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2007年08月17日

武器をもつということ

8月のお盆の期間には、NHKはsengo62というシリーズで戦争を知る、平和を考えるという番組を放送している。今年は特に、安倍政権の改憲への動きを見てのことか、9条についての討論番組も行った。
考えてみませんか?憲法9条 平和のこれから、」という番組だった。

この議論に参加していた中に最近知り合った人がいた。彼女は秋元裕美子さんという似顔絵書きだ。
7月のマブイ祭りで出合った。子供のための平和ワークショップで、紙芝居形式で平和の意味を子供に問いかけるというコーナーを担当しておられた。他にも彼女は、ベートーベンの第9に憲法9条の条文を乗せて唄いパレードするという活動を毎月繰り広げている。9月は参加したいと思っている。

この番組での秋元さんの様子は、彼女のブログに詳しい。らくがきわーるど http://rakugakiword.seesaa.net/

この番組の中で、集団的自衛権の議論になったときなど、北朝鮮の脅威を言う人が結構いた。
核の攻撃。日本での核兵器議論など。
けれど、核が武器であるという以前に、この世界に「あってはならないシロモノ」という認識が彼らにはないのだろうか?これを政治の上での議論に乗せることも論外と考える。

武器をもつということは、使う用意があり、持ったものは使いたくなるというのがどうしようもなく、弱い人間の有り様ではないだろうか?

自衛隊も同じだ。先だっての新人議員の佐藤正久氏の言動にびっくりして、強烈に批判しているブログも多い。はなゆーさんのブログも伝えている。
朝日新聞の記事でも、自衛隊員が武器を使えない歯がゆさを感じている。という話があった。
文民統制ということが、こんな輩によって、ぶち壊されないように、と怒りを覚えた。

やはり、人間武器を持つといけない。アメリカ人が銃をもう手放せなくなったように。
ナイフを持ち歩く人間は、刺す相手とチャンスを探しているように。
戦場に立ってしまえば、そこにはチャンスがある。人を傷つけるチャンス。

無防備平和主義がわが身をささげるというガンジーの思想の上に立っていると先の番組で小林よしのりは言った。わが身をささげるということの中身について、まったく違う解釈があるんだと感心する。
特攻的にささげるのではなく、そうなる以前の交渉に身を捧ぐという意味なのだけどね。

アメリカとともに武器を振り回して、自分たちだけが正義と叫ぶのはやめよう。


投稿者 pianocraft : 2007年08月17日 22:32

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コメント

残念ながら,その番組は見ませんでしたが,自ら正義を名乗るものは,あぶないものばかり。むのたけじさんも言っていましたが,武器を持つまで人間は長いこと助け合いながら生きたという歴史があるのです。早くてわかりやすい議論には要注意ですね。

投稿者 KATEK : 2007年08月18日 22:51

KATEKさん、こんばんは。
正義って、勝手で都合のいい言葉ですね。
武器もそうです。浅はかな人間には過剰の持ち物。

投稿者 pianocraft : 2007年08月20日 23:17

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