1995・1・17 この日で一度人生は変わった。
程度の差こそあれ多くのあまりにも多くの人の人生にこの日は関わった。
人との別れは、この日が特別という訳ではないが、とりわけ突然奪われた命に対して自分の無力や重責に苦しめられる。
NHK大阪で、現在の復興住宅高齢化の問題をテーマに話し合われていたことは、これからもまだまだ続く。
取材の中の阪神大震災でいまだ、子供を亡くした自責が強く、自分の幸せを求めることを拒否して、孤立した生活を続ける女性。長い長い苦しみを抱きしめてひっそりと生きているひとの存在を知り得ることはなかった。少なくとも私は知らなかった。
相方のてじょんは、長田区西代仮設住宅へ訪問ボランティアを始め、復興住宅へ引っ越したのちも続けた。8年間それは続いた。この頃の仮設では孤独死も多くでた。今では関わりが無くなってしまったけれど、あの頃奔走していた人達はどうしてるだろうか。
阪神の19年の経過を東北のこれからの工夫にして欲しい。大きく被害は違っても人は人の力で生きなくてはならないのだから。
想いは、カタチにして。
今年も多くの方々に会えますように。
私というわずか一人のココロで誰かのささやかな心の一片でも触れることができればいいなと今日の日に思った。