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2006年09月11日

9.11とイマジン

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朝日新聞社刊 自由訳 イマジン/新井満 訳

9.11から5年が経って、TVではいろんな特集が組まれていた。特に、ツインタワーの生存者が語るという形が、多いのかなという印象。
この日以来、世界がなし崩し的に紛争の中に放り込まれた。というと、傍観者のような言い草だけど。
この日本もしっかり、関わった「自衛隊を戦場へ送る」ということをしでかしてしまったのだから。

この自由訳イマジンを手にとって見たら、あまりにも平易なことばで、いろんな角度から新井満という人のジョン・レノンに対する深い敬愛があふれていた。
ニューヨークの街角で歌われた「イマジン」は、あきらかに「ゴッド・ブレス・アメリカ」より「祈り」に近かった。こころから、望む理想の平和。望んでも望んでもするりと手の中からぬけおちてしまう平和。

このような一節がある。

本当にあるかどうかもわからない
そんな天国に
わくわくさせられたり
そんな地獄に
びくびくさせられたり
そういうことって
ばかばかしいことだとは思わないのかい?

この苦しみを乗り越えると天国がまっている、あるいは、敵と戦わなければ地獄になると、甘いことばや脅迫、飴とムチでたくみに、メディアを使ってあおっているのは、誰か?
わたしたちは、自分の頭でよく考えなくてはならない。

クローズアップ現代で見た、アメリカの母親のことば。
「テロ以来、こどもの将来にまた、こういうことが起こるのではないかと恐れている」
これを聞いて、あきれた。本当の恐怖をあたえているのは誰?
今、イラクでは、大人も子供もいつ命を失ってもおかしくない状況に生きている。
アメリカは、恐怖を政治に利用している。いや、アメリカだけではない。日本も。
新しい自民党総裁選を前にして、憲法を変えようとたくらんでいる連中は、日本が他国から攻撃される恐怖とひんまがったプライドで戦争できる国にしたいらしい。

国は民を守らない。
人殺しを子供にはさせない。

日本の軍隊がそうであったように、世界の子供兵も「人殺し」が戦場で当たり前である感覚を植えつけるために、残酷に「殺し」の練習をさせた。そういうことが戦争。

わたしたちは、想像力を駆使して、放送されているもの、政治家の言葉、気をつけていなくてはならない。
わたしにとって、9.11はだまされないための教訓の日。

投稿者 pianocraft : 2006年09月11日 23:46

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コメント

9.11を単に「慰霊の日」にしないというのは,そして「だまされない日」としてこれからも,9.11を追求することは大事ですよね。わたしも,田中宇さんの9.11に関して書いた本を読んでみるつもりです。

投稿者 KATEK : 2006年09月16日 20:59

9.11がアメリカにとって「慰霊の日」というのはわかりますが、まだ、解明されていない謎も多くあり、政府発表も疑わしいという意見もあります。でも、この日から始まった、アフガン、イラクへの攻撃は世界をまた変えてしまいました。

「慰霊」という言葉に隠される事は、日本にも「靖国問題」の中にありますよね。

投稿者 pianocraft : 2006年09月16日 23:53

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