今回の旅も、新しい出会い、毎年の出会い、久しぶりの出会い。感激と嬉しさいっぱいの人と人を数珠つなぐ旅でした。そして、もう一つの大きなテーマは、被災した場所を見続け、見届けたいという思い。けれど、見届けるには命が尽きるかもしれない・・・そんな果てしない、先行きの見通しのたたない現状に怒りを感じる。
仙台空港からレンタカーで直行したのは、開成第2仮設住宅。2011年以来の再会を果たした、まりちゃん!LOVE LOVE。昨日会ったばかりのような親近感。まりちゃんが企画する、仮設での「ちくちくの会」にあわせて、私たちは音曲パラダイス。ちくちくの会では、まりちゃんの運営している高齢者施設「まりちゃん家」で介護に使われる布を、この会でみんなで寄り合い、おしゃべりしながら使いやすい大きさにしていく。仮設からでてもせっかくできたご近所さんもてんでバラバラになる抽選式の復興住宅。コミュニティーをまた崩されて、身内を失った孤独な人は孤立していく。まりちゃんの呼びかけで、ぐちを聞いたり、肩寄せ合って、少しでも心休まるひと時となればと行われている。
午後は、1年ぶりの千人風呂へ。今回はスタッフのクマさんに石巻周辺の被災地を案内してもらう。私たちは自分なりには、動いて見てきているところもあるけれど、ちゃんと地に足をつけて支援し続けている人に案内してもらうとみる視点が変わってくる。
大川小学校。写真は撮れなかった。慰霊碑が冬になっていく強い川風に吹かれていた。小学校は、そばの川面と変わらないような高さにあった。ただ、真後ろに山。津波が逆流してきたが水が当たる方向があったようで、大川小学校の方へ来るとなかなか思えなかったようだ。
この辺の小学校の子どもたちは、都市部と違って学区が広い。親が送迎したりすることも日常。
とどまっていた親も子も心細かったろう。悲しすぎる。
女川地区。 まだひっくりかえったまんまの建物の横をダンプが走り回る。ともかく、石巻はダンプが多い。津波で消滅した町や村もたくさんあるところに、ダンプは砂利や土を運んで驚くようなかさ上げ工事が行われていた。土を高く積み上げ、高台を作って町を再建する。しかし、そこに人がもどるか?いつ工事が終わるのか?待てるのか?
工事の向こうの山を越えたところに女川原発があると教えてもらった。
移設した役場、復興商店街 いろいろ過渡期のものがいっぱいある。いつまで過渡期なのだろう。
日和山にもあがった。夜景は今は光がいっぱい。けれど漆黒の日が長くあったのだろう。そして何度も見た津波の映像。人はここに大勢いたこと、心が震える。
思いを置いてきた。いつも何かを落としてくる。そんな感じがする。
けれど、ずいぶん持って帰る。そして、会う人に伝える。まだまだまだまだ。だと。
さて、翌日はまりちゃん家の方へお邪魔。とても素晴らしい高齢者施設で、介護される人、する人の関係でなく、一緒の目線で生活を共にする。スタッフさんのお給料がこの日支給されるのだったが、その渡し方とは・・・。利用者さんの支払いで成り立っているので、利用者の方が誰か代表でスタッフに渡します。まりちゃんが、「○○さんは、一生懸命働きましたか?お給料あげてもいいですか?」と声かけし、「いいよ~」となったら手わたされる。私があなたに払うのよ。という対等以上の関係。いいですね。スタッフのみなさんも明るい、乗せ上手。思わずこちらもノリノリで音曲炸裂したのでした!
まだまだ、旅は続きます。
次回のポストで。