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2008年03月 アーカイブ

2008年03月04日

あなぐらから出たい。

あっという間に、2月が過ぎた。
KATEKさんのブログを読んでいて触発された。穴倉からの脱出。

2月から3月にかけて、仕事で言えば「学校調律」のシーズンだ。世の常にならって、道路工事とおなじように(でも学校調律は年間予算でちゃんと組まれてる)年度末だからか、学校周りが忙しい。
この季節、ひとりぼっちで体育館で「ぽ~ん、ぽ~ん」とピアノを鳴らしているとよけいに寒さがこたえてしまう。
また、汚いピアノも学校には多く、大事にされてないからか体育館の壇上には緞帳がどかっと乗っかったピアノもあり、少々不機嫌にグランドピアノを押したとたんに、左手首を変にひねってしまった。
左手は打鍵するために、冷たいままだし、タッチを整えるのに重いアクション(機械部分)を引っ張り出したりするのに、左手に気遣いながら(でないと時々、ビキッと痛みが走る)仕事をこなした。

別に学校周りが穴倉生活なわけではないけれど、年度末には特有の総会シーズンを前にした、事務的な仕事(役回り)が私にはあって、その準備も重なり、おまけに、おまけに。年老いた家族の不調でまったく、ぐるぐるまきにされた感じの日々だった。

そろそろ春の兆し・・・。か。黄砂も飛ぶ、花粉も飛ぶ日々に、まだ、ぐるぐるまきにされつつも、穴から這い出そうと気分になってきた。

借りたDVDも見れずじまい。そんな日よ、さようなら。

よく訪ねるブログでは、日々ニュースが更新されていく。こういうとき、もういい加減でなきゃな・・・と思います。

今日のNHKの7時のニュースを食事の支度をしながら、音声だけを聞く。
オープニングテーマがながれたとたんにヘッドラインを伝えるこえの第一声が「中国が軍備を拡大している」というものだった。「えっ?」これが今日のトップなん???
穴倉の中にいても、センサーは張っている。

おかしいなと思う気持ちは、捨てないよ。

2008年03月10日

燃やさないで

今日3月10日で東京大空襲から63年目を迎えたという。1945年3月10日、東京は燃えていた。
今夜は、9時からのTBSのドラマを途中から見た。「3月10日東京大空襲」という。石川光陽さんという人が警察の警務課写真係として東京大空襲の記録を33枚の写真に残した。この人を軸に、ドラマとドキュメントをあわせた番組だった。

この33枚の写真のみが、地上からとらえた東京大空襲の写真記録。
黒く焼け焦げて、まるで木が炭化したような人型の死体。子供のものもそばにある。
隅田川に重なるように亡くなった多くの人々。
2時間半もの無差別爆撃。

この空襲で落とされた焼夷弾は、米軍が東京大震災での被害状況を参考にして、火の周りを考え、春の強風の影響も考慮されたという。隅田川周辺の被害状況は、震災のそれと重なるのはそのためだという。知らなかった。

私の母は大阪空襲を経験していて、焼夷弾から逃げ惑ったことをよく聞かされていた。町をなめるように焼いてしまう。逃げる場所を奪う地獄。

この攻撃で米軍は、その後の戦争で使用するナパーム弾、クラスター爆弾の開発に役立てた。
今もなお、被害を増やしている空爆。クラスターをもつのは日本も同じだ。

私にとって、燃やさないで欲しいというのは、それだけではなかった。
実は、昨日のやピアノを燃やすパフォーマンスの報道を見て感じていた。
昨日、山下洋輔は、35年ぶりにグランドピアノを燃やしながら演奏するというパフォーマンスをやっていたのだ。35年前の1970年代、何かを壊すパフォーマンスが流行っていた。
コンサートでオノでピアノを叩き壊すとか、ギターを半分に叩き割るとか・・・・。
私にとってもともと破壊というのは、嫌な感じがする。スカッとするとか、そういう気分になれたことはない。

ピアノは点火されて、せいぜい10分しか、音を鳴らさなかったという。
いくら、いらなくなったピアノとはいえ、燃やしながら弾くことに何の意味があるのか。意味がないのならば、ピアノが生かされる次の人生をどこかで考えることができないのか?・・・
国を越えれば、一台のピアノが誰かの心に届くこともたやすいかもしれない。
どんなものも、命を終えるときに生きながら焼かれて絶えていくなんて残酷である。

東京大空襲をテーマにしたドラマは、日本テレビ系列でも3月17日、18日と放映される。

2008年03月13日

心を育てる学校~先生の号泣

今日は、子供の卒業式だった。おそらく、この先、卒業式に出ることがないような気がする。

高校生という時代を公立高校に反発し、もう一つの学校へと居場所を変更したわが子。
そこにくる親も子も、初めは重苦しい気持ちを引きずってやってくる。敗北のように、うまくいかなかったから生まれた選択肢。
初めから、積極的に選択した子供も中にはいるだろうけれど、多くはいろんな問題をかかえつつ、先に進むみちを求めてやってくる子供たちだ。

