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2007年06月13日
自分の人生の歩き方
たいそうな、タイトルをつけてしまったが、これは私の人生について語るために付けたわけではない。
まだ、我が家には自由な高校生が一人生活してるので、所属している学校の保護者会にたまに顔をだす。大概は、仕事で出られないけれど、最低一年に一度は(大体毎月開かれている)でたいと思っている。そうして、先週はそのチャンスがあり、あらためて彼らの学校の教師・カウンセラー・親たちのこころを聞くと、ああ、また来たいと思うのだ。
この学校は、サポート校という名前の学校だ。通信制単位制高校に在籍する生徒たちに、学習以外でも、精神的なサポート、生活のためのサポートをしていこうとする学校で本当にさまざま、いろんな理由でここにたどり着いた子供たちを支えてくれようとしている。
いままで不登校だった子、引きこもりがちな子、通常の学校に合わない子、他にすることがあってそっちにウエートをおきたい子。さまざま。超社交的な子から、人間関係が非常に難しいこまで、子供と先生は同じ目線で向き合う。
こういう子供を抱える、親たちも保護者会という場をあたえられ、子供に対する難しさを話すうち、多くの人が涙ぐむ。本当に愛する子たちへの、つかえるような思いがそこで話される。話すことを許されるような感覚で、あるいは理解者を求めるように、親たちは日ごろ、まわりのものにも話さないような苦しさまで話していく。わたしも、思い出すことを、あらためて思い当たることなど・・話す機会のないことを語った。
以前から学校にはいろんな思いがあり、私も、いろんな学校を調べたりした。サドベリーバレースクールという面白い学校がある。学びたいことがあれば、仲間をつのり、教師にクラスを作って欲しいと申請する。「人間のうまれつきの好奇心」にまかせて勉強していく。3年間つりばっかりしてた子もいると聞いたことがある。学校は、こどもを支配しない形で教育の場を提供している。そこで生活する子たちは、自分のちからで自分の興味を探し、追求しなくてはならない。ここでは、イスにすわっていても何も与えられない。その、すごさに共感したりした。
多くの人は、大勢イスにすわったクラスで授業を受けるというあるいみ特殊な社会(と私は思う)を経験するが、人生の海に泳ぎ出たときは、自分ひとりでえさをとりにいかなくてはならないわけだ。
サポート校を選んだ子たちは、一足先に、あるいは、もう一つの自由学校とおして自分で学び、人生をまず、普通高校よりたっぷりある「考える時間」を使って考え、生きなくてはならない。なかなか過酷な課題だ。ウチの高校生も、そういう意味ではよくやっていると思う。
教育といえば、今、フィンランドの教育について書かれた本を読んでいる。
競争をしない教育というのがどういうものなのか、それが、大勢の子が一緒にすごすクラスで成立するのはなぜか?を知りたい。
以前、シュタイナー教育に関する本も読んだが、この教育方法のなかでもっとも好きな点は、シュタイナーの先生たちは詩でひとりひとりの成績を書くというところ。詩ならずっと大切にしていられるしね。
こういうことを知れば知るほど、学校は、場でしかない。大切なのは、そこにいる大人。
さて、自分も人生をまだ続けているわけで・・・高校生たちが奮闘しているのでこちらもマジメに人生考えなきゃな。政治をどうにかしなきゃだめだわ。
投稿者 pianocraft : 2007年06月13日 23:06
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コメント
> サドベリーバレースクール
先月、これについてブログに記事を書こうと思って、途中まで調べたのですが、書かずじまいになってしまいました。
きっかけは、80年代の初めごろに「ロックバルーンは99」という歌がヒットしたネーナというドイツの歌手が、ドイツでこの系列の自由学校を設立した、という話でした。
またちょっと調べてみようかな。
投稿者 うに : 2007年06月15日 11:37
うにさん、こんばんは。
サドベリー・バレースクールをご存知でしたか。私の周辺でこの話題を話したことはないのですが、何かうにさんの力で調べてもらえれば、もっと違った観点がでてくるかもしれません。
(などと、とても期待してる)
http://www.sudval.org/ が学校のURL。
私は、1999年に創設者のダニエル・グリーンバーグさんが来日して大阪で講演会があったので出向いていって知ったのです。なかなかすてきな学校の話が聞けました。確か「超学校」も読んだと思います。(覚えてないくらい)
日本でフリースクールの模索が始まってた時期ですかね。シュタイナー教育のフリースクール「東京シューレ」とかもできてましたね。
ドイツでもあるのですか。知らなかった。
学校のサイトで、この系列の日本のフリースクールも見つけました。兵庫県です。http://kyoto.cool.ne.jp/makkuro/ ここと
www.ds-sola.com ここ。
投稿者 pianocraft : 2007年06月15日 22:37
おはようございます。大勢でも競争しない,それは一律な答えを求めない寛容さがあるからなのだと思います。テストは点をあらそうものではなく,どこまで到達しているか見るためだけのもの。教員側にとってこそ意味あるテスト=自分の授業がどうとらえられたか,だからなのかも。10段階でどの点を取るかをとるかは,生徒の納得ずくのことらしですし。人間のとらえ方が豊かでおおらかなんでしょうね。教員はかなりハイレベルな状態を保つために一生懸命勉強する,そんなフィンランドがうらやましいです。かといって,わたしはもう日本の中でそういう体制作りに注ぐ力はないし。無力感を感じます。
投稿者 KATEK : 2007年06月16日 06:48
KATEKさん。ありがとうございます。
現場で子供と接しれおられると、無力感や疲れを感じられると思います。けれど、KATEKさんが、エントリーであげられていた、「がばね」の生徒さんの話を読んで、こういう「目」で生徒さんを見つめていることがもっとも、根っこのような気がします。
その子をどうとらえるか、その子の「行為」を責めるのでなく、そうしている子供の姿をちゃんと見てくれている・・ということに親としては安心しますよ。
投稿者 pianocraft : 2007年06月16日 11:28