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2010年09月 アーカイブ

2010年09月04日

模様替え

9月になり、暑い暑い日常への不機嫌と、苛立ちが爆発して、3日ほどかけて部屋の模様替えを行った。

8月は、盆の間中も仕事をしていたので、気分を替えたり、旅行にいったりと全くしていないずっと続きの日常に変化をもたらしたかったのだ。

処分したもののある。デスクトップパソコン、ラックなどおおきくてかさばっていたもの、いらなくなったマニュアルや、関連のあれこれ。でも、処分しながら、想い出を少しは振り返る。ものを捨てないと、人は生きていけないのだけれど、捨てる時にはモノそのものよりも、買ったときの状況を思い出して、しばらく立ち止まってしまったりする。

けれど、おかげですっきりした!リビングからキッチン周りまで配置を変えると気分が良くなった。

これから、秋に向けてやらねばらなることと、楽しいことの両方が待っている。それに向けて心のウオーミングアップになっただろうか・・・・

今日、新聞でデジタルデータ遺物のことが書いてあった。私も父の残した楽譜データとか写真がたっぷり入ったパソコンを手付かずのままにしてるな。
消せないデータ。いつも座っていたそこを見ると切ないから。
私の書き散らかした文章は、死んでもネット空間を漂い続けるのだろうね。
サーバーの期限のあるまでは。
その後は跡形もなく消えればいい。

でも、残されたものはその人の言葉を知りたいと思うときもある。一体、どんなことを考えて生きてきたのか。その片鱗を拾い集めたいから。

父が最後に持ったペン。力が入らなくて書いてもらえなかった。何を書き残したかったのかな。知りたいな。

2010年09月07日

ヤスクニの中の民間人

朝日放送のテレメンタリーを見た。
「英霊か 犬死か~沖縄から問う靖国裁判」

番組概要(HPより)

国のために命を捧げた軍人軍属246万柱を「神」と祀る靖国神社。そこに沖縄戦で死んだ民間人6万人近くが祀られている。なぜ軍人でもない沖縄戦の犠牲者が「英霊」となってしまったのか。無断で祀られた家族の名を祭神名簿から消してほしいと、沖縄の遺族らは国と靖国神社を相手に裁判を起こした。そこには、国が戦後補償のような形で整備した「援護法」で、援護金をもらうと民間人も「準軍属」の扱いになるというからくりがあった。

制作:琉球朝日放送

沖縄靖国訴訟の原告である彫刻家で反戦平和活動家 金城実さんの強烈で印象的な自らの父に対する思いを語る言葉は、ひりひり痛いように私には感じた。
父は、志願兵であり、周りの人々をけしかけて率先して戦争に巻き込んだ立場の人間だったと言い、母に「父は犬死だ」と言葉をぶつけた。
その父は、靖国に神として「・・・・命(ミコト)」と名づけられている。でも、父は底には居ない。と金城さんはいう。

一方で、民間人の戦争犠牲者も、靖国に軍人にさせられて(名前だけ)祭られている。
当時、沖縄戦の惨状に対して、表に見えない形で戦後補償のかわりに沖縄の各地域にとりまとまてもらって、民間人でも補償の対象になる人を人選して、国に提出したという。その人の遺族は援護金を受け取ることができたので、結果として軍属として神の名前をつけられて、多くの沖縄の民間人は祀られている。

無断で行われた合祀を取りやめて欲しいという遺族らの裁判が沖縄訴訟だ。

それは、イ・ヒジャさんや台湾の高砂義勇隊のチワス・アリさんたちのものとも結びつく。

靖国は、遺族の心の慰安のためにあり、遺族に犬死と思わせない、感情の自然な流れをつくるためのものでもあったというようなことを高橋哲哉の「靖国問題」(ちくま新書)に書いてあったと思う。その仕組みにのっとって死の正当化があったのか。

釈然としない。戦争の犠牲者の民間人は、特に沖縄戦で奪われた無為な死はどうやっても報われない。魂がヤスクニにいくなんて沖縄の人たちは信じないだろう。
先祖信仰の深い沖縄の人々。神はもっと身近にいる。

2010年09月10日

八重山のキラキラした高校生

NHK BS2で今夜放送された、「熱中スタジアム」を観た。
番組内容は、HPに詳しくUPされている。
とてもすてきな内容だった。

八重山農林水産高校の子供達。郷土芸能部では、民謡を踊り、三線を弾くのが好きで好きで仕方ない。

石垣島にある、この高校生達の生活は、部活だからではなく民謡が生活に密着している。部活が終った帰り道、お父さんを見つける子。ハーリー(伝統的な祭り)の準備をしている姿。八重山は歌の島ともいうが、祭りもまた多い。

そんな生活は、私の日常にはなく・・。やっぱり、ぐっと惹きつけられる。
高校生ってこんな顔してたっけ?意外な感じをもつくらい美しく、キラキラ輝いている。
若い彼らの張りのある、歌声も、合いの手の声もすばらしい。
三線がごはんより好きという、体格のいい男の子。

楽しい、観てる聞いてる人たちを喜ばせるためにやるんだという部長の言葉も本当の音楽のありようを考えさせられた。
人は、なぜ歌うのか。音楽はまず自分の中から生まれるものだと。

途中で、紹介される「ゆんた」を田んぼで歌っているシーンがいい。
労働歌である「ゆんた」。この歌が民謡のルーツになるようだ。
男性と女性、掛け合って仕事する。

黒人音楽で綿畑で生まれた「コールアンドレスポンス」を彷彿とさせる。
生活から歌は生まれる。

ラジオやCDやネットから流れる音楽だけが音楽ではない。

2010年09月13日

リレー・フォー・ライフ芦屋~歩いて歩いた~

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週末、がん患者(サバイバー)、家族、支援者などが「がん」を関わる人々が互いに孤独にならずに勇気をあたえられるように、お互いを語り合ったり、「がん」に対する啓発を行うイベントに参加した。

新聞記事
神戸新聞 http://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/0003425509.shtml
毎日新聞 http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20100905ddlk28040223000c.html

どうやって参加するかといえば、参加者は土曜日の夕方からリレーで夜通し歩き続ける。もう1つは、ランナーとして夜通し走り、走った周回によって募金を受け付けている。ABCの三代澤アナウンサーも昨年に続きチーム参加していた。(私は、お会いしなかったけれど。)

私も、歩いた歩いた、チームフラッグをもって、ちいさいチンドン太鼓を鳴らしながら友人達のリコーダーに合わせて楽しく歩き、休み、休み、歩き。

昨年は車椅子で参加していた、とても強い心をもっている美しいサバイバーの女性が天国に行ったと聞かされた、追悼の会の端っこで思いを聞いて共有させてもらった。彼女との一瞬のかかわり、すれ違いのような出会いの中でさえ、「残された人生を生きる」明るい言葉に本当に末期のがんでありながら美しく生きていた姿を見て、父にこんな風な人がいるんだと伝えたことを思い出す。その父も今は同じく天国に行った。

「がん」ほど、不思議なイキモノは知らない。自分の中で毎日生まれ変わる細胞の中で生まれる変なヤツ。いつか命まで奪う。
なので、がんが自分の体にいることを見つけたら、闘うのか、共に生きるのか、負け越して命を捕られるのか。どうなるか分からない。けれど、リレー・フォー・ライフで繋がった絆は延々つづく。この場所は、多くの人にとってとても重要な、居場所なんだと。

最後まで良く生きること。死んだらあっさりと儀式から開放され、土にまみれることが私の希望です。

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