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2005年05月 アーカイブ

2005年05月03日

ぽみえ coming soon!

pomie.jpgペンキ塗り

この連休は、イベントスペース・フリースペースとして改装中の「ぽみえ」に掛かりきり。今日もペンキで手を汚し、日がな一日、素人ペンキ職人だった。楽しいけど、疲れた。

正式オープンは、5月8日~9日、伊藤雄康回顧展
わたしも、フェアトレード商品の展示を横でさせてもらう。その名も「peace on earth」アジアの雑貨と食品を取り扱っています。

手作り楽器のワークショップスペースとしても活用していきます。

JR吹田駅の近くです。今後もHPでイベント案内をしていきます。

2005年05月12日

憲法記念日はあっと過ぎた


連休はいつになく、ばたばたしていたので、憲法記念日もぶっとばして生活してしまった。
しかし、ほんとうは今年の憲法記念日はいつもの年とちょっと様子が違う。それは、憲法改正論議が盛んだからだ。

憲法記念日にこんな意見広告を新聞で見つけた人は多いだろう。薄く「殺すな!」と書いてある。今回は、参加していないが、憲法を国民投票で変えるということに
ついて、非常に複雑な思いでいる。

憲法は9条や24条など、個別で大きく問題になっている。
中でも、24条については、こちらに以前書いたが、これに関しては、最近では、映画「ベアテの贈り物」でふたたび脚光を浴びるようになった。

ベアテの贈り物についての記事
 ベアテさんに感謝 夫婦別姓を待つ身の溜息

「ベアテの贈り物」の記事にふれて tamyレポート

男女平等。そういうことは、もう今はあんまり関係ないのでは?と思うかたがいるかもしれない。十分に女は強いし。でも、それは憲法で保証されないと実現できないことだった。ベアテさんがいなければ。

この映画が大阪で上映される日を待ち望んでいる。
いまのところ予定がないようなので、がっかりしているが、自主上映などを企画するのも手だからいろいろ
やってみたいな。

こうやって、表にあらわれている、不安要素以外に、知らないでいることが実際は沢山ある。それを十分に議論したうえで国民投票となるかどうかは、本当に?だ。まず自分から、この国を変える憲法パズルの1ピースをわたされる責任が全うされるように、知る努力をしなければならないな。

きくちゆみさんのブログで 「「2007年7月15日、日本国憲法は死にます」?え、うそ! という記事がありその中に「厭世庶民の会」のHPで国民投票模擬投票のページが紹介されている。模擬投票はコチラから

具体的に選択をせまられたら、あなたはどうします?ちょっと練習しておくのがいいかなと。

2005年05月15日

TV朝日「ザ・スクープスペシャル」を見る。

TV朝日「ザ・スクープスペシャル」を今日は録画して見た。この時間、仕事にでていたので帰ってからみようと、ビデオをセットした。
この番組の新聞での紹介は、「警告!自衛隊が危ない イラクでマルヒ放射能汚染。 障害児続出」というセンセーショナルさを訴えるだけのような紹介だが、見た感想は、いたって真摯なレポートだった。

日本は「被爆国」である。米軍によっておとされた原爆によって、核汚染の被害を受け、爆発によって壊滅させられるだけでなく、世代を超えて、健康被害を及ぼし、数多くの人々を殺しつづけた。

その後も米軍はベトナムで枯葉剤を湾岸戦争で劣化ウラン弾を(劣化ウラン弾が使用されたのは1991年、湾岸戦争でイラクに300トン、ボスニア・コソボのバルカン紛争で11トン、アフガン攻撃で1700トン、そしてまた新たに2003年、イラク侵略戦争で2000トン。ドラコビッチ博士のデーターより・・劣化ウラン廃絶キャンペーンHPより引用)使用した。

このことによって受けた今も続く被害を各地でレポートしたものがこの番組だ。
もちろん、自衛隊が行っているサマワも核汚染地域であることは確かな事だ。イラクへいって被爆した米兵は、あんなところには誰もいきたがらない。といっていた。帰還して一年は子供をもうけないように。と軍から言われているのに、健康被害についてはなんの保証もしない。それは、劣化ウラン弾のせいではないという。

明らかな事実があるのに、非をみとめないアメリカ政府。

もちろん、ベトナムの枯葉剤の障害児に対しても、劣化ウランの被爆者についてもなんの保証もしない。

つい先日、こうの史代さんの「夕凪の町 桜の国」が手塚治虫文化賞を取ったことを新聞で読んで、かねてから読んでみたかったこのコミックをやっと手にいれ読んだ。これは、広島の被爆者をテーマにしている。

この番組を観ていて、「夕凪の街」のラストでかたられる主人公 皆実のつぶやきを思い出した。
被爆から10年たった広島の町で、静かに死を迎える皆実。

<嬉しい?
 
