沖縄日記1
アブチラガマ
この連休は沖縄に三線の用事で出かけた。が、その初日に用はすんだので残りの時間を使って気になるところを巡った。
このガマを訪ねる前、朝一番には南部の聖地「斎場御嶽」でさんぐーいをくぐり、久高島の拝所から、この旅の無事とこの沖縄の地を踏ませていただくことを感謝してドライブをスタートした。
南部にはグスクなど、史跡も多いが今回の行動のテーマ「66年前の沖縄戦から今の戦争を巡る」ために「アブチラガマ」を訪ねた。
アブチラガマは、南部観光センターで見学を申し込む。「斎場御嶽」から電話を入れ、見学ができるか尋ねた。一人の見学なので、ガイドを勧められる。
南部観光センターで、ガイドさんの申し込みと、懐中電灯を借り、ヘルメットをつける。まず説明のビデオを見てから、実際のガマへ向かう。
ガマの入り口でガイドさんと一緒に、祈りをささげた。大阪からきた私の名と、今日どうぞここに入らせていただくことを許してください。と、ここで亡くなったた多くの人々に私が入ることを告げたわけだ。
ガマの入り口はとても狭い。ヘルメットに守られながら、かなり急な下りの細い穴をからだを縮めながら入る。暗い。中はまったく光を通さない。ここがどれくらいの高さなのか、足場も鍾乳洞なのでぼこぼこしていて不安定だし、入るだけで不安な感じにさいなまれる。
沖縄にはガマが沢山あるが、沖縄戦においては集団自決の場になったところもあれば、アブチラガマのように日本軍の司令部として内部を構築されたり、病院としての機能をもたされた場所もあった。戦争の体験はそれぞれが、違うストーリー、違う悲惨さを持っている。ガマ内部ではひめゆりの高校生達が傷病者を手当したり、多くの病人の排泄物や、手術ででる(多くは切り落とさないといけなかった手術)人の一部なども毎日、何度も外に捨てに行ったという。
重症患者が多く収容されたために、医薬品も尽きた状況では、捨て置かれた兵隊達は、生きながら暗闇で痛み、苦しみ、死を待つのみであったという。
もちろん、近くの住民も避難していたが、一番危険な入り口の場所で盾にされるがごとく配置されていた。
苦しくて、話したくない生き残りの人々は、重い気持ちをもってしかし、使命感をもって66年前の地獄を伝えてくれている。
その場に立たなければわからないこと。ガイドさんのおじさんやおばさん、観光センターの受付の人のお父さんやら、すぐそばで今も暮らす人々が、想像出来ないくらいの大きな苦しみを抱えて生きている。それは、簡単に共有できるものではないけれど、その場に立つことで、恐怖は容易に想像ができた。
伝えなくてはならないこと、沖縄だけが経験した戦争。敵見方関係なく、傷つき、トラウマを抱えなければならない戦争を否定する気持ちの強さは、沖縄にはあった。