昨年に正式に休止してしまったボランティア活動で、「みっくす家族レクリエーション」というものに震災以降、スタッフとして関わった。これは、現在も様々なボランティア活動を繰り広げる、大阪生野区の「コリアボランティア協会」の活動のひとつとしてあった。
簡単に言うと、障害を持った子供もそうでない子供もいっしょに「みっくす」して、月に一回は野外であそぼうという企画で、夏は奈良の山までキャンプに行ったりした。参加する子供には、ボランティアの若者(やそんなにわかくないものも含め)が一人に一人は寄り添い、いつも付き添う親とは離れて行動する。
障害をもつ子供の親は、その間にすこし一息できる。その時事情がなければ一緒に同行してもらうけれど、他の子供達の様子も見てもらったりする。親以外の関わりの機会を増やす目的も有った。子供達はいずれ一人で生きていかなくてはならないから、出かけていくのも、他人の力をうまく借りて、自己実現してもらいたいから。今のように支援費でガイドヘルパーをお願いしたり、そういう制度がまだととのっていたかったころにスタートした。
この会は障害を持った子供だけのものではない、「混ざる事」に意味があったので、健常とよばれるやんちゃな我が家の子供達も一緒になって駆け回った。障害をもっていて、変わった行動をする子供達と接して、それに慣れることが、理解の一歩だと私も考えていた。
その「みっくす」の企画の一つで、「アクセスディンギー」というヨットを体験しようという企画をかつて何度か持った。ヨットといえば、ちょっとお金持ちの遊びという感じがするのだがこれはちょっと違う。アクセスディんギーは障害を持った人が参加するレースもあるくらいで、子供にも操作が簡単だ。実際、知的障害をもつ子供と大人のボランティアさんと2人組になって、海に出てもらったけれど、操作は子供たちのほうがうまくいってたりして面白い結果となった。
つまり、海上では、健常といわれる人間は無力で、子供にその舵の行方をゆだねる他なすすべがないのである。なるほど、これはとてもすてきな乗り物だ!とそのときに感じた覚えがある。
身体に障害があっても、多くの人がチャレンジしている。ちいさい、かわいいヨットなのだ。
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タイトルどおり。今週は会議もあったり、その準備があったり、仕事と別のこととが重なり、気持ち的にばたついた。といいながらも、日頃は新書マニア(?)の私がめずらしくベストセラーを手にした。あんまり、ベストセラーといわれると、たいがい読む気がうせるのだけど、今回はすこし違った。
何の事は無い、「ダ・ヴィンチ・コード」が文庫化されたからだ。そして映画公開も決まっていて、読んでおきたかった。
ダヴィンチにまつわる謎めいた話。そして、イエスキリストの結婚説を扱うストーリー。これに惹かれた。
この本には、名画うんちく、キリスト教うんちくが満載で、そして映像を是非見たいと思わせる美術、建造物の描写にひきつけられた。ヨーロッパに行ったことがないけれど、本物見てみたいよな・・・と思わせる。ネタばれがおおいにあるが、角川のサイトも面白い。
この話のキーワードは女性だ。キリスト教における女性。そもそも、聖杯伝説やシオン修道会、オプスデイ、テンプル騎士団などのお話は古くから知られているらしい。ネットでごく簡単に見つかる。オプスデイの日本語サイトもある。そんななか。キリスト教に限らず、宗教が原理主義的になっていくと、「女性」は忌み嫌われる。その理由はひとつ「男を惑わす」ことにあるらしい。男を惑わすためでなくて、女性は存在してるはずなのだが、男が力を持つ社会では、差別対象となる。
アフガニスタンでは、タリバンが女の子の教育に介入して、学校にいかせないように脅しをかけたりしている。日本では、ジェンダフリーという言葉狩りをしている。いつも差別の底辺にいるのが、女性。
なぜか?人間同志の違いを考えるときの最小単位は男女の性別だ。どの世界にもある、男女、雌雄。
この二つの文化領域をどちらかが、支配しようとするとき。宗教を理由にしたり、社会的性的役割を理由にしたり、身体的相違を理由にしたり・・・・・きりない。
また、話の本筋にあるキリスト教について「ダ・ヴィンチ・コード」の作者ダン・ブラウンにインタビューしているのが面白い。
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