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2011年03月22日
「原発がどんなものか知ってほしい」のご紹介
KATEK さんのブログから知りました。ご紹介します。
「原発がどんなものか知ってほしい」平井憲夫 さん著
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
サイトより引用
筆者「平井憲夫さん」について:1997年1月逝去。
1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。
大阪で活動している反原発グループ
美浜の会 http://www.jca.apc.org/mihama/
投稿者 pianocraft : 22:44 | コメント (0) | トラックバック
2011年03月20日
涙そうそう・・泣いてもええねん。けど考えて動きたい
3月11日から、がらがらと変わった日常。
阪神淡路から16年、炊き出しをしたり、仮設をまわったり、イベントしたり、その中から手づくり楽器で(材料がみじかなもんでも楽器ができるという)被災地をめぐることで始まった、私たちのボランティア人生の初めの一歩だった。人生を変えた1995年。けれど、何度もあった災害のなかでも、とりわけ多くの人の人生を動かす、震災が起こった。
TVでインタビューする人々のことば、顔、被災者の人も、救助に当たっている人もみんな傷つき、ぎりぎりの状況がインタビューに答えるときに表情を崩すことからも伝わる。涙そうそう。 泣いてください。苦しいから。
できることをしよう。と多くの人が力を出し合っている。やりましょう。私も。
この震災にはもう1つ大きな被害の側面がある。原発による、放射性物質による災害。
この記事をかくまえ、2月には「祝島」のことを書いた。
予期したわけでもなんでもなく、ずっと原発のことは不信だった。
原発にかわるエネルギーの模索については専門的でわからないことも多かった。
これから、経済の仕組みを越えて、転換に時期が来ていると強く思う。
毎日繰り返される、原子炉の図による解説などを見たり、聞いたりしていて、いかに自分が原子力発電の仕組みについて無知であったのかを知った。
しかも、自分の住んでいるエリアの関西電力は、50%も原発依存しているということもいまさら知った。恐怖とともに、新たなエネルギーに対して具体的動きをしなくては大変なことになると切実に思う。
祝島の方々も、いっそう強く反対してください。考えたいリンク集。
祝島島民の会blog
原子力資料情報室 http://cnic.jp/modules/fukushimaNPP/
エコレゾウエブ 田中優×小林武史緊急会議 (1) http://www.eco-reso.jp/feature/cat1593/20110318_4983.php
同 (2)http://www.eco-reso.jp/feature/cat1593/20110319_4986.php