白バラとJesus Rose
この映画についは多くのblogで取り上げられている。身近なblogでも書いておられる、KATEKさん、hanaさん、Tamyさんなどの「白バラの祈り」の映画感想を読んでいていまさらなのだが、少しこの映画について書いてみたいと思った。
今日、この映画を観た。ナチスドイツ下で抵抗運動をして逮捕から5日で処刑される大学生の活動グループ「白バラ」の中で唯一女性で処刑されたゾフィーの史実に忠実とされるストーリー。戦時において、言論が抹殺され、戦況の悪化の事実も封じ込められても真実を語り「大逆罪」に問われた「白バラ」たち。
戦争とは多分このようなものなのだろう。個人の「自由」が国の大儀に押しつぶされる時とは。
ゾフィーがいかに強く、高潔な信念を持って、理不尽な「人民裁判」に挑んだか。その姿に感動する。けれど、時折垣間見せる、心のよりどころは「キリスト教信仰」なのであった。
人民裁判のその日の午後5時には、ギロチンに賭けられたゾフィー。直前に現れる牧師に「祝福してください」と願い出る。ゾフィーは磔にされるイエスキリストのように、「もうひとつのドイツの信念」を背負って死に追われたように感じた。
4月16日は今年のイースターである。イエスキリストが磔刑にあい、3日後に復活したお祝いの日。
イエスのことはJesus Roseとも呼ぶ。
私はこのバラとRoseが妙に重なってしまった。死に恐怖を感じていたであろうゾフィーを、本当に信仰は助けたのかもしれない。
クリスチャンでないわたしがこういうことを書くのはどうかと思うのだけれど、今度の16日の日曜日はイースター賛美に参加する。この日にゾフィーのことを想って歌おうかと思う。
まさに私達は「Jesus rose」という曲を歌うのであるが。
「太陽はまだ輝いている」と言うゾフィーの言葉は、自分は滅んでもその信念は生き続けるということをも現わしているのだろう。イエスの意志も弟子によって引き継がれた。
決して、キリスト教そのものを肯定も否定もしないが、信仰、信念が貫かれる時は存在する。
私達が今の政治のもとで生きていく限り、いろんな価値観と共闘して、守らなくてはならない「信念」は貫きとうさねばならないだろう。
ゾフィーの勇気に敬意を表して。
多くのクリスチャンの人にも見てもらいたい映画です。