石垣島でカメラが壊れて。ipadのスクリーンキャプチャです。
投稿が楽に増やせればいいけど。
「ピナ・バウシュ踊り続ける命」を観た。311という日に。
あ、「ネットワークでつくる放射線汚染地図5」が始まりました。少し中断。
終りました。放射性ヨウ素のネットワーク地図が新たにあきらかになってきました。影響下の子供達がもれなくきちんと医療などのフォローを受けることができるようにしてほしい。
命への思いを馳せた一日。デモの前にみたピナ・バウシュのドキュメンタリー映画は、3Dであったこともあるが、映画というより舞台の中に入り込んでいくような感覚もあった。ダンサーの肉体の美しさは、人間とはこんなに美しかったのかとおもうと同時に生きている命、人間くさい人間の息遣いを感じた。
街の中でのダンサーの映像は、本当に素晴らしい。時にコミカル、時に悲しい。 ピナ・バウシュはダンスのことを「言葉であらわせないものを表現する」と言っていた。 沢山の言葉であらわせない気持ちをこの一年は、沢山の人が感じたに違いない。
ダンサーの動きは、ときに障がいを持った人たちの動きを思い出す。そうそう、みんな自閉症の人になったみたいに目の前で手をひらひらさせたり、急に倒れたりしてみたいようにおもわないですか?私はなんだか好きです。
中ノ島公園で、黙祷の後、脱原発デモに加わる。あんなに多くの人だったのに知った人に何人か会った。原発はもうごめんだ。粛々と廃炉に向けて進んでほしい。新たなヒバクシャをもうつくらないで!
浪さんに石垣島まで会いに行きました。
浪さん数えで91歳。2009年に大阪・京都とコンサートツアーに同行して(運転手として)また、石垣に会いに行くね~~と約束したまま。色々あり、震災まであり・・・ようやく。再会を果たした!!
ナミイおばあの出勤しているデイサービスのある介護施設でケセランぱさらんスペシャルとして、2人の仲間を引き連れ、チンドン太鼓、二胡・アコ・ギターでオジイ・オバアと大阪の歌や東北の歌、沖縄の唄、中国やモンゴルや韓国の歌で歌い踊り遊びました。
夜は、親戚のショーコーさんのところで、宴会をしたり、民謡スナックで一緒に演奏に加わったりしながら、楽しい時間があっという間に過ぎました。オバアは、本当に真摯に音楽に向き合って生きています。歌を残そうと、カタカナで歌詞を思い出しては書き、ラジカセを操作して自分の歌を録音で残します。「あんたも覚えてね」ということです。
唄を引き継ぐ、どんな形であれ。オバアの80年を越える三線弾きとしてのキャリアが重く私たちに訴えます。こうして生きてきた。いつも三線弾いて、生活してきた。
250円で9つの時に売られた時、三線教えられても、夜になったらついうとうと眠っていたらお姉さんからどつかれた。そうして覚えた数々の唄。その頃の沖縄では、子供売りがいたそうだ。片側のカゴには野菜。片方に子供。「子供は野菜みたいにしてうられていたんだよ。」とオバアは言う。
オバアは沢山唄を覚えた。「沢山のお部屋があるお座敷で、私が弾いたら他の部屋から聴きに来るんだよ。」三線の名手。お座敷唄はさながらジュークボックス。
今日も、おどります。オバアは夜8時や9時すぎてから元気になる。民謡スナックで遊んでいたらあっというまに午前1時。オバアはまったく動じません。「みんなが寝る時(お年寄りのお友達が)から遊ぶから、友達とは遊べないさ~。」そらそうやわ。
関西で、今年はおばあとまた会えそうです。みなさん。楽しみにね。