ナミイに出会う旅 1
大阪・京都での浪さんのコンサートチラシ
気がつけば、5月はもう終わりに近づこうとしている。インフルエンザのおかげで、ヒステリックな空気がニュースからただよう。
5月はどどっと、連休から始まった。その頃、私は連休明けからの旅の準備をしており、心の中は旅のことでいっぱいだった。
そして、5月9日から、那覇~石垣島へと旅にでた。
そもそも、この旅には大きなテーマがあった。5月10日母の日、那覇の桜坂劇場でナミイさんの映画・ライブとお話の会があることを知り、4月に行くことを決意した。ナミイさんのことは、映画「ナミイと唄えば」で、おばあの魅力にとりつかれ、本、DVDは、もちろんのこと、CD、プライベート録音の私宛のカセットテープ録音(おばあ自身による宅録)と手に入れ、ホントのお座敷を見たいな~~、一緒に遊びたいな~とずっと思いがつのり、ようやくたどり着いた旅だった。
初めての沖縄だけれど、行くならばナミイの人生に触れた場所(映画に登場する)を訪れてみようと思った。
那覇では、9歳で辻に売られ、三線をたたきこまれた辛い日々から逃げたいと、崖に行き、そのままころんと落ちて死ねたらと思ったその場所。波の上宮。崖に立っている大きな神社だった。となりには、対馬丸記念館がある。そこで、カミサマに助けられた小さいナミイ。私と友人の二人も「よくぞ、ナミイを助けてくださいました」とお礼のお参りをしてこの旅はスタートした。
波の上神社の裾野に広がるラブホテル街、辻の町に程近いという。
その後時間の許す限り、レンタカーを飛ばして(沖縄では、飛ばしてはイケマセン。ゆっくり走ってる車もちょくちょくあるので、流れにまかせます。)平和祈念公園へ行き、祈る。
午後、国際通りから一本入ったところにある桜坂劇場。何だか、開演前なのに人がたむろしてる。
凄いな~おばあは有名人だ。この映画が公開されて、二年ほどたつのでおばあは89歳になっている。
さて、どんな声を聞かせてくれるのか、楽しみでしかたなかった。
映画が先に上映され、新城浪さんが登場!! 一番前のかぶりつきに陣取れた私達は幸せ。
表情、カタカナの歌詞ノート、声、三線の手。すべて見える。
映画でみたときと、全く変わらない艶のある声と、するどい三線さばきに感動した。来てよかった~
ライブ後のインタビューコーナーで聞いてみた。「大阪にきてくださいとお願いしたら、来ていただけますか?」「・・・・来月、行くことになってたんじゃないかな~、そういうのは娘がみんなしてるんで」
「えっ!!来月、いつ、いつ、どこ?」と聞くと、娘さん「あ~今、予定を持ってないので」とのこと。
終演後、浪さんの娘さんに聞いてみた。分からないから、私まで連絡します。と・・・。嬉しい、連絡くれるんだ。板三線にサインをしっかりもらい、また来月お会いしましょうと言って分かれた。
私達は、夕方の便で石垣島へ飛ぶ。
その時、ある男性から声をかけられた。
「大阪の学校のときの・・・」「えっ~!調律学校の同期の〇〇君!?」
何でこんなとこに・・・。彼は、大阪で調律を学び、地元へ帰り、その後ドイツでピアノの修行をしてその後石垣島で5年暮らし、今は那覇で陶芸作家になっていた。これまた数奇な人生だが、その奥様が浪さんが石垣で通うデイサービスの元職員さんで、浪さんのお友達だった。ステージで被る花帽子は、彼女が作ったものだったし。
1つの縁が、もう1つの縁に次々繋がっていく不思議を感じて、大急ぎで挨拶をすませ、那覇空港へ向かった。(続く)