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2006年01月 アーカイブ

2006年01月02日

今年もはじまりました。

31日に紅白でSMAPの「Triangle」を聴いて、「PEACE」の文字が浮かび上がったのを見て、今年の紅白はここに終結するのか。と思った。(結局、ところどころ見てないのだけどね。)

そして、年越しの喧騒をかもし出すTVから離れようと思って替えたチャンネルがNHK教育TVだった。
年越しであろうが、カウントダウンをしてようが関係なく、再放送のドキュメンタリーをやっている。その辺がいいなと思ったが、思わず見入った。「山田風太郎」の日記を追っている。
戦時、彼は病気で戦争に行けなかった。とっても「軍国少年」だったのにも関わらず・・だ。
だが、そのことで見た戦争を日記につづっている。

作家だから、日記を公開することもどこかにあったかも知れない。でも、中学生から書き始めた日記は、最初は意図してなかっただろう。わたしの周辺にも日記を書く人を最近知った。「10年日記」を書いているという。たった一行でもいい、書いていると、ある人とのかかわりや出来事を振り返る事ができると言う。

blogを書いてはいるが、ここでの自分は「ピアノクラフトワークの管理人」である。そのため、日記ではない面が多くある。でも、日記であるが故の、大切な何かが本当の日記にはありそうだ。ちょっと魅力を感じる。
今年は少し考えを変えて、紙の日記も書こうか?いや~このblogでさえ、不規則更新なのでね~続かんのんちゃう・・とか思いつつも。

今年もあいかわらず、また雑文を書きつづけようと思っている次第です。

2006年01月03日

「ぼくは13歳職業、兵士。」今年初めて読んだ本。

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「ぼくは13歳職業、兵士。」鬼丸昌也+小川真吾著 合同出版

年末にAmazonで注文した本が、なんと元日に届いた。ありがたいことだけど、誰かが働いてくれているってことだな。カムサハムニダ。お陰で今年初めて読むことが出来た。

26日のblogで書いたように、この本はhanaさんのブログで知った。こども兵についてかかれた本ということで、読みたいと思ったから。

確かに救いようのない状況に元子ども兵だった子達はいた。リハビリの施設に行っても、その傷を癒すことは簡単ではないだろう。上手く社会復帰できないために、アルコールやドラッグに依存し暴力で生きる道を選択せざるを得ない子達もいる。けれど、彼らは生きている。生きているから、生きようとするからまだ、希望も見出す事ができるはずだ。

大人は残酷だ。子どもをいつも利用する。そしてしまいに殺すか捨てる「亀も空を飛ぶ」でも書いたけど・・
その根本的原因についてこの本はいろんな事実を伝えている。

まず、紛争、戦争の成り立ちについて。
支配している先進国が、統治のためにとる常套手段、民族を分けたり、国を分断統治すること。一方に権利を一方に貧困を与える。これによって、同じ国、地域にすんでいた隣人の生活を利害で分かつ。実に卑怯なやり方だ。支配者に反抗しないよう同国の人間を争わせる。そして、紛争は貧困をより深める。
そこから子どもの兵隊は生まれた。

もっと具体的な原因。
小型兵器の拡散。10歳の子どもでもあつかえる銃が大量に紛争地域に流れ込んだ。

マイケル・ムーアが「ボーリング・フォー・コロンバイン」でアメリカの銃規制がすすまない理由について、ライフル協会の会長であるチャールトン・へストンに突撃取材を試みるシーンを思い出した。
この世界に、うじゃうじゃと銃が蔓延した。

やっぱりそんな暴力の道具は、大国の利権のために使われた。オイルもダイヤモンドも。

この作者たちは、実際にNGOの活動家である。テラ ルネッサンスと言う。サイトを訪ねてみると実際の活動を知る事ができる。

またミリオン・フェイスというキャンペーンも行っている。武器を規制するという世界的なキャンペーンで、顔を署名に使うというユニークな試みである。今年2006年夏。国連ビルを多くの顔が囲むという趣向。
詳しくは、ミリオン フェイスHPへ
http://www.controlarms.jp/index2.php

