五十嵐大介 作 「リトルフォレスト」
音楽繋がりの友人にふと借りたコミックは、五十嵐大介という漫画家のものだった。私は、コミックには疎く、この人がとても評価の高い作家と知ったのは、借りた本をみんな読んでから、「どういう人なんや?」と疑問をもって、ネットでチェックしてから・・・。
これは、田舎暮らしの中で自給自足をする主人公の生活ぶりを描いているものなのだが、そこに毎回登場する食べ物、季節ごとのその土地で食べられている料理や保存食のレシピも見事だが、農業と言うのがどういう苦労を連綿とつづけられた上に成り立ち、私達の食を担っているのかといった部分をしっかりと描いていることにも驚いた。作者は、3年ほど岩手県に実際に田舎暮らしの自給自足を行っていて、自分で実際につくっているらしい食べ物の写真を載せている。
この物語では、田舎の生活というものが、人間の都合ではなく自然の都合に合わせて成り立っていることを感じさせてくれる。けれど、農業そのものは、人間が自然の中に入って行っている、不自然な作業であるともいえる。耕作しない状態が自然なのだから。
中でも、命を頂くという行為についてもちゃんと描かれていて感心した。例えば、アイガモ農法について。これが、農薬を使わない農法として行われていることは、私も実体験でしってる。丹波篠山で畑遊びをしていたころ、有機農法を行う知り合いの田んぼでよく子供と見てた。アイガモが行ったりきたりして、子供達はそれを見て喜んでたもの。けれど、そのアイガモはいつかは、フレンチのお店に行くのもしってた。
「リトルフォレスト」では、そのアイガモをつぶすところも描いている。つぶして、ちゃんと美味しく食べる。
命を奪うことが、私達の命をつないでいる。私達は見えないところで誰かが代わりをしてくれているから、見ないでいるだけだ。農家の生活は、命を育てるのにとても労力をかけている分、もったいないところがないようにちゃんと最後まで使いこなす。
分かっているけれど、街の暮らしでは見えないことが多い、というか、自分の身の回りだってみえてないだろうけど、日本の国で酷い目にあってる例えば岩国の人とか、沖縄の人とか、六ヶ所の人とかその土地のこともできるだけ、知ろうとしたい。
さて、私はというと昨夜、漬けておいた大豆を煮て、つぶし、去年仕込んだみそが簡単な上になかなか良い仕上がりだったので今年も仕込んだ。夏を経て、秋口にようやく食卓に上げることができるみそ。
大豆と塩とこうじ。コレだけ。不思議なもんだ。
そうそう、借りたコミックのもう1つは、同じ作家の「魔女」というやつだった。
こちらは、不思議な話なのだけれど、人の作った身勝手な「信仰」というとらえかたが、なかなかのものだった。しかし、「自然」というものに繋がる世界観は共通テーマか・・・とも思った。
食べ物の好きな人は、「リトルフォレスト」は面白いと思います。