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2008年01月07日
年深い人に思う。
お年寄り・老人・・いろいろ言い方はあるけれど、ふと「年深い人」と言う言葉を思いついた。
今年の年賀状に「今年から親の介護生活に入りました」とかかれたものがあった。
そうか・・。それを読んで昨年、母が骨折をしたとき思ったことや、歩けるまでの3ヶ月間やその後の生活の変化などに思いをめぐらせた。
本格的に身体介護の必要な状態ではない私の生活は一瞬でも介護生活と呼べるものであったとは思っていない。仕事もし、生活のペースをすこし変えただけだから。
でも、この記事は、KATEKさんのブログの記事を読んでいて、ひどく反省したことで書き始めた。
その記事は『おばあちゃんがぼけた。』と言う本の紹介だった。
>効率を重視するぼくたちの介護は,お年寄りの持つペースと
>リズムをことごとく乱し,それぞれの世界を破壊した。
と書かれた文。
ここに書かれた人たちは、かなり重度の方々のことだと思うけれど、軽重に関わらず、年深いひととのかかわりは、どちらかといえば、尊重とかけ離れたことも多いと感じるから。
母が歩くことが大変な労力のいる時期に、街で買い物にでかけたときは、人の歩く流れのペースや子供がそばを走り抜けることに非常に神経をつかった。
倒されたら大変だという思いが常にあったから。
こんなことは、今まではわからなかった。もちろん障害を持った人たちとのかかわりもあったから、車椅子に乗っているとか、多動な子供とか、顕著に人にアピールできる場合は人に配慮を迫ることができたのだけど、普通に年寄りであるということは「元気」であると誤解されるということ。
そして、私も他の人に対する思いが欠けていたのではないかと思うこと。
例えば、年深い人を歩いたり、自転車で追い抜くとき。
例えば、スーパーのレジで、財布からお金を出すのが遅い人の後ろにいるとき。
「待つ」ということが苦手にならないように、時間がせっぱつまっていても、人にその遅れの責任を押し付けないように。
子育てで「待つ」ことの大切さをしっていたはずなのに、人を待つことを忘れないように。
これを、ささやかな心がけにしたい。
人の世界を破壊しないように。どんな小さい世界も・・だ。
投稿者 pianocraft : 2008年01月07日 23:30
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