と言うわけで、この本から得た情報もなかなか良かった。
で、何かしなくちゃね。


2006年01月06日

LORD OF WAR 今年初めて観た映画

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ロード・オブ・ウォー/史上最強の武器商人と呼ばれた男(パンフ裏)

正月の3日目にこの映画を観た。hanaさんも12月末に見ていて、ブログに書いていらっしゃるので、ちょうどおっかけっこのような感じになってしまった。ただ、一緒にいったテジョンは「正月やないときに観たかったな」とこぼしてけど。

確かに前日に一気読みした「ぼくは13歳、職業、兵士」の後の映画は、読んだ事を映像で見せられているという錯覚に陥る。まったく逆サイドから見た図といった具合で。

ニコラス・ケイジは、実はあんまり好きな俳優ではなかった。何故かと言うと、話がそれるけど、日本の何かのCMでピアノにすわってでたらめな即興ソングを歌っていたのを見て「このオッサン、ハリウッド俳優か知らんけどいまいちやなぁ」という印象が強かったから。でも、この映画では、なかなかでした。

本題へ・・・。この映画は架空の武器商人ユーリー・オルロフというウクライナ出身のアメリカ人が主役である。オルロフは、複数の実在する武器商人をモデルにしている。映画のエピソードは、実際にあったことも使われているという。決して、捕まらない彼らは、バックに必要としている国があるから。

オルロフの銃は、世界のあちこちに届けれられる。中東、アフリカ、アジア。内戦をあおり、多くの子どもを殺す道具として使われるという多くのシーンが出てくる。だが、アメリカ政府が大事な顧客であることは、映画の最後に、オルロフのセリフでポロっと出てくるだけで、アメリカで銃がどんなに人を殺してきたのかは、声高に言わない。こういうことは「必要悪」と言わせている。

この映画は、イントロダクションから衝撃を受ける。銃弾を製造する工場からタイトルバックが始まる。
たぶんロシア語がかかれているのであろう箱にどんどん「弾」が製造ラインから積み上げられていく、その弾は、船に積まれ、どこかの国、たぶんアフリカのような国に着いて、誰かの手によって、銃に込められる。
その銃口は、子どもの額のまん中に向けられ、発射される。こんな子どもの「死」からこの映画は始まる。

「死」のための道具。
この映画はフィクションである。架空の映像なのに、衝撃を受ける。絵空事ではないから。
より、怖さを感じ、さらに、今も命の危険を感じて生きているこどもに思いを馳せた。
これが、今年の初めに見た映画。

たぶん、今年もこんな映画をたくさん見るのだろう。
29日の「ルート181」は、もう予約を済ませた。大阪の上映会で見ることにした。パレスチナとイスラエル。
ちょうどシャロン首相が思い脳卒中だと、報道されている。時代はそう簡単に変わらないだろうけれど。

2006年01月11日

「論座」を読んでみた 渡辺恒雄の反靖国論

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「論座」2006年2月号定価:780円(税込)
2006年01月05日発売

1月4日に、ふと朝日新聞をみると「論座」の広告が載っていた。その内容について、報道されたり、ブログなどで書かれているが、見出しを除いて12ページに渡って、朝日新聞論説主幹の若宮啓文と読売新聞主筆の渡辺恒雄が小泉の靖国参拝を批判した対談を行っている。

記事冒頭は、こんな風である。
タカ派論客と見られている読売新聞主筆・渡辺恒雄氏の発言が目立っている。首相の靖国神社参拝に強く反対し、A級戦犯に限らず関係者の戦争責任をはっきりすべきだと訴えるのだ。
憲法改正問題をはじめ、多くの問題で主張が真っ向から対立する読売と朝日だが、果たして「共闘」は可能なのか。両社の社論の責任者が徹底的に話し合った。

結果、靖国問題に関して、朝日も読売も今こそ結束して、軍国主義下の日本のマスコミの過ちを2度としてはならないという「共闘」の意志が語られた。


靖国の合祀が行われたのは、1966年合祀の名簿が靖国神社にわたされて12年後の1977年。宮司が変わってからのことだ。それについて昭和天皇が「山階(前任の靖国宮司)ならああいうことはしなかっただろうな」と語ったらしいこと。それ以来4半世紀以上天皇は、靖国参拝をしていない。(若宮氏)

