東北行き当日朝。朝一に遠くの仕事へ向う車で音楽を聴く。一枚のCDを丸ごと聴く貴重な時間でもある。
暑かった今朝、あまり体調が良くなくエアコンを切って窓を開け、1時間半ほど車でお客様の御宅まで走っていた。
その時、先日コンサートで聞いた交響曲「HIROSHIMA」を流していた。シンフォニーはダイナミックレンジが広く、窓を開けて走る車の中では聞き取れない部分も多い、その代わり、外の音が一緒に飛び込んでくる。セミの鳴き声。車の過ぎ去る音。轟音に聞こえる幹線道路の音。自分の車のエンジン音。
ヒロシマの夏もセミの鳴く、暑い8月だっただろう。ヒロシマの街にも色んな音があったろう。
妙なリアルを受け止めた。
オーケストラ曲という、最もコンサートホールに相応しい音楽を、他の音と一緒に聞くことで、不思議な感じがしてきた。
音楽の居場所って本当はドコ だろうか?
このシンフォニーを書いた佐村河内さんの中の記憶の音を聞くことが出来る私達。
自然の音。
地べたの人にまみれた音楽。
映画の中で聴く音楽も。
仙台へ向う車中。東北はどんな音楽の居場所か?
と、旅の途中バスの車中で前に下書きしていた記事を思い出した。
結局慌ただしく、演奏のにひたすら走り、通り過ぎる風景に音は感じなかった。
何もなく静かになった美しすぎる海。草原の緑。
でも人の間には、歌や東北の言葉があり、デイサービスでは東北弁のラジオ体操がある。
今朝の新聞でも紹介されました。[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=kTaAtD88O34&sns=em[/youtube]