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2008年06月26日
「族譜」を観た
原作 梶山季之 脚本・演出 ジェームス三木の「族譜」は、昭和15年の朝鮮・水原郡が舞台になっている。日本が占領していた時に、日本政府による「創氏改名」の政策が敷かれていた。
朝鮮の人々にとって、「族譜」は家計図というだけでなく、何百年もつづけて、世代から世代へその時の情勢が記されたりもしている。膨大な歴史を記録してあるという点で、歴史研究にも役立っていると聞く。そうやって守り続けてきた、朝鮮の人々の家族の名(ただ、朝鮮では男系のみが受け継がれるので
女性は、父親の姓を名乗り、「族譜」ではただ、女とかしか記されていないこともあるという。)が、日本風の名前に変えなくてはならない時に感ずる苦しみは、あまりにも重い。
日本政府は、戦況が悪化し兵隊の確保にも朝鮮の人を借り出す目的のためにも、朝鮮半島の人々を日本人並みに待遇を平等にすると嘯き、名前や言葉を奪った。
日本は、沖縄以外で植民地化したことはない。
言葉を奪われる、名前も奪われるという苦痛に対し実感が持てない。
そんな出来事を、当時の朝鮮でどのように行われていったか?どんな苦しみをあたえたか?をこの芝居は語っていく。
淡々と、しかし、強くわれわれに迫る訴えを重く感じた。
しかし、きちんと要所要所に丁寧な説明がくわえられており、理解がしやすいようになっている。
青年劇場の舞台は、「銃口」という舞台で韓国も多く公演している。そこでは、日本人がこのようなテーマを正面から取り扱って舞台を続けていることを高く評価されている。こうやって、民間ががんばって繋がりをもった人々と絆を大切にしたい。
政治ではなく、人と人としてかかわり、政治をも動かすことができればもっといいだろうけれど。
投稿者 pianocraft : 2008年06月26日 00:02
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