朝6時30分。大阪から出発。神戸、明石海峡大橋から淡路島を通り、香川県高松へ。高松から国営船に乗り、国立ハンセン病療養所 大島青松園に行ってきた。
ハンセン病市民の会の酒井さんのおかげで、金曜日のお茶会におじゃまして、音曲パラダイス。
夏、沢知恵さんのコンサートで訪れて以来。今年2回目の訪問ができた。
大島は、瀬戸内を挟んで向かいの岡山県の国立ハンセン病療養所 長島愛生園や邑久光明園と違い、橋がないので船で渡るしかない。
島の中で長い間、社会から遮断され、労苦を強いられてきた多くの方がいた。
入所者の数は減り、高齢になってきておられている。ここで行われたこと、間違ったむごい国策に人生を踏みつけられれた人々の記録と記憶が忘れさられないように残すことと、ここの場所を今後どういう形にするのかなど大きな課題を現在はかかえている。
私たちはいつも変わらず。音曲パラダイス。歌と演奏とお笑いで楽しいひとときを一緒に過ごしていただいた。
よく笑ったわ~と終わってから声をかけてくださった女性が、私たちのこどものことを心配してくれていた。「おうちに置いてきて大丈夫?」と。
実年齢よりずいぶん若くみられたようで、本当の年を聞いてほっとされた。子供を持つことができなかった入所者の方々は、子供のことがとても気になるのかもしれないと後で考えた。
演奏後、職員の方に大島を改めて案内してもらった。
納骨堂には、昭和19年以降 亡くなられた方がたのお骨が整然と並べられている。それ以前の納骨堂は狭く、入所者の人が「奈落」と呼ぶ穴が掘られたところに古くなったものから捨てられるように入れられていたという。そのため昭和19年までの方たちはお骨が混ざってしまっているので、別に記念碑が建てらて祀られている。入所とともに実名でない名前で過ごされる人も多い。聞けばきくほどむごい事実を知る。
記念碑の隣には、堕胎され、ホルマリン漬けにされていた胎児たちが葬られた碑もあった。
そして、石積みされた美しい「風の舞」の丘。骨壷におさまりきらないお骨がこの円錐とてっぺんのない円錐の二つにおさめられている。
風が舞い、海の音が鳴りつづける大島。
本当に美しい島だ。
この島に多くの人が訪れ、移住もできるような素敵なところになればいいのにねと、職員や市民の会の人たちと話した。
深く、悲しい、想像を絶する体験を生いてきた人たちが今も暮らしていることを忘れないでほしい。そして、素晴らしい大島へ足を運んでください。