この学校は、自分がかかわりを持とうと思えば、しっかり手を差し伸べてくれる。それがしにくい状況の場合は、スキを見計らっては、子供を誘ってくれる。なので、学校生活では個々ばらばらに、子供どおしが繋がって、連帯して、一つの社会を作り上げているのではなく、個対個の付き合いになっていく。
それは、先生とも同じで、そのせいでたとえ一年だけ通った子でも、2年通った子でも、ひとりひとりのなかに刻まれたものが残る。先生たちはおそらく、成長する、変化する姿というのを目の当たりにすることになるのだろう。

心の根っこの部分をしっかり育てるように、そこを見つめていよう。結果として付いてくる進路の選択や、不選択、迷いの中へ生きていく道、そのどれも、過程であり、現在の結果でしかない。
大切なのは、心で感じ、考えて生きていくこと。それを、先生たちからも気づかされるときがある。時に親はあせったり、良くない状況は早く脱したいと、本人が苦しんでいることを忘れて、自分の解放を望んでしまっていたりしたこと。

数々、思い出したりしてみた。

旗もない、先生と生徒の卒業式。親は見守るだけだった。式の初めから号泣の先生。
こんなふうに、関わってくれる大人と出会えて幸せな子供たちだと思う。
ほとんどの先生が若く、子供と対等につきあってくれている。だからなのか、どの先生も、声を詰まらせてどこかに残った、子供たちの個性的なカケラを思い出してくれてたのだろう。

さて、愛されていることを改めて知った人間は、次は、誰かにバトンを渡して欲しい。

2008年03月19日

映画「靖国 YASUKUNI」上映を

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ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」
監督 李纓(リ・イン)

靖国をテーマにした映画が上映をめぐって、話題になっている。
東京の新宿バルト9では上映の中止が決まった。事前試写会を議員に向けて行うなど、配給会社は気を遣っていると思うが、その感想は偏向があるという人もいれば、むしろ靖国賛美が6割と言う人もいる。それは感じ方の違いであって、これで右翼の圧力を考え上映を中止したりするという理由ははおかしく感じる。

新宿の映画館は、Asahi.comによると>「色々と話題になっている作品。問題が起きればビルの他のテナントの方への影響や迷惑もある。総合的判断」と答えている。
この映画館はシネコンだそうで(関西在住なので知らない)、こういうところで上映されことになっていたのは珍しいことではあるけど。

まだ、上映が未定とはいえ、大阪では十三の第七芸術劇場が5月に予定しているとある。
是非、見てみたい。

本当は、知らない靖国。
そんな気がする。
特別なところで、タブーになるところ。8月15日は異様な熱気を帯びるところ。
私はここを他の映画で何度か見てきた。
「草走の歌」、「あんにょんサヨナラ」、それぞれ台湾、韓国のお父さんの合祀をやめて欲しいという願いをとらえた場面でだ。

私たち日本人はやっぱり、戦争責任をそれぞれで考えてこなかったのだと改めて考える。
東京裁判のために不都合な資料を焼却したから、忘れてしまったわけではあるまい。
戦死者美化であり、都合のいい理解であり、正面から対話を行ってこなかった、数々の積み重ねが今の姿となっているのだろう。

多くの人が考える機会を奪うことがないように、是非上映して欲しい。

2008年03月22日

映画「パレスチナ1948・NAKBA(ナクバ)」本日より東京で公開


映画「パレスチナ1948・NAKBA(ナクバ)」予告編

DAYS JPANの編集長である広川隆一さんのドキュメンタリー映画「パレスチナ1948・NAKBA(ナクバ」今日、東京で公開をスタートさせた。広川さんは、23歳のとき最初はイスラエルのキブツの農場で働いていた。そこで見た疑問がスタートだった。

 映画「パレスチナ1948・NAKBA(ナクバ)」公式サイトより引用(以下)

その広河が、みずからの原点を見つめる。1967年、23歳の広河はイスラエルに行き、社会主義的な共同体キブツダリアで暮らしていた。イスラエルが広大な占領地を手にする中東戦争後、広河は、働いていた農場で気がかりな風景と出会う。サボテンが群生する「白い廃墟」。それはかつてパレスチナ人が暮らしていた村の跡だった。村の名はダリヤトルーハ。今は地図にその名はない。「ホロコーストを経験したユダヤ人のキブツが、パレスチナ人の村の土地に建てられている」。その事実に衝撃を受けた広河は、失われた村の住民を捜し始める。それは、現在も続いている「破壊と追放の歴史」を辿る旅でもあった。パレスチナの戦乱や和平をめぐる動きを取材しながら記録されていく、荒涼たる廃墟となった村々の姿や、パレスチナ人、ユダヤ人による生々しい証言、次第に浮き彫りになっていくNAKBA……。

