岸線はもう何もない広場。放射能の被害だけでなく、津波に流された家族も多く、話しているとその人も家族を亡くしていた。南相馬の海岸には、サーフィンをする若者の姿もあった。前向かないといけないけど、まだ、がたがたの酷い護岸に車を置いてどんな気分でナミに乗るのだろう。
慰霊碑の向こう側には一面菜種を植えるそうだ。

今回の南相馬イベントは、全国から南相馬を支援してきた人たちが会した場所でもあった。小千谷元気プロジェクトのみなさん。笹団子おいしかったあ。大阪の焼き鳥さんツーマッチソウルさん。愛知のピエロさん。避難所同窓会の方々、埼玉の方やら、あっちやこっちから、ご縁のあったかたが集う。こうして、縁はつながり、一人で生きているのではないことを知る。
そして、設営、ばらしは募集したボランティアさんたちが行う。すごいことだね。

今回は諸事情があり、自分達の行列は写真に撮れてません。どなたかがまた下さると思います。

さよなら 塔和子さん

ついこの間の日曜、香川県 大島青松園に、沢知恵さんのコンサートを聞きに行ったところだった。

ハンセン病で、私たちの想像を超える苦難を生きた元患者で詩人の塔和子さんが亡くなられた。

毎日新聞 香川版
http://mainichi.jp/area/kagawa/news/20130829ddlk37040625000c.html

塔和子さんと親交のあった沢さんは、塔さんの詩を歌っている。詩を引継ぎ歌いついでいく。
先日も、体調が悪くコンサートでは、お顔を見ることが出来なかった。
こうして少しずつ、苦難の歴史を知っている元患者さんたちは亡くなっていく。
ハンセン病ってなに?と大人から聞かれる時もある。

その時の政治によって、人が差別され人間として尊重されることなく扱われることがあってはならないのに、何度も公害訴訟(水俣、カネミ油症、三井鉱毒など)は繰り返され、今もまたフクシマで人が棄てられている。それを知らないことのようにする罪は深い。

沢さんも歌う、塔和子さんの詩

「胸の泉に」

かかわらなければ

この愛しさを知るすべはなかった

この親しさは湧かなかった

この大らかな依存の安らいは得られなかった

この甘い思いや

さびしい思いも知らなかった

人はかかわることからさまざまな思いを知る

子は親とかかわり

親は子とかかわることによって

恋も友情も

かかわることから始まって

かかわったが故に起こる

幸や不幸を

積み重ねて大きくなり

くり返すことで磨かれ 

そして人は 人の間で思いを削り思いをふくらませ

生を綴る

ああ何億の人がいようとも

かかわらなければ路傍の人

私の胸の泉に

枯れ葉いちまいも

落としてはくれない

充実した連休後半。

2013.5.5 湊川神社

5月5日、神戸 湊川神社。ギリヤーク尼ヶ崎さん。路上舞踏。
83歳の舞踏家の今を感じたくて、神戸へ向かった。

2時の開演といっても、情報はネットで自分で探すしかない。でも恒例の連休、関西公演には多くの常連と思しき方々が静かに神社の地べたにすわって待っていた。
大道芸人中の大道芸人。ギリヤークさん。

その舞踏はこのひ最後の演目「念仏じょんがら」で息をつめるほど、すごく素晴らしく魅入った。
水をアタマからかぶり、土のうえをころげ、もだえ、膝すわりで祈る。多くの方のための祈りの儀式のように、強い力で走り、はいずる。

路上の音楽・路上の舞踏。に強烈に惹かれる。ずっとずっとそこに居たいようなそんな思い。

終演後に握手をしてもらった。終ってほっとされたのか、大変な膝の状況。ペースメーカーを入れた胸のこと、この公演に向かうのが辛くて途中でやめたくなったこと。
でも、最後に「念仏じょんがら」がやれて本当に良かったといっておられたこと。
88歳の米寿、88回逮捕されて、記念の50周年を迎えたいとおっしゃっていました。
体をご自愛して、来年もお会いできるのを楽しみにしています。

そして、翌日はアコーディオンをかかえて、一人で温故知新演奏会(発表会です)でGeogia on my mindを弾き歌いしました。いつも、Ray Charlesの昔のコンサートポスターを眺めて、これでええかな。いやいや心がこもってないしな。けど、余裕が全くないしな。と悩みながら練習したわけです。けど、舞台より路上がええな。
ロマミュージシャンを目指します。(今は衣装だけ・・・)