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2005年07月27日

天国へ行った 岡八朗さん

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川のゆうひ

先月から、身近の人の親、おとうさんだったり、おかあさんだったりが亡くなることが続いている。その中でも、昨日なくなった、遠い人のようで、近い人でもあった岡八朗さんのご冥福をお祈りします。

検索エンジンで「岡八朗」さんを検索すると、どれほどの情報があふれてくるか、やってみると一目でわかる。

愛されていた。わたしたちの世代は、学校から帰って、土曜日のお昼にご飯を食べながら、吉本新喜劇をみるのがいつものことだった。花紀京さんと岡八朗さんのからみは、実によく覚えている。
ギャグというものが、初めてコメディにおいて、キャラクターとともにむすびついて、いつも定番のおもしろさをこの方は始めた・・・といわれている。吉本の喜劇役者はトレードマークのギャグを必ず持っている。

この創始者であったというわけだ。

わたしは、自分の所属するハーレムJPクアイアというゴスペルグループで岡八朗さんの娘さんがNYで尽力してこのグループを立ち上げた事を、参加してから知った。娘さんが帰国し、岡八朗さんの「芸暦45周年」の舞台では、吉本の舞台でわたしたちが「ゴスペルを歌う」という機会をあたえてもらった。

貴重な再起をかかえた舞台。細く、アルコール依存症の克服という厳しい試練を乗り越えようとして、凛とたつ舞台に心は動かされた。

今日。通夜があり、明日、お葬式。メンバーの多くは式に出向いて、娘の裕子さんを支えるだろう。
わたしは、式場にいかないことにした。

わたしは、多くの岡さんの人生のなかで、出会い、あこがれのまととなり、時にはささえたであろう、芸能の世界の人々の中に身をおくことに距離をおきたかった。
裕子さんの心は、めまぐるしかった父の人生のように、今、たいへんな状況であろう。静かに、静かに、こころから遠くから、祈る事を許していただきたいと思う。

一人の命の重みは、どんなことがあっても、どんなに偉い人、ヨハネパウロ2世であっても同じである。
常に、はかなく、アフリカでもイラクでもアフガンでも日本でも中国でもアメリカでも、もちろん同じ。
おとなでも、こどもでも、軍人でも、一般人でも、貧しくても、富んでいても。

命は平等に一人にひとつ。

だから、大切に守って欲しい。テロでカウントされる死亡者は、数でなく、ひとつひとつであることを、スーサイズボンブで自分のいのちも引き裂かないで。

投稿者 pianocraft : 2005年07月27日 23:43

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コメント

岡八郎さんの死はテレビのワイドニュースなどで知りました、
身近な方だったんですね、
自分の母親が亡くなった時実感したのですが、
「死とはは生きざま、人は死んでも残った遺族や友達、
知ってる人みんなの心のなかでは生き続けている」
というか、「あの人はこんな事言ってたなーとか、
こんな時あの人やったらこうするやろなーとか、」
いつまでも語り草にされるような生きざまが残るのだなー
という気持ちです。
はなばなしく生きるというつもりはないけど、
みっともなく生きることはやめなければ、、、
と思ってます。

投稿者 ハナイ : 2005年07月29日 06:59

そうですね。近い人というより、意外と身近に出会った人という感じでしょうか?

「こころの中で生き続ける」というのは、ほんとですね。心の中には、色んな人が、自分の思い込みかもしれないですが、確かに「在って」支えてくれている時もあるような気がします。

亡くなっても、無くなっていない。そんな感じ。
おかあさんも天国で見つめていますよ~871さんが、八重山民謡を歌うのを楽しみにしてるかもしれない・・。

投稿者 pianocraft : 2005年07月29日 20:57

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