そして、ついに広河は「白い廃墟」、ダリヤトルーハの住民たちと巡りあう。

大阪での公開は4月19日~5月2日 シネヌーヴォ にて

チベットでの弾圧、暴動(民衆蜂起と言う人もいる)の報道を見ていると、パレスチナの長年の苦しみを思い起こす。決してすべての中国人がチベット人の敵なのではなく、同じく全てのイスラエル人がパレスチナ人と対話を望んでいないということはない。本当に歩み寄って生きていくという可能性を見つけるのは難しいと私たちは知っているけれど・・・。
うにさんのブログでイスラエルでも中国を批判する運動をする人たちがいることを知った。
そのように、声をあげる人が同時に心を痛めている問題が自分の国の中にもあると知っているかもしれない、「人の揚げ足をとる」のをやめにして、そのことで他の意識が一つでも前に進むことを望む。

2008年03月28日

失われた命たち

失われたのは、命なのか人そのものなのか?結局、命というのは人の根源ではあるけれどその人を失うという、個人の場所まで近づけて考えると「存在」そのものの死という重い、かさの高いものになってくる。

今日、大阪地裁では「沖縄ノート」の裁判で大江健三郎さん側が全面勝訴した。
沖縄の集団自決に「旧日本軍が深く関わった」と認定された。
自決という言い方、客観的すぎる。これは、軍による殺人だから。

旧日本軍の精神性は生きのびることを教えなかった。強力なタテの権力構造で兵士を抑圧し、しまいには死を選ばせた。
「南京大虐殺」や「慰安婦」問題でとりあげられる、日本兵の残虐な行為をおこさせた原因の1つがこの抑圧であったとも言われている。上官からいじめられ、強烈なストレスを与えられたものは、さらに暴力で支配する対象を探す。それが、レイシズムと結びついたり、女性差別に結びつき歯止めの利かない残虐な暴力へと変化していったという考え方。共感できる。

本土の人間は、地上戦を体験しなかった。想像を絶する状況が、沖縄でも中国でもあったのだろう。
軽く、ひとまとめで、かさの低い命となって失われた命。

かとおもえば、日常のなかにも多くの命が「心中」、「無差別殺人」で毎日失われていく。
それ以上に、多くの自死を選ぶ人がこの日本にはいるのだけど。
他人の命も自分の命も奪わないで済むように、どうして人はかしこくなれないのだろう。

暗い気分になってしまったけれど、朝日新聞に掲載されていた大阿闌梨の言葉が、癒しをくれる。
以前に特集したインタビュー記事の反響が大きく、多くの人の癒しの言葉になったという。
例えばこんなことば。

「無理せず、ひがまず、焦らず、慌てず、水の流れのごとく生きる。
溜まりに入ってもあわてることないよ。よどみも徐々に解かれていくから」

大阿闌梨の人生も転々と職を変わって得度は39歳の時。溜まりやよどみに何度も立ち止まってきたひとだから、言葉は優しい。

2008年03月29日

ムンク展

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ムンク展より、「声・夏の夜」1893年

神戸で仕事があり、1件目と2件目の間にどうしてもぽかっと待ち時間ができてしまった。ので、兵庫県立美術館で3月30日まで開催されている「ムンク展」に行ってきた。

その日は平日だったのだが、なかなかの人出で、入り口から他人の肩越しに説明書きを読むといった様子だったが、徐々にそれぞれのペースが違うので少し鑑賞しやすくなっていった。

私はムンクについての知識はあまりもっていなかったが、それぞれの作品が1つで大きな意味をなすというより一塊に展示することで統一のテーマを担っているという点が、今回の展示手法でも面白みが感じられたところだった。実際にムンクは、自分のアトリエで展示の順序などを試行錯誤していたようで今回はそれに準じた展示の仕方をしている。

ムンクは壁画も描いているが、その対象となったのは個人宅、チョコレート工場、劇場、講堂と広がっており、大きな建物のなかに展開される本物の壁画を是非みてみたいものだと思った。

そしてテーマは、生命を取り扱うものが多かった。有名な「叫び」(これは実物は展示されていない)や「不安」などがあるが、心のありかを表すような不安定な要素が印象深い。けれど、後半に展示されていく「労働者」のシリーズは、それとは全然違い、力強く、生きる力に溢れていて、これは心の有り様というよりも人間存在の生命力を感じさせる。

本当はゆっくりと、人の呼吸も聞こえるくらいのところで絵をみたいものだけどそれは、贅沢な望みなのかもしれない。この春にふらっと、散歩して額縁の中にはない自然の色を堪能したいものだ。

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