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2005年02月28日
歌う自由、歌わない自由
22日の朝日新聞で見た記事で初めて、幻の国歌「われら愛す」を知った。
同記事より引用 「1953年現サントリーが「国民の誰もが愛唱し、勇気づけられる歌を」と新聞広告で「新国民歌」を全国公募した。」
そして生れた、「われら愛す」芳賀次郎作詞 西崎嘉太郎作曲。当時は、ラジオ、歌声運動で拡がりうたわれたが、いつしか人々の記憶から消えた。しかし、一部の学校で歌われていたり、千葉県の幼稚園で
湾岸戦争が始まった90年から10年間合唱していたというから、驚きだ。
この歌をみなおそうという動きがでていて、「われら愛す-憲法の心をうたった“幻の国歌”」(かもがわ出版)がCD付きで発売された。
歌詞は次のとおり
1、 われら愛す
胸せまるあつきおもひに
この国をわれら愛す
しらぬ火筑紫のうみべ
みすずかる信濃のやまべ
われら愛す涙あふれて
この国の空の清さよ
この国の水の清さよ
2、 われら歌ふ
かなしみのふかければこそ
この国のとほき青春
詩ありき雲白かりき
愛ありきひと直かりき
われら歌ふをさなごのこと
この国のたかきロマンを
この国のひとのまことを
3、 われら進む
かがやける明日を信じて
たじろがずわれら進む
空に満つ平和の祈り
地にひびく自由の誓い
われら進むかたうでくみ
日本のきよき未来を
かぐわしき夜明けの風を
3月卒業式・4月入学式。この時期にこころがざわざわと騒ぐ。
自分の住んでいるところのことを、日本というエリアとよぶ。そこに住んでいるから、日本人というだけ。
このエリアで、魅力ある文化がそだったりしたならば、伝えればよい。間違いをおかしたなら、誠実にあやまり許しをこえばよい。と思っている。
誰かに、強制されて、音楽を押し付けられるのは嫌だ。なによりも、小学校の時に我が子が言い放った。
「歌いたいと思わない歌は歌わへんだけやん」そのときの多くの仲間とともに歌わなかった。「歌」としては勝手に「国歌」に決め付けられた。例の君が代である。
「われら愛す」が聞いてみてどうなのか?それは、この本を手に入れてから、また、書くことにしましょう。
人は歌をうたいたいときに歌うものです。義務感で歌うものでなく。
そんなこころの奥底のことまで指図されるようになったら、恐ろしいって思いませんか?
投稿者 pianocraft : 2005年02月28日 23:03
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コメント
こんにちは。
> 人は歌をうたいたいときに歌うものです。義務感で歌うものでなく。
> そんなこころの奥底のことまで指図されるようになったら、恐ろしいって思いませんか?
まさにその通りですね。
東京都を始めとした地方自治体では歌うことを義務づけているようですが、本当に恐ろしいことだと思います。
投稿者 喜八 : 2005年03月01日 14:26
私は校歌がきらいでした。高揚したくもないときに無理やり高揚させられるのがいやだったのだと思います。この記事を読んで、そのときの気持ちを思い出しました。もうずっとそういう歌と無縁だったんですね。
自分も歌いたいときに歌いたいです。
投稿者 eirakusan : 2005年03月01日 20:49
喜八さんこんばんわ。
そうそう東京都は、怖いですね~。先生達も処分されてたしね。自治体によっても、違うでしょうが、もうそういう問題でなくなってきましたね。
なぜ、こうも簡単に「国民の総意」だとか、決められちゃうんでしょう。こんなに、自分が国民なのか不確かに思ってしまう政権てなかったなぁ。
でも、傍観者を決め込まないようしなくちゃと自分では思ってます。
投稿者 pianocraft : 2005年03月01日 23:46
eirakusanこんばんわ。
わたしも自分の学校の校歌って、意味はあんまり感慨深くなく(すばらしい校歌も、あるでしょうが)、地域の特徴を歌ってたりするご当地紹介ソングみたく思ってます。
べつに楽しげもなく、覚えてしまった小学校の校歌を今も歌えるってのが、照れくさいですね。でも、覚えてるのは小学校のだけ。人生で一番歌う機会が多かった校歌なのでね・・・
昔はね、意味もわからなくフレーズとリズム感だけで歌ってた歌も多いけど、年のせいか、歌詞がみみにつきますね。英語の歌も、きちんと意味を考えずに歌ったりしてね。えらく恥ずかしい歌だったり・・・。
好きな歌を歌いましょ。それがすべてだ。
投稿者 pianocraft : 2005年03月01日 23:53