癒しの人
いつも行き当たりばったりに、人と出会い、高揚し前に進む。
なまけてだらしなく、時間をやり過ごしたりもしながら、時間を重ねてきた。
年始は、うんと薄い時間を過ごしているという感じがしている。
やらねばならないことを持たない時間。
そんな薄い自分と、薄い気分の中にいるとき、年の暮れの深夜に佐藤初女さんのドキュメンタリーの再放送を見つけた。
ガイアシンフォニー第2番でも有名な87歳の癒しの人。
食を通じて、大切に素材と向き合い、丁寧に食に変貌する命をいただくことで人を癒してくれる人。その存在そのものが、大きく不思議な魅力。
初女さんのおにぎりは、特別なものだった。けれど、誰にでもそのおにぎりを握ることはできる。初女さんの癒しは拡がる。その人を慕う人は、救世主のように思い、伝道していくようにも思う。
一度ご本人の講演会に参加したいと思った。
友人から、聞いていたけど。そんな人ほど、ごく普通のおばあちゃんのたたずまいなのだった。
私は、追い詰められて息もできないくらいの体験もしたことはないし、癒しの救世主を求めてはいないけれど、どんな人も、会いたいと思わせる。
それは、無条件に愛をもって受け入れられるという体験を求めているからかもしれない。
話を変える。
私の元に今年は年賀状はほとんどやってこない。昨年暮れに、お知らせのつもりだけで喪中ハガキをだしたせいでだ。けれど、気持ちは「喪」中にない。
喪というのは、死者を出した家が「ケガレ」ているから世間と遮断して生活するという発想の伝統的な考えだとネットで調べて知った。以前から清めの塩も「ケガレ」てないから使わない主義だったから、喪中ハガキも悩んだ。
けれど、知らせたほうが手間が省けることもあり、現実的な判断で行った。
初女さんの元には、身近な死の悲しみから立ち直れない方たちも多く訪ねるという。
私としては、亡くなったものは側にいつもいて、私の姿を見ていると思っているけどね。なので喪はナンセンス。生きた先にある死を、断絶することは誰にもできない。
命をいただき、命につなぐ。
続きはまかせて。