また、一度合祀したら、魂をわけることはできないということを、水の例えで、他の杯に足した水をもとの文だけ取り出せないという理由として宮司は言ったという。後に勝手に作り上げられた国家神道の教学上の問題というが、これによって国民が引き裂かれているとも言っている。(渡辺氏)

特に気になった言葉(渡辺氏のP.30発言引用)
<中国や韓国が首相参拝に反対しているからやめるというのはよくないと思う。日本人が外国人を殺したのは悪いけれども、日本国民自身も何百万人も殺されている。今、靖国神社に祀られている多くの人は被害者です。やはり殺した人間と被害者とを区別しなければいかん。それから加害者の方の責任の軽重をきちんと問うべきだ。歴史的にそれをはっきり検証して「われわれはこう考える」と言ってから。中国や韓国にもどういう迷惑をかけていたのかという問題がでてくるのだ。やっぱり彼らが納得するような我々の反省というものが絶対必要だ。>

この意見をうけて、若宮氏も<私もよその国にいわれるまでもなく、自分達で考えるべきだというのには賛成です。>という。
そう。日本人は自分の頭で考えてこなかった。自虐史観などとあおりたてて、正しく検証する事を卑下する事のように言う向きには、自尊心を傷つけられたと思う人にはぴったりだ。売られた喧嘩を買うような軽いノリで、反中国、反韓国を展開することが、いかに浅はかか。

これから、自分で書いた反省文をみんなに聞いてもらえる国になるんだろうか?危惧しているのは、老ジャーナリストだけ?でも、大いに吠えまくってほしい。こういうことならば。

だが、彼ら2人は改憲派である。この辺は、納得いかないけどね。9条の自衛隊が憲法にあってないなら、あうように軍縮しようよ。とわたしは思うけれど。
しかし、なかなかおもしろい対談だった。読売の爆発を期待しよう。

2006年01月15日

大平光代前大阪市助役 インタビューって・・・

13日の朝日新聞朝刊に、大平光代、大阪市前助役が沈黙をやぶってインタビューに応じた記事が掲載された。
関連 gooニュース 
「市議が発言封じた」大平・前大阪市助役、辞任理由語る」2006年 1月12日 (木) 08:08

大阪市はヤミ退職金・年金など厚遇に対する反発があり、改革を必要とされているのだが、大平さんが助役を降り、姿を消してしまったのには、いろいろ「狙われてる」説などとTVで発言する人がいたりしてどうなっているのだろうと思っていた。

このインタビューを読むと大阪って・・・やっぱこんなんかぁ~と溜息がでる。

議員の口利き問題について、自民党市議団の幹部と対面したとき、別の市議はこういったと言う。
<その時、別の市議は、新聞記事のコピーを私の写真のところをピンとはじいて、「口利きってどういうことや。わしらは、口利きをしますという看板を掲げて市議をやっとんねん」と言った。>(記事より引用)

また、市政に対して問題に感じたこととして、市の幹部、職員がくだらないことで市議に呼ばれることなど。
<例えば、ほうきの話なんて最たるものだ。市議がたまたま後援を散歩していてボランティアの人がいた。
聞いたらほうきは全部自分のものだという。「役所に連絡して届けさせる」と。局長に「すぐ来い」と電話する。>(記事より)
呼びつける、わめきちらす。これが、大阪市民の選んだ市議である。
やくざ?どうちがうの?

