新城浪さん、92歳。
2013年京都ネガポジで始まり、ハルカスのそびえたつ阿倍野まで。
毎日一緒に移動し、食事し、おしゃべりし、唄い、踊った日々。
2月に石垣を訪問した時に決めた、今年は私がおばあを大阪に呼ぶからね!といった約束を果たすため、準備を進めてまいりました。
企画を一から建てて、チラシ作りから、航空券の手配、コンサートの場所探しと一つ一つクリアしながら、後は集客や!とプレイベントも行い、がんばったかいあり朝日新聞の宮田記者にいい記事を掲載してもらいました。
おかげで、年配の方や、沖縄出身の方、おばあに元気を分けてもらいたいという方々の目に止まり、大勢のお客様に浪さんと縁を結んでもらいました。
おばあは毎日元気に唄い、色んな話をしてくれました。
初日京都の終演から大阪へ帰ったのは、午前1時半。翌日は昼公演のため、朝も起きてもらいました。翌日も朝早く、会場入りしないと、舞台設営に時間がありません。
私も準備に連日3時ころの就寝を繰り返し、体はカチカチになっております。
今回も、大きな力を発揮してくれたのはおばあのコンサートの同志、清水彩月さんです。
銭湯音頭は毎回、会場を沸かし。おばあの歌詞をフォローし、お話を引き出し、時に掛け合い漫才のごとく会話はすれ違うことも。彩月さんにしか引き出せない絶妙なおばあの反応も、綿密な打合せで私たちが選曲に苦労したことをすっとばしてくれる方向へ、全く違う展開もありこれまた、とても面白かったです。
彩月さんあっての舞台パフォーマンスでした。おばあは、舞台上では、カリスマですが、何を歌ってもらうか、何を話してもらうかは準備あってこそなのです。
今回、おばあは生きることの大切さを、愛しさを繰り返し言っていました。
「縁徳をもち花をさかせなさい。」「馬鹿が年とるもの。年をとらないようにしましょうね。」縁を結ぶ徳。「自分のカミサマをよろこばるために唄いなさい。」
「2009年に出会って、3回も大阪でこうして会えるのも、カミサマの働き。」
浪さんのデンサー節。9つで売られて~から始まる歌。
9つで竹の棒でたたかれながら覚えた三線は、いつかお座敷では上手に踊り、唄うこともがいると評判になり、100名のお客も迎えたとか。けれど、学校行っても金になるのか?と買われたおかあさんに言われ、学校へいかせてもらえなかった。お友達もいない。今では考えられない、子供時代。
戦争でお金をためておじさんが、浪さんを石垣に連れ戻してくれた。
その後、お父さんの働くサイパンへ。テニアン、ロタにもあったサトウキビ工場のためにサトウキビを育てる生活。現地の先住民の子供とお友達になり、15歳ころよく先住民の子供のお家やお祭りに呼んでもらって一緒に、唄い、踊る。腰みのしかつけない子供たちから、お前も同じようにしろといわれ、一緒に遊んでいたが、お父さんにそんなまでするなと言われた。やっぱり、現地の先住民は差別的な扱いだったのだろうね。
浪さんの話はまだ続く。
つづきは明日。