ダンスパーティでひさびさバンドマンになる
青葉仁会のダンパ・フライヤー
友人のMIKIの声賭けで、取り組んだひさびさの歌伴。魅力あるボーカリストであるMIKIを生かす支えになれるか???であったけれど、リズムセクションとギターに一世を風靡した関西ロックのメンバーが快く引き受けてくれたものだから、なんとか端っこでキーボードをたたくことができた。
このダンスパーティは、社会福祉法人青葉仁会の主宰する、知的障害をもつ入所者の人たちのために開かれたものだった。音に敏感に反応する彼ら。強力なリズムセクションの音はここちよく、踊る時間になったのだろうか?
本物の音を聞かせたい。ロックならば、ロックの・・・というのが、企画をしてくれている職員の人の考えだ。こころに響く音は、まっすぐに飛ぶように思う。
彼らは、奈良の山奥に住んでいる。仲間といっしょに。でも、本当はいろんな人にまみれて暮らすほうがいいだろうと私は思っている。けれど、そういうところが、たくさん準備されているわけではない。大阪の生野区のように、のきをつらねた路地裏に障害を持った人のグループホームがそこここにあるというようなところは、実は少ない。当たり前に、仕事をし好きな事が出来るような、生きるということのシンプルな繰り返しさえ、障害があることで阻まれる。
ここに来て、作業をしている人たちは、木工やちかくのすてきな自然食レストランで働いたりしている。
私たちも食事をいただいたレストランは、木の色、草の色、流れる空気もすばらしく美しいものだった。
私たちが癒される・・・そんな場所だった。
音楽について。わたしは、3年ほどゴスペルをやってブラックミュージックのルーツミュージックを体現し、今となっては学んだ事も多かった。バンドをすることに自然に移行できたのは、数多くの本物の歌のお陰だし、すばらしい講師から学んだ、歌のリズムでもあった。でも、嬉しいけれど緊張もした。20曲ほどの初めて、鍵盤でたたく曲を覚えなくてはいけなかったけれど、これも刺激になった。
改めて、音楽をする、演奏するという立場にたちかえって考えなくてはいけないことが多く残った。
それは、本当にプロフェショナルに仕事をしているメンバーから教えられたことでもあり、そこの本質は
楽器演奏ではなく、「歌」にあったことに驚きを感じたからでもある。
沖縄に求めたもの。それも「歌」である。 もちろん、そちらもわたしにとって大事な大切な宝物の歌たちなのだ。洋楽のロックをしようが、しまいが、沖縄にある歌をわすれることはない。
さあて、ゴスペルから去ると、新たないそがしさがやってきた。予期せぬバンド。次回ライブも参加できるのか???