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2007年04月26日

子供から奪われる「生きる意味」

先日、全国学力テストが43年ぶりに実施された。ふ~ん、それを分析して、何を得ようとしてるのか?
効率的なエリート教育?格差教育?わからない子供はそれなりに、わかるこだけに最先端を教えたいって?

このことが報道されて、それに参加しないという犬山市に興味をもった。
ちょうど、週刊金曜日4/20の記事に「これでも受ける?43年ぶりに復活した全国学力テスト」があり、犬山市の教育委員会の取り組みが紹介されていた。

「豊かな人間関係を育む土壌をなくし、子供同士や学校間、地域間に格差を生み、拡大させる競争原理の導入は犬山の教育理念に合わない」

きっぱり!!である。
犬山では、1997年以来「通いたい学校」を追い求めてきた。それを紹介する本も書いてあった。
「全国学力テスト、参加しません。犬山市教育委員会の選択」 編:犬山市教育委員会 
明石書店 1200円

特徴は、「学びあい」 少人数制。約30人の学級、4~5人の班学習。
勉強面では、友達に教えてもらったからできる。という自信を生み、生活面では誰かが暴力をふるっても
他の子の注意があり、それを受け入れる、子供のこころが育っている。という。

安心、信頼、自信など、競争の緊張感からは得にくいものだろうなと私も感じる。

記事では、犬山の中学校の5教科平均の5段階分布の表が示されていたが、全国の分布に比べて3と4の分布が多い。上と下の子供は少なく、全体的な理解を得ているようだ。日本は、以前フィンランドの教育成果について、興味津々だった。
フィンランドの教育も競争をしない教育といわれていた。

日本の犬山以外の子供たちは、大切にされているのだろうか?

この国でこのまま育った高校生たちは?ブログ「ささやかな思考の足跡」さんから提示されている、高校生の意識調査の結果が、これまたがっかりする。

夢を持てない、意欲の力を感じないその姿。
私は、早くから、そがれた自己肯定感がその根っこにあるように思えてならない。大切にされ、信頼され、人間同士の対話を学んできた犬山の子達は、自信をもって、日本の屈折した状況に元気にでていって、改革してほしいと思ってみたりする。

投稿者 pianocraft : 2007年04月26日 22:55

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コメント

こんばんは。学力テストは本当に,なんじゃ?っていう感じです。意味を考えているのか疑ってしまいます。またその学力テスト対策の勉強をするということに疑問を抱かない教員の不思議さ。小さな単位での成功例を無視して,東京都のような教育が一般化されていくのがこわいですね。わたしも犬山市の実践を読んで見たいと思います。それにしても歴史をなんだと思っているのか・・・ため息です。

投稿者 KAEKE : 2007年04月28日 00:01

KATEKさん。こんにちは。
安倍総理の教育改革は、どういう結果をもとめているのか、やっていることが理解できません。
人間の評価って、やっぱりテストやん。と思わされる子供は不幸です。犬山は教育を自信をもって進めているというように見えますが、今回のような形は教育行政の不安の裏返し、早く良い結果を出したいあせりに見えてしまいます。

投稿者 pianocraft : 2007年04月28日 14:45

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