「ある精肉店のはなし」を観た

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十三 第七藝術劇場、「ある精肉店のはなし」を観た。纐纈あや監督とドキュメンタリーの主役北出精肉店の北出新司さんの舞台挨拶がある。ささやかながら、応援する会として支援したのでエンドロールに多くの支援者同様、自分の名前がクレジットされていた。

この映画のことは、前にも書いたが本橋成一さんが写真集「屠場」を出した時にリバティ大阪で写真展と講演会があった。2011年のこのときに会場から北出さんが貝塚で家族で屠畜をして販売もしていると話かけた現場にいた。多分それから、この映画は動いたのだ。

本橋さんはプロデュース。監督は纐纈あやさん。この二人は映画「ナミイと唄えば」の組み合わせでもあった。そのときは、本橋さん監督で、あやさんはプロデュース。
あやさんは、上関原発建設に反対する祝島を撮った「祝の島」でも監督をされた。住民に寄り添い、自然な流れの中にある原発建設反対運動の日常。海の命を絶やすことを恐れて反発する漁業の島の人々をあたたかく撮った。
そして、昨年の浪さんのライブに顔を出してくれた。

その映画と同じように、やはり貝塚に1年半住んで、北出さんの家族を通して、人が命を繋ぐために、生き物が食べ物に変わる現場を暖かく見守るように、静かに自然に映画にしていた。素晴らしい映画だった。屠畜のシーンから始まるが、鮮やかな人の手業で、手際よく枝肉にかわっていく大きな牛を見ていると、食べ物になることはこういうことなのかと納得する。

一方で、獣をあつかうことから差別をされてきた歴史、北出さんのお父さんの思いも子供たちの言葉から明らかになってくる。文字が読めなかった、もう亡くなったお父さんは学校へ行ったときに「東のものはくるな」といわれて先生の腕をかんで出て行きそれから、学校へは行かなかったという。「文字は読めんでも、金があったら生きていける」と反骨の精神で生きた。けれど、こども達には教育を受けさせた。
息子達は解放運動へ。解放運動の歴史。生活の質が運動によりあがった。
けれど今もなお続く、わけのわからない目に見えない差別の存在。
自分らが動かんとかわらへんから、解放運動は自分のためにやっていると新司さん。

北出さん一家が屠畜の全てを撮影させる決意は、自分達の仕事がごく当たり前の仕事で人の命をつないでいるということをしっかり伝えたかったから。
命を交換しながら人は生きているという。

今日、夕食を作っていてふと思った。野菜を刻んでいても同じやなと。
辰巳芳子さんが、料理する時は「素材が嫌がらないように調理するように」と言っていた。美味しいお肉になってくれた牛、豚、鶏。魚や野菜も命に変わりなく、人はそんな人以外の命から栄養をもらわないと生きていけない。

纐纈あやさんのチームは、撮影も女性だ。スタッフもほとんど女性。そういえば女性は命を生み出す性であった。命にいのちがけで向かい合うことは産むことも同じ。大切にそだてた牛の命がお肉になることを見守る女性たちの思いが伝わった。

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