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2010年08月22日
韓国併合100年
韓国と日本の間にある暗い川。
20世紀のどす黒い植民地主義の世界で、戦の世紀に、日本の国が行ったこと、日本の人間が行ったことを、省みず100年を過ごした今、考えることをやめている人々も多い気がする。
私も、考えをとめてしまう時がある。逃れるようにして、一日中、必要なこともあるけれど、つまらないことも、時間だけがくわれていくような無為な事々にわざと奪わせてしまう時が。
本当は学校で教えられなかったことの中に沢山学ぶことが多い。
字面で、学ぶのではなく、人と出会ってきて知ること、知らないことが多すぎることを強く思う。
100年前の気分で、何故か優越意識を持つ日本の人もいる。その差別感情は、考えないまま、ふわりと人の心の中で居座り続けるのだろうか?支配するということは、100年先まで悪意を残すものだ。
例えば、ドイツで何故、無為なユダヤ殺しを連綿と行ったのか?それは、考えてもなかなか答えは出ないかもしれないけれど、答えを出せないからと言って、考えないで居ることは恐ろしいことでもある。
京都で、在特会の朝鮮学校に対する嫌がらせの行為で捕まった人間がいたが、会の代表者の姿形を報道で見て、暴力的な人間というイメージは馴染まない印象だった。
ごく普通の顔をして、暴力を使う。これは、軍隊の中の人間と似ているようにも思った。あたりまえのように、暴力をふるうこと、これは、スイッチを止めてるんだなと思ってしまう。
投稿者 pianocraft : 21:46 | コメント (0) | トラックバック
2010年08月08日
盆
初盆といわれる日々。
仏教徒ではないので、この日に先祖が帰ってきてくれているのかわからない。
まだまだ、いっぱい思い出す時があるので、盆がどうであるとか関係ない。
儀礼的な、盆の風情は好きだけれど、いままで身近にそういうことはしてこなかった。
神社も好きでなく、寺もそう。文化財や自然物のような感じでとらえるときはありなのだけれど、自分の心を入れてその場に立つことはあまりなくなった。
前にナミイおばあが、語っていた言葉に「人は頭の上にカミサマのせてるから、カミサマを喜ばせないといかん」そんな風に・・・、先祖は私を守ってくれているので、喜ばせるようにしっかりと生きなければ、沢山歌わなければならないと、思い出す。
だから、供養は歌うこと、演奏すること。
大丈夫、それはいっつもやってるから。
きっと喜んでくれてると、勝手に思っておこう。