大阪市の市会議員 自由民主党・市民クラブ大阪市会議員団 (37人)
名簿はコチラ
さて、一部の議員の方々へ。わたしたち市民は公園掃除のほうきが欲しいんじゃない。ボランティアとは自ら進んですることなのだから。それならば、もっとおおきな無駄金を削減してくださいな。

この内容に関連する記事を調べていてこんなブログを見つけました。TB送っておきます。
自治体政策法務研究室<Blog> >自治体現場の職員が政策法務を語ります。
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きょうも歩く

職員も大変なわけだ。市民と職員と敵対せずに、本当にクリアに市政が運営されるというのもっともいいのにな。

2006年01月16日

話題の映画の人が来日

「ホテル・ルワンダ」が東京で公開された。それに先駆けて、主人公である実在の人物、ポール・ルセサバギナさんが来日。1月6日にシンポジウムと映画上映が行われた。
1200人を救ったこの人は、96年ベルギーへ亡命。今は運送会社経営しながら虐殺を語っているという。

この映画は、日本では公開が待ち望まれた。署名によって公開が決まるというめずらしい経緯でをもっている。その理由について、映画はアメリカで高い評価を得て、配給権が高騰したため日本では配給会社が積極的にならなかったというわけ。ミニ・シアター系の映画ってやっぱり安いのかな。
大阪公開は シネヌ-ヴォ 2月11日より
この映画についてはこのブログで3度書いている
観たい映画が多すぎる見逃しそうだった映画
気になる映画

ほぼ日刊イトイ新聞でもおもしろい感想がのっていた。

もう一つ、週刊金曜日1/13号に映画「イノセント・ボイス」の脚本家で主人公本人であるオスカー・トレスさんと紛争地を撮る写真家、長倉洋海さんの対談が載っている。
内容は、エルサルバドルでの内戦を何故今、語るか。ということについて、9.11の体験で眠っていたもの、忘れたかった戦争の体験を呼び起こされたという。実際に、エルサルバドルで公開されるにあたり、政府は規制しようとしたが、市民のデモが起こり15歳以下でも見れるようになったり、公開したところ3ヶ月観客動員数トップという成功を収めたなど語られている。

中でも印象的だったのは、当時政府軍は悪で反政府ゲリラ組織FMLNが正義ととらえるジャーナリズムの風潮があったけれども、実際は、結局豊かな人は安全なところに逃れ、貧しいもの同志が戦わさせられていて、戦争で利益を上げる人は決して血を流さなかった。という言葉だ。

そして、「戦争の最大の罪は、人々から選択肢を奪ったこと。少年兵はすべてを憎む事、家族さえも信用しないことを教え込まれた。」という言葉。

戦争は本当に人をとことん利用する。考えられなくする。死にまい進するためにコントロールされる。実際は、そうでないと思うことも、圧倒的な力で押さえられる。自由の対極にあるものだ。
そういうことを、多くの映画が教えてくれている。なぜ、こんなに多くの映画が戦争を扱っているのだろう?
わたしが選り好みして選んでいるから?
では、こんなに多くのメッセージに充ちた映画を、あっぷあっぷしながら追いかけている自分は何なのだろう。追い立てられるような「きなくささ」がただよってるから。「危なげな」連中がうようよしてるから・・・。

2006年01月17日

1.17それぞれのストーリー

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1.17夕方そして夜の月

1月17日11年前の未曾有の地震。それぞれのストーリーは、一人一人に時間時間に刻み込まれていると思う。昨年は、長田の慰霊祭に行った。今年は、西宮に仕事に行っていた。
国道43号線の上に走る阪神高速が、地震後すっかり取り払われていた時期があった。
目印になるものがなくなった、だだっぴろい交差点に、方向感覚を失いかけた事もあった。
路地を入っていくと、ぼこぼこの隆起した道が長く整備されずにそのままになっていた。

この日、我が家では相方の実家が西宮にあるために、気が気でなかった。いてもたってもいられない相方はついに車で出発した。とんでもない道のりが待っているとはしらなかった。
電信柱が倒れ、通れない道、止まってしまった幹線道路。
世界が変わった朝。
どんなに人力で、戦争で爆撃しようとも、ほんの数分で地面のそこから破壊する力に勝てはしまい。

私が、神戸の地に立ったのは、それから随分してからだ。炊き出しの食材の入ったキャリアカーをひきずり
ぼこぼこ道の歩道を歩いた子どもも連れて。本当にこわれた地球の地面を見たこどもは、TVで繰り返される映像がフィクションでないことをこの地に立ってはじめて知った。
「ほんとに壊れているとおもわへんかった・・・」