十年経ったけど 原爆を落とした人はわたしを見て
「やった!またひとり殺せた」
とちゃんと思うてくれとる?皆実>

孫子の代までたたってやるって、核のことなのかしら。アメリカはもうすでに、原爆何個分も世界に核汚染をばらまいた。地球をこわした。ゆるせない行為。

2005年05月19日

平和を紡ぐ音楽 松野迅さん

05.5.19.gif

今日は、調律のお客さんの招待で「タイのエイズ孤児のためのチャリティコンサート」に行って来た。感謝です。
ヴァイオリニスト 松野迅さんが中心となって行われたコンサートだが、タイのチャヤシリソボーン夫妻の声楽をとりまぜて、親しみやすいコンサートだった。

いままで、松野さんの演奏を保育園で聞かせてもらったことはあったが、今回、上手なMCでこの方の活動のポリシーを知ることができ、たいへん興味深かった。
アジアのいろんな国で、彼は演奏する。

この5月4日には、北京に行ったそうだ。反日デモでもっとも危険とされた日に。北京は、静かだった。北京では、日本のマスコミがどうして、デモばかり大きく取り上げるのか?と聞かれたそうだ。中国は大きい。人も大勢いる。オープンしたてのイトーヨーカドーには、何万人もの人が一日に訪れたそうだ。

デモ隊よりも遥かに大きく上回る、日本資本のスーパーに行く中国のひとたち。何だかへんだ。

また、韓国の障害をもったピアニスト・・両手の指が2本ずつしかなく、胴のすぐしたに足があるという身体障害。との交流。ジョイントもされているそうだ。彼女は、何故障害を背負わなくてはならなかったか?

それは、枯葉剤の影響なのだった。ベトナム戦争に韓国軍が参戦していたことを知る人も多いし、枯葉剤被害者の動きを知るひとも中には、いるかもしれない。けれど、「はっと」したのは、松野さんの言ったコメントだった。

「戦争に行くということは、こういうことなんですね」とぽつんとひとつ。
考えてみたら、戦争につかわれた殺人のための道具は、加害者も被害者も選ばない。さらに悪い事に、その時代にかかわっていない子供世代まで、あるいは孫の世代まで、殺しつづける。

戦争はいちどはじめたら、終わりがない。アフガンだって、イラクだって、地雷の沢山残されたカンボジアだって、この日本だって、原爆症を残した。この大地をどこまでも、汚染させていくのが、人間の醜い殺人の企てだ。

松野さんの活動は、音楽を運ぶだけでなく、国と国があゆみよるように、やわらかな感性であちこち出かける。タイの支援もその一つ。音楽が国境をこえるように、人と人が繋がればいいのに。こういう人が大勢増えて欲しい。

2005年05月20日

「ベアテの贈り物」が大阪で公開

「ベアテの贈り物」については、先日,エントリーに書いたが、大阪での公開がおこなわれることを知ったので防備録として、書いておく。

女性映像フェスティバル2005 part 1~日韓の女性監督がおくる3本のドキュメンタリー~
2005年7月9日(土)ドーンセンター ホール7F
「ベアテの贈り物」上映13:00~(開場12:30)
「日本&韓国発 映画をつくる女性達」(2本立て)上映15:00~(開場14:40)

こういう単発ものは、逃せないな~。明日の「Little Birds -イラク戦火の家族たち-」もひょっとしたらいける可能性が出てきた!また、見てきたら感想を書きます。

2005年05月22日

「Little Birds -イラク戦火の家族たち-」想像してごらん

昨日21日に福島区民ホールでこの映画を見る事ができた。だが、シネ・ヌ-ヴォでもう一度、見たいと思っている。

「見るのがつらい部分もあると思いますが、見ておくべき」と綿井さんが冒頭の舞台挨拶で言ったこと。

イラクの戦場を映し出したものなのだから、当然だろうと思っていた。だけど、わたしだけだろうか?想像力の乏しかったのは・・・・・

この映画は、米軍の攻撃が始まる2日まえの映像から始まる。戦争前のバクダッド。戦争前ってこんな感じ何のかな?と思えるくらい、落ち着いた、しかし活気ある街、美しい街が映し出される。これは、イラン戦争・湾岸とある種戦争なれした国だからなのか?と思えるほどの人々が落ち着いているように見えた。

たぶん戦時の略奪を防ぐため商店の人は、いくつもの南京錠をつけるための鉄片を溶接しているシーン。
手馴れた様子。

だが、様相は一変にかわる。大量破壊兵器を探すために爆撃されているはずが、民家、病院に打ち込まれる爆弾。あっけなく奪われる、子供の命。叫ぶ、人々。

イラク戦争がはじまって、わたしたちは想像しただろうか?ブログを読み、リバーベンドの日記をよみ、イラク情勢をTVでなくインターネットから多く知った。大変なことになっていることを文章で読んでいた。なのに
想像力の乏しいわたしは、この映画であらためて、戦争とは、こういうことなんだ。と知らされる。
「戦争って、こういうことなんだ」簡単な言葉だけれど、すごく重い。

