ハーレムJPクアイア夏のコンサート<詳細は、コチラかコチラまで>
昨日は、「ブルックリン・タバナクル・シンガース」というグラミー賞を6回も取ったゴスペルグループのコンサートに行った。わが、Harlem JP Choirの仲間たちと一緒に・・。
確かに素晴らしい歌声で、彼らは一人一人がソロシンガーといっていいようなメンバー達だった。
本当のゴスペル・・・これは、クリスチャンのイエスキリストへの賛美のための福音なので、彼らは本物である。偽のゴスペルがあるのか?といわれれば、「ニセモノ」という言い方は御幣があるが、ゴスペルというものを音楽スタイルと捉えられている時もある。ことに日本では。
純粋に教会音楽としてだけならば、こんなに流行し、どこのカルチャーセンターや、公立の文化教室でもゴスペル教室があるってなことにならなかっただろう。ブラックミュージックのルーツミュージックとして、注目され、その合唱のパワーに圧倒された。リズムあり、ごきげんなメロディーとハーモニーというわけで、今日、どこでも聞くことのできるものとなった。
最近、車のCMで3列シートの最後尾に3人のローブ(聖歌隊が着る、法衣)を着た大きいお姉さんも誕生日だから、一緒に積んで、お祝いに行こう!なんてのがあるが、実にナンセンスな話で、これは、クリスチャンじゃない(たぶん日本人の)ゴスペルを知らん人がイメージだけで、作ったシロモノでしょうな。
そんな風に、日本では、とても不自然にゴスペルが存在する。だけれど、日本古来、固有の、一神教でないこだわりが、ええやんか~とすなおに受け入れたためだと思うのだけどね。
一方で、本格的なゴスペルがどんどん力をつけ始めた。本来の賛美のためのクアイアが生まれている。
そういうなかで、教会関係者が輝かしいミッションを持つ、ブルックリンのようなゴスペルグループを呼ぶようになった、いろんな形で、数多く、アメリカから宣教にやってきている。こう言うコンサートには、必ず、牧師のメッセージが有る。
昨日の牧師のメッセージの中で、今の「生」は本物の「生」ではない、イエスキリストを受け入れて、生まれ変わり、永遠の「生」それは、肉体の永遠性でなく、「スーパーナチュラル」な「生」を手に入れようという良く聞くメッセージの中の一つだった。
supernatural
sùper・nátural
━━ a., n. 超自然的な, 不可思議な; (the ~) 超自然的な力[現象,経験].(EXCEED 英和辞典から)
妙に、英語の「スーパーナチュラル」と言う言葉にひきつけられた、通訳が翻訳した「超自然的な」でなくふ~んと反応してしまった。前も、書いた事なのだが、「飛躍」がなければ信仰は成立しない、そう、スーパーナチュラルじゃなくっちゃ。
わたしは、いつも「諸行無常」に生きてきた。実にナチュラルにーしかし、時には抵抗する。戦時のようになってきた日本や、憲法改正案などにはね。かといって仏教徒でもないが。
諸行無常 (仏)仏教の基本的教義である三法印の一。この世の中のあらゆるものは変化・生滅してとどまらないこと。この世のすべてがはかないこと(大辞林 国語辞典から)
いやはや、自己矛盾に富んでますね。なんでゴスペル唄うんや~と人に言われます。こんなに世界で宗教国家が戦争してるってのにね。
日本にいるから、歌ってるんだと思ってます。アメリカでなら、歌えない。