想像することの難しさ。
人が事故や災害や戦争で死ぬ事、どこかで毎日起きている事。でも、想像するのは難しい。

しかし、このことが残したものが、私たちの今の活動を支えている。
いろんな人と出会おう。何か自分のできることで多くの人に関わろう。できたら楽器を通して。
障害を持った人。お年より。子ども。国籍の違う人。多くのひとと努めて出会う生き方を選んだ。
人と人がとても近い距離で支えあった。そのことを忘れずに。

2006年01月20日

パッチギのDVDを借りた

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パッチギ韓国版

レンタルが1週間になって、半額が適用されるようになって、「パッチギ」を見なきゃ!と思った。
2006年朝日ベストテン映画祭に1位で選ばれ、2月13日に上映される。その他数々の賞を受賞した。

この映画は、2月14日に韓国のソウル明洞CQNで公開される。これを在日でなく、韓国の人々はどうみるのであろうか??1960年代終わりころの京都での、在日朝鮮人と日本人の学生がなぐりあうシーンやイムジン河をどう観て、聞くのか・・・

井筒和幸監督といえば、1970年代に流行った大阪のミニコミ誌「プレイガイドジャーナル」で確か「ピンク映画の夜は更けて」というタイトルのエッセイを書いていたのを覚えている。そのときは、ピンク映画の助監督かなんかで、「ガキ帝国」を撮る前だったと思う。そのエッセイが好きだったが、その後TVにどんどん出るようになって、いつも文句言うおっさんキャラになっていて、映画はさっぱり観ていなかった。

このパッチギは、在日朝鮮人と日本人の学生の物語である。あの頃の朝鮮人部落と河をはさんで主人公が行ったり来たりするのが、南北朝鮮をわけたイムジン河のように例えられているのだろう。
隣人でありながら、差別によって貧しい生活を強いられていた人々。バラックの住まいは、何か懐かしさがあるけれど、棺おけさえ扉をこわさないと入らなかった。

この映画ではフォーククルセダーズのイムジン河が日本人学生と朝鮮人学生の心をつなぐ。
一生懸命ハングル訳したイムジン河を歌う主人公のけなげさが、いとおしい。
歌が国境も民族も性も年齢も超えて、心をわしずかみするときがある。歌の力はすごい。と思う。
確かにこの映画の暴力シーンはひどい。本当にこんな殴り合いがしょっちゅう行われていたらもっと、死者がでるだろうけれど、次のシーンには綺麗な顔ででていて、何かほっとするような、映画やな~と思うような半笑いの気分になる。あんまり殴りあいの場面は好きでないのだけど。

在日や韓国朝鮮の話を描いた映画はいろいろある。
2年ほど前にみたのでは「夜を賭けて」というのもあった。
「血と骨」は観たくない映画。暴力に満ち満ちているのは、閉口する。
ぜひ観たい映画
あんにょんサヨナラ
大阪では、2月26日(日) 大阪市・ドーンセンター 14:00、18:00上映
戦死して靖国に祭られた父を返して欲しいという、韓国の女性の戦いを描いたドキュメンタリー。

まだ、朝鮮半島は分断されている。
日本でもこの隣人のことは、いつも「思い」をもっていたい。

2006年01月25日

ゴスペル練習初め~試練と新しい命~

今年に入って、練習や懐かしい韓国のヤンピョンドン教会の人たちとの交流もゴスペル関係の動きは何かタイミングを逸していて参加できていなかったので、私としては今日が歌い初めということになる。

講師は、山本真一郎さん
ブラックゴスペルをしているグループは英語で歌うことが多いが、この人は日本語で美しく歌うことを大切に教える。彼は、敬虔なクリスチャンでストイックで自虐的なほどに自分の信仰に対して不足ではないかと問うている。

