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2005年07月29日

電車で行くと 

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いつもの夕日

仕事に行くのに、車で移動が多いのだが、大阪市内の仕事だったりすると訪問先が路地裏であったり、駐車スペースのない場合もあり、電車で仕事の道具を担いでいく。

そういう時に限って、人を見ていると面白い。(睡魔でとろとろしているときも多いけど)

今日は、座席に座って向かいを見ると、サングラスのみょうに落ち着きの無い、アロハシャツをはおった若くはない男が、携帯でなんやら申し訳なさそうに電話の相手に向かって喋っている。

なんか、困ってるんかな~とか思っていたら、となりに、小太りの若者が座った、なんだかその男ももうしわけなさそうに見える。「なんや今日は~」と思って考えたが、その若者は、髪が少ないがゆえかなんとなく所作が、しっかりしない。なにも、本人はそういうつもりでないのだろうけど。

その隣を見てみると、みょうに毅然とした若者、男の子である。でも、よく見ると、顔にいっぱいピアスがついている。

ふ~ん、街中には確かにうざうざ、おもしろい人がいるけれど、普通だけどなんで、目を引くのだろう??と思ってしまう。

電車男?みんなこころのなかに、電車男がいるんじゃないか?って思うね。

辺見庸さんが週刊金曜日の7/29号で「永遠の不服従とは」第4回で、書いている事で気になることがあった。「見られる側」と「見る側」の視点についてだ。
「する側」「される側」「被害者」「加害者」ものの表裏には、意図がある。
わたしは、見る側の人間であるとともに、見られる側の人間でもある。

一方的にどっちか側だと思うことは、間違いを招く。
つまり、わたしが気になった理由というのは、自分の中にある「何か」「見られる要素」なのかも・・・・


投稿者 pianocraft : 2005年07月29日 22:26

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