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2006年04月23日

音楽や音が伝えるものを考える

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映画「Touch the Sound そこにある音 」

金曜日にNHKの「英語でしゃべらナイト」を見ていた。この番組は前から好きだったのだが、放送曜日が引っ越してから初めてだった。この日の出演者はミュージシャンである。
途中から見たから、再放送(24日深夜①:10~1:40)で再チェックしなきゃと思うが、私が見たのは、AIのインタビューとエブリン・グレニーのところ。

AIのLAでの体験で、ゴスペルクアイア(聖歌隊)に所属していたということを初めて知った。確かアメリカ音楽高校を卒業していると思うのだが、その間の話だろうか。彼女は、たまたまアジア人のまったくいない教会のクアイアに参加したらしい。最初は打ち解けにくかったけれど、得意なダンスを教えたりしてどんどんメンバーと仲良くなっていった。

きっと辛い事や、しんどいことがあったのだろうけれど、ゴスペルの「つらいことはもう終わった」・・・これはよく黒人教会ではでてくる歌詞。アメリカで奴隷にされ、差別されてきた歴史を持つ黒人たちは救いを求めて、信仰をもった。そのように、癒されることばを歌いつづけることで、AIは辛いことを乗り越えてきたという。しんどい状況、辛い状況に置かれるほうが、信仰は深くなる・・・ようだ。(AIちゃんの信仰については不明)

でも信仰のあるなしに関わらず、音にのせた言葉は、こころにダイレクトに響くのも確かだ。
だから、信仰を深めるために宗教には音楽がつきものだ。
古来は(いまもかな)、音楽は信号伝達手段でもあった。打楽器をつかって。

もうひとりのミュージシャン。打楽器を自在にあやつるのは、聴覚障害者のエブリン・グレニーだ。
ドキュメンタリー映画「Touch the Sound そこにある音 」で日本にも来日している。なんと彼女の日本でのプロモーションの場所は「神社」だった。(記者会見のHPはこちら

インタビュー(映画のプロモーションの)から引用
<(音の)感じ方は、皆さまざまです。皆さんは今こうしている間にも、いろいろ考え事をしていると思います。音楽を聴きながら、音を感じながらも考え事をします。また、同じ環境で、違うことをしていると、いつもと違う音の感じ方があると思います。たとえば、床を歩いていても、靴下を履いているときと履いていないときでは、音の感じ方が違います。音は体の一部分で感じるものではなく、五感を通して、体に感じるもの。耳からだけではないのです。音は震動でもあります。>

音を何で感じるか?
ことばや、音の高低(メロディー、振動数)、音の大小、音色(波形)。この中には、意識していない部分がある。音の高低に関してだ。私は、調律師なので音の高低を操る仕事をしている。いわば、ピアノという楽器に決まった音の高低を与えるという仕事だ。
人間には聴こえる範囲、可聴範囲と調音可能範囲とがあるのでその制約にしたがって音をあわせている。でも実際には音には数々の倍音が含まれているのでその音を聴くことができなくても、振動としてからだは感じることができる。(聴こえる範囲の音でも、さらに聞こえない範囲の音も同時に共鳴しているので含まれている)

超低音、超高音など。
エブリンは五感に非常に素直に、感性を最大値に持っていって音を捉える事ができるのだろう。
私達は、目に見え、聴こえるものに頼りすぎて、感覚を失っているか、使わずにいるのだろうと思う。
彼女を通して、音に対して研ぎ澄まされた感覚を知りたいとおもいませんか?
映画の公開はもう始まっている。

投稿者 pianocraft : 2006年04月23日 16:53

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