今日練習した中の一曲で真ちゃん作品は、こんな歌詞だった。

神さまがくれた宝物

神さまがくれた新たな命
声をあげよろこぶ新しい家族に
尊い命が今ここに生まれ
誰にも見えない新たな命
与えられた命を大切にしよう

我が子を授かった喜びに満ちた歌。慈しみ深い親となる愛情。を歌詞から感じ取れる。
でも一方で彼自身は「試練」と感じる病気も持っている。
だが、「声とピアノを弾くための手を神さまは奪わなかった。」そのことに感謝している。と話す。
彼の暖かい声とこころから「感謝する」という言葉の重みが私のところまで響いてくる。

練習に行くと、やはり別の世界に足を踏み入れた感がある。そこは、祈りの場と化する。
そこに行くと、世俗の世界と隔世の感さえあるのだ。これが、わがハーレムJPクアイアの作る磁場のようなものでもある。

日常と非日常というのは、まったくとなりあわせにある。望めば瞑想の世界に瞬く間に入り込める。
生活の中で、ふと現実離れする瞬間が、この「祈り」なのだとあらためて、久々の練習に思う。
このところ、実によく映画をみて、本、雑誌、ネットの情報を読み漁る。現実に立ち向かい渇望し求める自分があるから、追い立てられるように、政府や国に対する強烈な不信があるから。これは、これからもやめられないと思うけれど、ふと、「別世界」に立ち寄ると癒されるような気がする。

毎年、思う。今年わたしはゴスペルを歌うのか?歌わないのか?
果たして、口ずさむ歌は何だろう??

愛するHJPのみなさんへ。感謝しています。人の暖かみをはぐくんだグループを率いる夏子さんにも。

2006年01月26日

マガジン9条「中川敬さんに聞いた」を読む

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満月の夕  SOUL FLOWER UNION
1995年10月1日キューン・ソニー・レコード

マガジン9条は水曜日に更新されるが、先週に引き続き、ソウルフラワーユニオンの中川敬さんがインタビューに答えている。彼は、阪神大震災の時に結成された、ちんどんバンド「ソウルフラワー・モノノケサミット」の活動について振り返っている。

インタビューではこんなことを語っている。
震災後に本当に自分達が歌うことが受け入れられるのか?という不安があったが、あるオバちゃんが歌をきいて「やっと泣けたわ」といわれた事が、必要性を確信させた。
彼らは、人のそばに寄り添いたいと思ったに違いない。
そういうノリで、フィリピンのスモーキーマウンテン、パレスチナ難民キャンプ、東ティモールなどでライブを
行ってきた。

本当に戦争の廃墟と震災後の廃墟は映像的にダブル。人の手によっておこなわれたものか、自然の莫大なエネルギーによるのかは、天と地ほど違うけれど。
この人は、「非戦音楽人会議」というものも立ち上げている。

彼の作った満月の夕は名曲だ。あまりにも有名な震災ソングでもある。しかもわたしも愛唱してる。

「満月の夕」の歌詞は続きへ

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2006年01月28日

今年の義理チョコは、これに決まり!

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JIM-NETの義理チョコキャンペーン(バナーをはってサポーターに)

イラクの白血病の子供達の支援をしている、日本イラク医療支援ネットワークが、バレンタインデーに向けて新たなキャンペーンを行っている。

>募金をしてくださった方には、イラクの子どもたちが描いてくれたイラストカードとチョコをプレゼント!! 2月14日までに「限りなき義理の愛作戦」募金をしてくださった方には、JIM-NETから義理堅くチョコレートを差し上げます。一口500円の募金の内訳は、チョコレートなどのコストが約100円、残りの400円が子どもたちの一日の薬代です。 

詳細は、JIM-NET

このチョコレートには、義理でありつつも愛が詰まっているというところが良い。
義理でない人にもOK!
2月14日までに届けて欲しい人は、2月9日までに(郵便振替の場合)申し込みがいる。
もらった人は、ホワイトデーにまた新たなキャンペーンが用意されているらしい。さすが!

