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昨年訪れた糸数アブチラガマ
2012年6月23日、ことしも沖縄慰霊の日。
昨年の7月、台風の後強い風が吹きすさぶ中、南城市の糸数アブチラガマに一人立ち寄った。たったひとりでは、真っ暗で足元も危険であること、解説がないと分かりずらいこともあり、ガイドをお願いした。その方は、丁寧に私ひとりのためにお話してくださった。残された誰かの後、苦しみの後を祈りながら、そしてこのことは決して忘れません、伝えていきますと心に刻みながら暗闇を懐中電灯で照らしながらあるいた。
慰霊の日といっても、本土の新聞紙面は8月の敗戦の日のように一面で報じることはない。沖縄の新聞とはいつものことながら温度差。
辺野古浜通信では、今日のことは、
今日は「慰霊の日」日本国の司令官が沖縄の民を見捨てて最後まで戦えと言い残し身勝手死んだ日。
とある。見捨てた日。今もなお。
67年たった現在。かわらず全国の米軍専用地74%がある沖縄本島。
今日、野田首相は戦没者追悼式に参列し、なおかつ米軍のよく落ちるオスプレイ配備に理解をもとめるという矛盾を平然と行っている。
昨日は、本土東京では、大飯原発再稼動の反対デモが4万人を越える人が集まった。
安全など誰も保障できないのに、事故が起きた時は電力会社を守り、人々を見捨てる政府。地震・津波対策がそもそも安全対策なのではない。そうでなくても事故があるのが原発。つくづくおもう。
沖縄の足を踏みながら謝る。わかってくれ、痛いのはわかるとうそぶく。
踏まれていない足に痛みはわからない。