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2008年10月19日
平和を考える
この2週間で、2つの平和を考える場所に行った。
1つは、河野康弘さんのコンサート。
大阪へ来られると教えていただいて、出かけていった。以前ブログ記事にとりあげてから、メールでライブ情報をお知らせいただいている。
今回も子供向けコンサートに参加したのだが、河野さんはフリージャズの手法で色んな曲をアレンジしたり、オリジナルを演奏される。その時使うアップライトピアノは、前パネルも、下前パネルも、鍵盤蓋もはずして、中身のアクションが見える状態で演奏する。
子供たちは、激しく動く機械の動きを目の当たりにして、興味シンシン。けれど、最初は大きな音にびっくりして耳をふさぐ子もいた。子供たちは楽器の生演奏を身近で聞くことは少ないと思う。ピアノを習っている子はいるが、大人がフリージャズを演奏するような大きな音がピアノから鳴っているのは体験したことがないと思う。電気のピアノで小さい音で練習してたり、ヘッドホンで鳴らしていたらなおさらだ。
ピアノは迫力ある楽器であることを、コンサートが佳境に入ると子供たちも楽しんでいる様子が見られた。「わっはっは」と合いの手を入れながら進行する曲があるのだが、子供も演奏に参加してアドリブを弾いてもらう。それは見ていて楽しい。きっと、むちゃくちゃ弾いても大人に怒られないという楽しさを感じることができるだろうから、そんな音楽の世界が自由でどこの国境も越えてしまうということを知ってほしいなと思う。
河野さんは、平和のメッセージをコンサートでは伝える。パレスチナ、朝鮮・・・いろんな国へ演奏にでかけ、どこでも同じように迫力ある音を演奏してくる。世界でみんなが音楽を楽しむことができるようになって欲しいものだ。
河野さんの活動はHP「地球ハーモニー」に詳しい。 http://www.wahhahha.com/
もう1つは、あきもとゆみこさんの平和ワークショップ。
あきもとさんは、「第九で9条ピースパレード」を続けている人でもあり、似顔絵描きでもある。
漫画「無防備マンが行く」など、知っている人も多いと思う。
彼女が、子供向けにイラストを使って平和を考えるワークショップを、近所のまつり「マブイ祭り」でも披露してくれた。あらためて、どういうアプローチをするのか、ご本人から今までの活動の経緯なども説明してもらいながら、子供に返って体験した。
彼女は、平和を創るための「心」の状態を気づかせるために、色んなイラストを描いている。
怒りが産む恨みや憎しみ、他者への無関心「知らんぷり」などが、紛争の根本的な心の状態なのではないか?と気づくことによって、日常的な人間関係の中からも国際的な紛争の根っこを探り出そうという試みは意義深い。ちょっと想像してみることで、見えてくることを大切にして、気がついたら行動を少しでもしてみようと、一歩進むことができる。
平和というのが、国の政治間だけで保たれてるというのではなく、自分の身の丈まで引き寄せて考える大切さを多くの子供たちに知ってほしい。あきもとさんは、ごく普通の目線で平和にとりくんでいるすてきな人だった。
彼女のHPのご紹介。
http://y-a.pupu.jpブログのページ(毎日新しい絵が見れます!) http://rakugakiword.seesaa.net/
まんが「無防備マンが行く!」のブログ http://no-war.net/manga/
ピースケのページ http://peaceke.blog65.fc2.com/
投稿者 pianocraft : 23:28 | コメント (0) | トラックバック
2008年10月13日
色・いろいろ
きれいなキューブ
このところ、コンサートに立て続けに行ったりする日が続いている。楽しい日々。
でも、昨夜は、久し振りにカラーカウンセリングをしてくれるただみよこさんのお宅におじゃまして、音楽つながりの仲間とカラーでいまの自分を見つめなおしてみた。
