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2005年10月02日
韓国の旅
韓国 安山市の学童保育と老人福祉施設
韓国の旅を忘れないうちに、書いておこうと思う。
今回の旅は、2つの目的があった。HJPクアイアメンバーとして、ヤンピョンドン教会の人々と再会し、コンサートを行う事。もう一つは、旧友と一緒に韓国で何かボランティアをしてこようということ。
テジョンが旧友、黄ちゃんとであったのは、10年前の阪神大震災後の神戸だった。彼は、韓国から東京に来ていて、神戸の地震があまりひどいのに居てもたってもいられず、何かできることはないかと、神戸に駆けつけた。
彼が手伝ったのは、震災後プレハブで建てられた聖公会(キリスト教のプロテスタントの1会派)の老人の給食センターだった。そこで、テジョンも仕事の合間の縫って、手伝った。給食をつくったり、近所のお年よりに届けたり、長田センター(給食センターの名称)で多くのお年寄りが来て、一緒に食べたり・・・そういうところだった。
そんななか、黄ちゃんは実は観光ビザで日本に来ていて、オーバーステイをしていた。何度か、みつかりそうになったが、まぬがれることもあった、だが、いつか見つかる時が来る。
大阪の都島に収監されて、審判を待つ。多くの支援者。ボランティア仲間、教会関係者が彼の人柄、ボランティア活動について、訴えたが、強制送還されることになった。つらい収監の日々を送って彼は韓国に帰っていった。そして、日本に再び来る事がとても難しくなった。
わたしたちが、韓国に行く事で彼とは会う事が出来た。特に、今回は、テジョンが久しぶりに彼に会えて旧交を温めた。
黄ちゃんは、韓国に帰っても、ボランティアをする場所を求め、いろんなかかわりをもっている。現在は、公園で仲間と歌を歌って募金を集め、障害児の施設や教会、老人福祉施設などに送っている。
HJPもコンサートで、共感して黄ちゃんの活動に募金を呼びかけているが、今回は彼の案内で、そういった福祉施設を訪問することが出来た。
てじょんと私は、手作りの楽器「一弦胡弓」と鍵盤ハーモニカをもって、施設に行った。子供達には、ストローで作った笛で、カズ-のような音なのだが、みんなで鳴らしてあそんだ。子供達は人懐っこく、日本語とハングルでどういうかをいいあいっこしたり、私は、知っている韓国語の歌をみんなと一緒に歌った。
*追記*この地域の子供達の家庭は貧しい。この施設に国の施策で、子供のためにコンピューターが5台ほど入っている。お陰で、PCゲームの順番待ちで、「国のやることはよくわかりません。」と黄ちゃん。家でPCを持ってないここの子供達は、熱中する。私たちが訪問した直後も、PCから中々離れようとしなかった子供達だが、音が出だすと、少しずつ子供は増えていった。ほんとに、楽しいことは、もっとたくさんあるのにね。
旅は、さらに進み、ウォンジュという街まで行く。
ソウルと違い、地方都市だが、人は結構夜遅くまで、繁華街にいて、にぎやかにお酒を飲んだりしている。ここで老人施設を訪問する。ここは、長田センターとよく似ており、昼食を提供する場所だ。
ここでは、日本円で20円ほどで昼食をたべることができるが、お金のないお年よりは、無料だ。ここでも、アリランを演奏したり、韓国語の歌をうたったりした。その後、ひたすら皿洗い!!これが本日の訪問目的だった。
70名ほどの食事の皿をあらって、いっしょにそこで活動するボランティアのオモニやお姉さん、お兄さんと交流できて、幸せだった。
こんな旅をHJPメンバーと離れてしていた。コンサートだけヤンピョンドンで合流。ごめんなさいね。もっと皆と交流したかったのだけど。
韓国で、黄ちゃんは、貧しい暮らし振りをしている。けれど、ほんとに豊かで、一本気で、いろんな場所に出没して、誰かを助けている。「独島のことを言う人は、右翼ですね。」と黄ちゃんは言う。
国も人も宗教も越えて、人が人を少しずつ支えあうことで、わたしたちは繋がっている。政治がどうであれ、歴史がどうであれ、その垣根をこえるのは、わたしたち自身のこころと行動だけだ。
有難う。黄ちゃん。カムサハムニダ。
投稿者 pianocraft : 2005年10月02日 23:14
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