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2011年09月07日
さりゆく夏
長島愛生園 美しい自然に厳しく隔離されていた
8月。暑くて、忙しくわさわさと過ぎ去った日々だったが。書かなくてはと思いながら
そのままにしていた。毎年8月はイベントがらみで忙しい。
手作りの楽器のワークショップあり、演奏あり。ありがたいことだ。
8月の頭に岡山の国立ハンセン病療養所、長島愛生園を訪問、お隣の邑久光明園のお祭りにも参加してきた。長島愛生園では、歴史資料館など学芸員さんに案内を受けながら園内を巡り、その理不尽で苦しい差別の歴史を学んだ。
今は、入所されている方々については、介護の必要な方々のケア施設であるということと生活施設である。ハンセン病という病は完治したが、その後遺症に苦しんでおられる方のための施設である。
けれど、過酷な差別状況で彼ら自らの手で学校をつくり、施設を工事し、全てこの美しい島で完結し、外へ決して出られない監獄のような隔離を受けてきた。
長い長い間。
この夏、二人の福島の原発から避難してきた女性と子供達にであった。
今、被災者と呼ばれる人々だった。難民のように、自主避難と言う過酷な名前で呼び捨てられることに、怒りを感じる。
「被災者」と言う言葉。時に差別的な言葉やないかと思うときがある。
彼女らはいつもとても申し訳なさそうに支援をうけたことに感謝の言葉を伝える。
けれど、嫌な場面をみてしまった。支援という名前で提供した人間にひどく高圧的に恩を売られている姿を目の当たりにして、たまたま居合わせて、これは被災者差別やと感じてしまった。
その人間の虚構の善意とでもいう、態度と言葉に私まで傷ついてしまいそうになった。
そもそも避難の原因をつくったのは、原発を容認していた(反対していたけど積極的に動かなかった)私たちの責任である。
私たちは加害者でもあった。
今や、東北の多くの人が難民のようになっている。
ハンセン病回復者差別・部落差別・沖縄差別・アイヌ差別・被災者差別
いつも加害者の側にいるんじゃないかと落ち込んでしまう。