トラウマの街
報道が、一色。血の色に一色。
これを観ると、心が痛くなる。
秋葉原の事件の影響は、おそらく多くのあそこに出かける人達、TV報道を見た人達にも深い傷を与えたように思う。
TVの報道は見ない。朝はワイドショーのチャンネルを替える。
あの事件のあと、ナイフのシーンのドラマは放送を中止したと新聞で見た。
当然だ。
私の友人もナイフで殺された。その後、ナイフの暴力シーンは見ない。観ることができない。
そのように、その場にいなくても充分に傷つく。報道は、それをもっと感染させるだろうと思う。
私も社会学を学んでいたが、センセーショナルな事件があると分析を試みる社会学者、心理学者、評論家または、無責任なTVコメンテイターがいるけれど、事が起こってからはいくらでも理由付けされるというものだ。
人は理不尽なことを理解したい。どこかで決着を付けたいという欲望をもっているのかもしれないが、どんな言葉も、聴きたくない。どこかの政治家がそれを野党のせいだとか言っているようだけれど、たまたま猟奇的な殺人事件と通り魔事件の容疑者が派遣社員だったことで、すべてを物語っているわけでもない。
教育大付属池田小学校の事件が起きた時、友人がため息をついていた。
精神障がい者のサポートをしている友人は、あの事件の報道をみてメンバーさんの心の状態が悪化したという。自分もするのではないか?という不安が襲ったというのだ。彼らは、サポートを受けていて、医者にかかっている落ち着いた人々だ。けれど、統合失調症の人達は、報道を見て落ち着かなくなったなったそうで、友人は「みんな調子悪なって、困る」といっていた。
人や事件や出来事を平たく、簡単に考えるのはやめたい。
けれど、今回のことで「死刑求刑」を求める声もまた、一層聞こえてきそうだ。
このトラウマをどれだけの人が抱えているのだろうか?
すると、戦場の地で人はどうやって生きているのか?強烈な虐待は、その痛みを脳が隠してしまうように、我々も麻痺させて生きなくてはならないのか?