このドキュメンタリーは、音楽も後付けのナレーションもない。感傷的にもりあげることも、恐ろしい気分にさせる音楽も何もない。現実の録音のみだ。

リアリティというのは、どういうことだろう?人間とういうのは、本当に現実、今目に見えている事、置かれている状況から、戦争という異常事態をどのように理解するのだろう。これは、戦争に限らずどんなことにも言えるが、意識して想像するということをしない限り、自然に自分以外の立場を理解する事などありえないと思っている。

人間は鈍感で。どうしようもなく、利己的で。傲慢で。不自由になってみて初めて自由を知るというように、障害を持った人の苦労も不自由さも、老人になって衰えていく事も、知りたくないことを想像しないでいる。それと同じように、他国の戦争は、痛みを帯びない。

だけれど、このイラクについては事情が違う。他国の戦争ではなく、実際に、わが関西の伊丹からも自衛隊がイラクにこの間行った。日本は戦争に加わった。イラクの戦争はまだ、終わらない。ますます悪化している。

伊丹の駐屯地の前の171号線で、見たもの。「黄色いハンカチ」が数多くはためいていた。うちのテジョンはちょうど、出陣の日に、171を知らずに通って、ひどい渋滞に捕まった。大勢のこわそうなお兄さんとちょっとケバイお姉さんが手に手に黄色いハンカチをもって、「いってらっしゃい」と送り出している光景。

この映画で、綿井さんは、米兵に容赦のない質問や願いをぶつけている。それは、カメラのうしろから叫ばれていた。「もう、罪のない人を殺すのをやめてくれ」

わたしたちが見なければならない映画。イマジン。想像してご覧?という問いかけが、ぐるぐる頭を巡る。

2005年05月30日

「イラク市民レジスタンス」のビデオを見る

映画「Little Bird」 は、いよいよ今週末から、シネ・ヌーヴォで公開となるが、知り合いからの声かけでこのビデオを是非見て欲しいとのことで、昨日29日の日曜日に、阿倍野市民学習センターまで足を運んだ。

今まで見知った、イラクの状況は、米軍の劣化ウラン弾の被害で土地は汚染され、政治は、CPA(占領統治)のために、テロが続発し、イスラム教が一層強化されて・・などだった。

まだ、混沌としていて市民の生活は、まったくメドがたたず、むちゃくちゃの国になってしまった。というのが、想像できることだった。
確かに、報道が減り、今現在、現地に残るのはNHKと共同通信(だったと思う)しかないという状況(先日の綿井さんの対談より)で、なにも伝えられていないというのが現状だ。だが、わすれてはいけない。まだ、終わっていないのみならず、占領軍の片棒をかついだ自衛隊がサマワにいるのだから。一体全体なにをしてるんだ?

先日、日の丸のラクガキ(踏絵のように×がつけられていた)があったらしいが。

このような状況で、ビデオ「市民レジスタンス」では、市民の生活がこの混沌の状態から、なんとか民主主義をめざそうと、運動するイラクの人々の姿が見て取れる。

イラク市民レジスタンスとは何かといえば、以下の言葉に集約される。

それは 自らの力でイラクを変えようとする武力を使わない市民のレジスタンスです。
「市民」とは「主権者」です。全ての人間の自由・平等をめざす言葉です。
私たちは私たちの日が来るまで、明るい展望の回りに人々を結集し続けます。
イラク女性自由協会(OWFI)議長 ヤナール・モハンメド

この組織はイラク失業労働者組合(UUI)やイラク女性自由協会(OWFI)、そして、イラクの中での民族宗教の違いを超えた「連帯地区」を作ろうと動きをもっています。

ことに、イスラム社会での女性差別、レイプ被害にあっても家族から「名誉の殺人」と呼ばれて殺される無残。女は二級市民という意識。へジャブを被らないでも良い社会。本当に、こころから自由を求める気持ちに共感する。

そして、シーア派、スンニ派、クルド人、もっと多様な民族を抱えるイラクで、お互いが、協調して仕事をしいっしょに暮らせる社会があれば・・・素晴らしいだろう。と思う。本来は、戦争前はお互いにとなりあって平気に生活してたとこもあったようなのだけど。

こんな運動が、出てきていて力をつけようとしていることに、こころから応援をする。

6/5には大阪梅田でイラクから、イラク自由会議議長サミール・アディルさん、ほかイラク女性自由協会の方も来日されて、講演をされる。「進め! イラク自由会議」が開かれる。

いろんな形で、平和アクションは行われているが、被害にたいする支援と、また、今後の生きる力となる支援。いろんな形が考えられると思う。わたしは、ふわふわと、ひとつところにいたくはないので、いろんなところで、できることをしてみたいと思っている。そう、「組織嫌い」無責任かもしれないが、こうやってブログめぐっていっても、普通の人が平和について、思うだけでない次の一歩を踏み出しているのを、多く知る。

情報も拾える。自分の足元はどこか?考えてみよっと。

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