>義理チョコをいただいた方、お返しには、ホワイトデー募金をご利用ください。
 詳しくは後日JIM-NETサイト(http://www.jim-net.net/)にて告知いたします

そもそも、私がブログの方向を一気に平和のキーワードなくしては語れない!と思ったきっかけはイラク戦争であり、日本人人質事件であった。うんとむこうのほうで、ついた火を眺めているわけには行かなくなった。日本から自衛隊が行き、この戦争に加わった国に住んでいるということで、平和でいるというのが当たり前でなくなってしまったから。

イラクは、今年1月17日(奇しくも震災の日)に湾岸戦争15年を迎える。劣化ウランがこの戦争からつかわれるようになった。
今日、私の元に一枚の試写会のハガキが届いた。
その映画は「ジャーヘッド」という湾岸戦争を描いた映画だ。
かつて「Nintendo war」といわれた、スカッドミサイルが宙を飛ぶ映像を家庭のTVで観た人は多いと思う
。まさに実感のともなわない戦争映像だった。あの時は。
アンソニー・スオフォードの原作「ジャーヘッド/アメリカ海兵隊員の告白に基づいて描かれる戦場はどんなものなのだろう。感想は、見たそのあとで書いてみたい。
本当に戦争にからむものばかり、観ている。さあ明日は「ルート181」へ。

2006年01月29日

ルート181

181.jpgルート181

4時間30分にも及ぶロードムービーである「ルート181」休憩をはさみながら、南部編・中部編・北部編の3部を見た。

パレスチナ人の監督とイスラエル人の監督が一緒に1947年にパレスチナに引かれた国連決議181号の架空の道を旅しながら、そこで出会う人々にインタビューしつづける映画だった。字幕を追う映画でもあり、普通に暮らす人から発せられる言葉が、それぞれに重く、埋めようのない溝を語る。

イスラエルとパレスチナの分断をそう簡単に語ることは出来ない。大体わたしの知っている、わたしが見たことのある映像はいつも自爆テロであり、パレスチナ人の家を壊すシーンであり、戦車であり、最近ではガザ地区からのイスラエル入植者の立ち退き映像であった。それが、存在しない道をたどりながら、かつてあったパレスチナの村を尋ねていくと、そこには今生活する人がいる。

2人の監督は、少しずつ話かけ始め、出会う人の古い記憶を白日にさらしていく。
イスラエル人とパレスチナ人の絶望的に埋めようのない溝をその言葉から感じるが、本当は彼ら自身も疲弊していて、モロッコから入植したユダヤ人の女性は、「イスラエルは素晴らしい国で、すべてそろっているけれど、生の喜びを感じないの」と語る。彼女は息子を20歳でレバノンの戦争で失っている。

ユダヤの人々が迫害されたのは、ナチスドイツに始ったわけでなく、未だに差別されるという状況にある。
国を追われたユダヤ人は、イスラエルの地では国を分断し願わくばすべてのパレスチナ人を追い出したいと思っている。
映画のインタビューで、2回引用された言葉がある。

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2006年01月31日

ラウル・ミドン~アコギの魅力

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ラウル・ミドン『ステイト・オブ・マインド』 

ただ今来日中で、本日大阪公演をナンバHATCHで行ったラウル・ミドン。ライブには行けなかったけれどCDは楽しんでいる。
FMのヘビーローテーションになっていた「ステイト・オブ・マインド」はスティービー・ワンダーの曲かと思っていたらオリジナルだった。スティービーもハーモニカで参加しているが、このラウル・ミドンも盲目の人だ。アコースティックギターも素晴らしい。

このアルバムは、アコギのサウンドを大事に録音していて、コードを弾きかえるときの弦をすべる指の音「キュキュ」ってのが入っている。アコギはこの音がたまらなく好きだ。
このCDでB3オルガンを弾いているのは、わがHJPクアイアの講師の一人Shedrick Mitchel氏ではないか!しかし、パーソネルに名前があるものの、オルガンがほとんど聞こえない!不思議な感じがする。

ひさびさにほっとするCDだった。発売されたのは去年だけれど、来日にあわせてFMで聞いているととてもいい。やわらかいボーカルと、ギターのシンプルなサウンドは、このところ映画でテンパッテル(と今はいうらしい)こころをほだしてくれるような気がする。

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