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2006年09月21日
石垣島~台湾そして韓国
再プレスされたナミイおばあのCD「ナミイ!」
この間の日曜日、予定をやりくりしてやはり観てしまった。映画「出草の歌」hanaさんの後押しもあった。
京都の上映が6時30分からで、終了後に映画にも靖国神社の宮司に詰め寄る通訳の姿であった、徐桂国さんの解説があったので、濃密な時間だった。
映画「あんにょんサヨナラ」で韓国の靖国合祀反対のイ・ヒジャさんの訴えを観て、台湾の原住民(彼らは自分たちのことをそう呼ぶ)の靖国合祀反対の立場や運動をその人を知りたくて、この映画はわたしにとって一続きのものであった。
この映画の中でも、映画の主人公であるチワス・アリさんと韓国での靖国合祀反対のデモのときにイ・ヒジャさんは並んで立っていた。
台湾の少数民族について、私は本当に知識がなかった。50年にわたる日本の植民地下において皇民化教育を受け、高砂義勇兵として日本兵として戦い、命を落とし、靖国に連れて行かれた彼らの祖父たち、父たち。敵と一緒に合祀されている憤りは、まったく筋が通っている。
映画の主人公は、美しい、元女優で歌手の中心人物のチワス・アリさん、彼女もタイヤル族であり、多くの原住民と手をとりあって台湾での人権獲得のために運動を行っている。映画は彼女の姿を追うと同時にもう一つの大事な主役である、一緒に音楽表現で原住民の伝統的な歌を伝承していこうという「飛魚雲豹的音楽工団」のすばらしいパフォーマンスも追う。
彼らはもともとは、文字をもたなかった。歌ですべてを伝え訴える。その言葉や音を保存しようとしている。彼らは、靖国へやってきて歌で抗議した、大阪でも、歌い始めると、自然に誰かがリードしてその人の部族の歌をうたい、次々に人がかわり、旋律が変わる。その、歌のすばらしさは、会場で買ったCDを家で聞いてさらに驚いた。美しく、幻想的、惹きつけれる力がある唄。
歌に見知らぬ歌にこんなに惹かれたのは久しぶりだ。
台湾。ここにはナミイおばあにもかかわりがあった。日本占領下の台湾でナミイはお座敷を取り仕切り、日本兵相手に働きまくった。琉球の人たちも、日本人から切り捨てられた人たちだけれど、その台湾では別の世界もあったのだ。
おばあの住む石垣島から台湾は見える。本当に近いところにある島。
歌がつなぐアジアの歴史を垣間見る思いだ。
結局、人は歌を残していく。辛く、生きるのにしんどいから歌を歌いついで行く。私に歌が必要なのも、強烈に惹きつけれられるの何かを失っていて、補うものをもとめているからかもしれない。
映画は、ドキュメンタリーとして少し散漫になるが、圧巻なのは「歌」だ。このために、この映画はみてもいいくらいすばらしい。いま、「出草の歌」のサイトではCD販売もしている。心動いた方は聞いてみてください。
私が買った分は、1枚ものでしたが、ボックスセットらしいです。
そうそう、「ナミイと歌えば」が京都で10月に公開です。もう一回いってきますね。
投稿者 pianocraft : 2006年09月21日 23:42
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コメント
どんな歌なんでしょうね。文字をもたない文化のなかで,歌い継がれる歌というのは,日常のものでありながら宝でもあるんですよね。そういう文化があるということ,それは私たちにとっても宝のようなものだとおもいます。歌でなくそれが太鼓であっても。
投稿者 KATEK : 2006年09月22日 06:18
文字がなくても、文字があっても読めなくても、ゴスペルもそうですがコールアンドレスポンスで、掛け合って覚えます。
沖縄の唄も、歌自体は譜面で伝承されているわけではなく、師匠から歌い継がれます。楽譜や、文字などのように紙に残されるものは、残そうという後からの人間の努力かとも思えますが、そのメロディーは美しい響きです。合唱の重ね方が、倍音の使い方が独特なのか、心打たれるのです。
KATEKさんのおっしゃるとおり、宝物です。私たち街の人間の持たない、心の歌を持っている人たちです。
投稿者 pianocraft : 2006年09月22日 22:36