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2011年05月26日
うたは、押付けられるものではない。
東京都民が石原を知事に選んだことを、なあ~んだ、ぜんぜん懲りない人々だとあきれていたが、先月あった松元ヒロさんのライブで「大阪にも橋下知事がいるじゃあないですか」との発言に、そうや、ホンマにがっかりや。と思うことがこの度の「君が代」問題だ。
いまさらの感もある。
「うた」で忠誠心を誓うなんてナンセンス。
人の心の多様性を認めない、政治など不気味。
歌わなければ、国をでれば・・・などという意見があったりして恐怖だ。
ハタやウタを象徴的に振り回す必要性が何故あるのか?何故、統一した感覚が今必要なのか?「がんばろう日本」のため?
戦争や災害で国が国民を守るか、守らないか?
一方で不安をまきちらしておいて、恐怖をあおり、国を強くしなければと強迫観念を与えているのではないの?と感じる。
橋下さん、強権をふりまわさないといけないなんて、なさけないね。
そんなに公務員ばかり監視してちゃあ、府民の総意なんてわからないよ。
投稿者 pianocraft : 23:02 | コメント (0) | トラックバック
2011年05月21日
ヌチヌスージサビラ(命のお祝いをしましょう)!!
小那覇舞天CD
沖縄戦の後、生き延びるのに必死の人々の前に、舞天という人は毎晩現れました。
「ヌチヌスージサビラ(命のお祝いをしましょう)」と叫び、三線をかき鳴らし、へんてこな琉球舞踊を踊るのです。
舞天がある屋敷を訪問したとき、家のなかに位牌(いはい)(亡くなった人の霊(れい)をまつるため、お坊さんに付けてもらった名前を記す木の札(ふだ))があり、家主(やぬし)は涙を流していました。家主は舞天にいいました。 「どうしてこんな悲しいときに歌うことができるの? 多くの人が戦争で家族を失ったのに! 戦争が終わってからまだ何日も経っていないのに、位牌の前でどうしてお祝いをしようというのですか?」 すると舞天は答えました。 「あなたはまだ不幸な顔をして、死んだ人たちの年を数えて泣き明かしているのか。生き残った者が生き残った命のお祝いをして元気を取り戻さないと、亡くなった人たちも浮かばれないし、沖縄も復興(ふっこう)できないのではないか。さあ遊ぼうじゃないか」 彼の言葉に家主の表情が変わりました。伝えたいふるさとの100話より引用
命のお祝いという言葉。そして、魂の歌。どんな悲しい時も、辛い時も沖縄の人々が手放さなかった三線。
舞天さんは、その後も人々を笑わし、歌わせて元気を与え続けました。
今、東北は哀しみのどん底ですけれど、ブーテンさんの言うように命のお祝いをし、祝福された命を大切にすりへらさぬように大事に生きていってください。
現代でも、そんな意思をついだ「うたのお祝い」を、BIGINが行っています。
「うたの日コンサート2011」は、6月25日石垣島で行われます。無料です。
今年のうたの日によせて、BIGINの比嘉さんはこういいます。
どうすれば悲しみを分けてもらえるのか?悶々とした日々に歯をくいしばるだけの毎日です。しかし、戦後沖縄でそうした様に、祝いからはじめてみようと思います。 誕生祝い、結婚祝い、退職祝い、そして入学祝い。暮らしの中でお祝いは嫌でも巡ってきます。 それを少しずつ自分の為には出来なくても、家族や仲間の為なら1つずつ、繰り返すことで元気になれると信じています。うたの日はみんなでつくり参加するお祝いです。震災のチャリティーコンサートにはしません。
なぜなら被災地からも仲間がくるかもしれないからです。扉は全部あけておきます。6月25日僕らは石垣島にいます。
石垣島のナミイおばあ(90歳になりました!)も元気です。おばあが言いました。
人はみな頭の上にカミサマを乗せている。カミサマを喜ばせないかん。と。
投稿者 pianocraft : 21:28 | コメント (0) | トラックバック
2011年05月15日
「ミツバチの羽音と地球の回転」をみよう。
予告編http://youtu.be/_C6bYYYSSGE
何度もチャンスを逃してきたもう1つの祝島の映画。「ミツバチの羽音と地球の回転」その前に3部作とも言える「ヒバクシャ」「六ヶ所村ラプソディー」を撮った。原子力の影響をテーマにしたこの映画が、震災後に多くの人の関心を集め各地で再上映や自主上映や講演会が行われている。
京都の同志社で朝から駆けつけただけあって、映画もさることながら毅然とした鎌仲さんの言葉が力強く、何をすればいいかのヒントを与えてくれた。
この映画を観て、祝島の生活でも奮闘ぶり、中電に対する怒りは、見るものをぐっと引き込み、一緒に怒り、悩む時間を共有し、一方スウェーデンでの取材は驚きをもって再生可能エネルギーの活用を知り、日本の電力システムの矛盾を突きつけられこれまた怒りをもって感じることになった。
反原発で情報収集している人には何度も観る人、聞く話もあるかと思う。けれど、祝島の人たちのことを知り、スウェーデンでの試みを知ると、責任を持って自分が行動する必要をひしと感じた。人任せにしない、自発的な行動。
鎌仲さんの1作目の「ヒバクシャ」を撮ることになった動機を聞いて共感する。
別の取材でイラクに行き、劣化ウランでガンなどの病気になったこどもたちに会って、原発の廃棄物でつくられれたウラン弾で被爆する子供達が生まれていることは、自分も原子力の電気を使うことで加害の側にあると。何もしないでいるのは、加担しているのと同じことだという気持ちをもったのが映画作りのきっかけだったという。
私たちにも同じことが言える。
原発反対。再生可能エネルギーを!と意思表示しないことは、加担する側である。
次に、再生可能エネルギーの活動をしている団体や人を支援する。