今回使用の道具は、写真のきれいな色のキューブ。
自分が選ぶ、今の自分自身の色、社会で使っている色、友達の色、家族の色など、いろんなイメージを色に変えて、並べてみる。キューブ独特の立体空間を使った並べ方は、仲間と一緒に体験するとそれぞれに相当異なった使い方ができるとわかる。
この時間は、悩みをカウンセリングしてもらうというよりは、あらためて人は、一人では生きていないということがつくづく判る時間だ。仲間や、家族に支えられ、自分にないものを補ってもらったり、自分では知らない働きをしていたりと、言葉以上に色が語るときがある。
人間は視覚情報に頼っている部分が大きいと聞く。確かに、音の刺激はダイレクトに脳に影響するので
記憶にとどまるけれど、日常の多くは「見る」ことから感じていくこと、考えること多いわけで、日常に何らかの色を加えたりすることで、気持ちが動くことも確かにあるなあと思ったりする。
この辺が、たださんを信頼するゆえん。たださんは、交流分析を基本にされているので、エゴグラムもみつつ、カラーで自分の潜在的な感覚もあわせてみて、しんどそうなところにアドバイスをくれたり、もう少し、自分が変化すればまわりとやりやすくなるよと、必ずプラスに転じる励ましをもらえる。
そして、何よりも素晴らしいのが、癒されるお部屋作りと人を迎えてくれる温かさを存分に感じさせてくれる心遣い。お料理もすごく美味しい。昨日は、がっつりとみんなで芋鍋と蒸し野菜(あ~~写真にとっておけばよかった)、栗ご飯をいただいた。食べて癒され、考えて、楽しむ。いい時間だったあ。
投稿者 pianocraft : 16:04 | コメント (0) | トラックバック
2008年10月05日
リバティ大阪へいった。
「在日100年の歴史を後世へ」という企画で、集められた資料が展示されていたリバティ大阪へ、先日行ってきた。リバティ大阪には、久し振りに行ったのだが、以前行ったときと、常設展示も展示方法が変わっており、学生が学ぶために工夫を凝らしてあった。
今回の特別企画で、在日韓国朝鮮人と呼ばれる人々が、さまざまな理由で日本で、大阪で暮すことになったことを改めて知ったり、戦時中に差別、虐殺があったことなども当時の資料と共に知ることができた。
人が、人として生きていく中で、生き難さを感じさせる「差別」という壁を人が人に作ること。その原因となる小さな「芽」のように巣食う慣習・伝統・性や病気に対する感覚を知ることが大切と、展示ではたびたび啓発のアプローチを私たちに向かって行っている。
その中には、エイズやゲイについても同じようにコーナーが設けられており、おそらくうんと前にここを訪れたときには、気がつかなかった。いつも、気をつけて自分が「人の足を踏んでいないか?」と考えたり自分の感覚が「ぶれ」て、差別的になっていないかと考えてはいるけれど、「足を踏まれた」側の苦しさを思うときは、想像力を総動員してもなかなか自分には及ばないのではないかと感じる。
それでも、想像することをやめると感覚が麻痺することが恐ろしい。
「女人結界」の石碑が展示してあるのだが、それを前にすると力んでしまう。
怒りや悔しさが「ずしん」とおなかの中に塊を作り、しばらくそこにたたずんでしまう。そういう、拒否されるという感覚。自分の存在があからさまにはじかれるという感覚が自分にとっては痛みのセンサーだと思って、大切にとっておこう。
それを知っているだけで、想像の助けになる。実際は、生活に何の痛みもないのだけど、心にぽつんと
暗い影を感じる時の感覚は、多分わすれることはない。
「血」に対する恐怖がそうさせるとか・・いろいろ勝手な理屈があるが、人間は血の通ったものを頂いて(命をいただいて)生を継続させている。それを見ないように生きるという勝手な一方の人間のやり方。
そういうえば、膨らんだ市場原理主義も経済至上という、現実に人が人として営む生を感じさせない力で政治が動かされている現実を見ると、人は道をあやまっているとつくづく感じるな。