ナミイの唄とココロ
2009.6.29 京都 ネガポジにて
実に不思議なご縁で、浪さんの関西ツアーをお手伝いした。
浪さんのそばにいた時間は宝物となった。
言葉も、ココロも一杯になり、中々書くことができなかったが、少しずつ・・・。
5月の初めての出会い(那覇のコンサートに聴きに行く)から、ひと月と少し。再び大阪で、浪さんと会うことができた。
実は浪さん、6月の大阪公演の前に大腿骨骨折をやってしまっていた。6月1日手術。大丈夫なのか?
といった状況で、不安を抱えつつも、石垣島へ行っていた今回の主催者、清水彩月さんからの「OK」の返事が来て本当にやってきてくれるんだ~~とホッと胸をなでおろした。
関西空港へ迎えに行きご対面、「あなたは那覇で会って、風のようにどっかへ行った人?」と「めずらしいさ~」確かに・・。あの時は、コンサート終了後の飛行機で石垣島へ飛ぶ予定だったので、あまり時間がなかった。だが、何故か今車を運転している私を見て、不思議だと思って当然だ。
そして、来る前に風邪をひいて、声がでないことをとても気にしていた浪さん。車の中で、発声練習を始める。すごい。このプロ根性。並みの89歳ではない。
こうして家来の時間が始まったのだが、明るく、おしゃべりの好きな浪さんは色んな昔の話、唄の話をしてくれた。浪さんの唄は、八重山や沖縄の民謡から、お座敷でよく歌っていたヤマトの流行り歌やら童謡、ときには「you are my sunshine~♪」と急に思い出して歌ってくれたりしてびっくりしたが、ともかくどんだけ知ってるのかわからん。
けれど、ライブで唄うときは、歌詞を大事に説明する。うちなー口の唄のときも、古い唄のときもその唄の主人公がどんな物語に生きているのか丁寧に話す。ナミイのデンサー節も、小さい時に辻町に売られた時からのストーリーを「今は泣かずに唄えるけどね」と前置きして唄い始める。
沢山の悲しい唄も、泣いて唄った。お座敷芸者、浪さんの唄は、プロの芸と思っていた、確かに「お客さんを喜ばせる」ことに心血を注いだ本当のプロだけど、それだけではなく、「唄って」生きてきた。ということの重みは、その唄の中にあるココロを伝える。とも言うべき魂に迫るものだった。
やはり、ソウル。ブルース。ゴスペルでさえある。私のずっと聞いてきたルーツの音楽。迫害された黒い人たちの魂の唄に惹かれてきたのと同じ感覚を味わった。
浪さんは、直接的に、苦しさを唄うわけではない。けれど、沖縄の人たちがどこへ離散し、移民になろうと唄を唄い続けて、歌詞も変異させて、自分のものとしてきた唄と三線の歴史を思うと、より隠された、強い思いがそこにあるように感じる。
唄はココロである。
ご先祖のカミサマは、それを守り、浪さんはいつも感謝と祈りをかかさない。
そうして、唄い続け、ココロを多くの人に伝え続けるナミイ。やっぱり大好き。すごい。
また、お会いしましょうね。遊びましょうね。
次の幸せな時まで、私は私の心を歌えるか試してみます。