草間彌生×栗コーダーカルテット に行ってきた。国立国際美術館は、水玉ぶつぶつで一杯だった。
壁面とおおきなチューリップの彫刻の部屋にいる観客は、ぶつぶつの一部と化している。
草間さんの死へ向かう世界を表現するのに鮮やかで明るく、奇妙で愛らしいカタチになっていく感覚。それを、外部の人間は楽しんでいる。アートとは、空間に放り出されてから勝手にその場のものとなっていく。
表現と言うものは、そういうものなのだろう。
カタチが一瞬で消えていく音世界も、動くアートの世界も、記録媒体のなかで、サムネイルのように簡単に圧縮されても本体は、一瞬のものだ。
彫刻や絵も実は生み出された時に一度終わり、また色んなところで、また始まる。
今日は、草間さんのドキュメンタリー映画の音をやった縁で、栗コーダーカルテットのコンサートもあった。力の抜けた音楽に聞こえて、実は非常にハイテクニックのアンサンブル。よく練られた構成。聞こえてくる音に相反する密度の濃さを感じて楽しんだ。
ほんとに音楽って色んなアプローチがあり、聞き手は幸せだと感じる。このカルテットの魅力は、やっぱりバロック音楽の時代みたいにの小さい空間で聞く音楽ということ。CDではなくそばで演奏してくれるのを聞く贅沢。今回も美術館で良かった。
今年は年明けから 興味のあるイベント続きで、仕事の休みを待たずして 毎週あちこちに出かけています。草間彌生は 姉の大のお気に入りで、姉に引っ張れる様にして出かけて行きました。ドキュメンタリーなどで 80歳を超えた草間さんの生き様を見ていましたが、実際の作品の前では そんな説明は関係ありませんでした。無数のドットの連続は 太古の生命を感じさせ、無性に制作意欲を掻き立てられました。多くの人が 草間彌生を求めるのが、良く解りました。
今週は「日韓演劇フェスティバル」、来月は「大阪アジアン映画祭」、乾いた頭にいっぱい養分を染み込ませて、今年は 何か発信させたくなりました。今年もよろしく~!