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2005年04月 アーカイブ

2005年04月01日

気が付けば4月

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HPの引越しを計り、ついでにページをいじっていたら、ブログの更新も止まってしまい、おそらく思考もあんまり動いていない日々であった。もう4月やな~

とくにサーバーを替えるにあたり、blogの設置のやりなおしや、バージョンUPに頭をなやませていたからなのだ。

脳みそのあるぶぶんだけ、熱をおびてぐたぐたになっているのに、先がすすまず、情報もひっかかりつつ考えをとめてしまう。こういうのってよくないよね。

こんなとき、癒してくれたのは、アーロン・ネビルの歌声だった。

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Nature Boy スタンダードアルバム 2003年7月に発売されている。

Neville Brothersの泥くさーい、ニューオリンズばりばりのサウンドも大好きだけど、アーロンのブラックヨーデル(というらしい)歌声で、Danny Boyなんか歌われると、しっとりと部屋の空気を変えてしまう気がする。

昔は、うす暗いジャズ喫茶やバーへ喜んで行ったもんだ。そこの空気が違うから、行ったのだとおもうけど
自分のごく私的な空間を、変えるのも音楽のおおきな役割で・・・頭のなかがすさんでくると、脳みそがつかれてくると、極限的に音に走ったり、むちゃくちゃ楽器をならしたい欲求にかられたり・・・

やはり疲れてるのだろうな~
隣の部屋では、HIPHOP鳴ってるしな、また、若いやつはでっかい音かけるもんな、こっちの音が負けちまうじゃないか!

はやく引越しおわりたい。

2005年04月13日

新しい動き

日記の更新がとまっている原因は、HPのみでなく、手作り楽器教室の新たな展開と、世界とつながる具体的な方法として、「フェアトレード」を始める準備をしていたからだ。

その拠点となるスペースをHP上とJR吹田駅近くに持つために手作り改装屋をやっている。
本日は、ペンキ塗り。
ピアノ塗装はするけれど、日頃しない白いボードや、看板を塗り替えてどんどんもと喫茶店がイベントスペースに変化していく。

展覧会、ワークショップ、物品販売やアート活動など、いろんな人間が出入りし、創るところにしていこうと仲間で企画を検討中だ。

HPにどんどん公開をしていく予定にしています。楽しい忙しさにかまけて、白いペンキだらけの手でキーボードをたたいています。

この4月は、世の中が騒がしい。平和関連のMLリストでは、良くない情報がんがん毎日入ってくる。
こと中国、韓国との関係が深刻なことや、ほんとうに国を越えて人が繋がると言う事を実現するのはとても冷静で地道な努力がいるような気がしている。
ともすれば、政府の思う壺のような反応をしてしまわないように、憎悪が憎悪を生まないように。

また、「平和のつくりかた」をおさらいしないといけない。どういう理論で考えるか対立する立場をどう調整するのか?

個人レベルではどうしようもない・・なんてことはない。個人の意識から、憎悪という見えない負のエネルギーを増幅させないように自分に用心することから、空気は変わると思う。
理想から始めないと何から始めるのだろうな。。

2005年04月15日

海を越える唄

先ほど、「たけしの誰でもピカソ」というTV番組を観ていて思わず、こころをくすぐられた。

番組のたけしを尊敬するイ・ビョンホンとたけしの対談もそれはそれで、映画というツールでか~るく国を越えた人と人のつながりを感じたが、その後の宮沢和史の短い特集はもっとこころを高揚させるものだった。

「島唄」が世界を駆け巡っている。という

「島唄」作詞・作曲 宮沢和史

でいごの花が咲き 風を呼び 嵐がきた

でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐がきた
くり返すくぬ哀り 島渡る波ぬぐぅとぅ
ウージの森であなたと出会い
ウージの下で千代にさよなら

島唄ぐぁ 風に乗り 島とともに 海を渡れ
島唄ぐぁ 風に乗り 届けてたぼれ わんくぬ涙(なだ)ぐゎ

でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
ささやかな幸せは うたかたぬ波ぬ花
ウージの森で歌った友よ
ウージの下で八千代の別れ

島唄ぐぁ 風に乗り 島とともに 海を渡れ
島唄ぐぁ 風に乗り 届けてたぼれ わんくぬ涙(なだ)ぐゎ

海よ宇宙よ 神よ いのちよ このまま永遠の夕凪を

島唄ぐぁ 風に乗り 島とともに 海を渡れ
島唄ぐぁ 風に乗り 届けてたぼれ わんくぬ涙(なだ)ぐゎ

ウージは、さとうきびのこと。
宮沢は、沖縄戦のひめゆりの学生達のことを知り、唄にした。日本で唯一の地上戦となった沖縄で、借り出された学生たちの命は、戦争が終結して解放の宣言がだされたあと、米軍に何をされるかわからないという恐怖のもと、あるいは、ガマで日本兵に強要されて、自殺をすることとなった。

この唄がなぜ、世界にことに、ポーランド・ブルガリア・ロシア・アルゼンチンと日本にとってとおい欧州で拡がることとなった理由については述べていなかった。ただ、音楽が、かる~く国をこえていることは、承知のことだけれど・・・何せ、クラッシック音楽というのは、西洋音楽ですからね。

けれど、日本のしずかな反戦歌とでも言える。千代に八千代に誓った、友人との絆も、皇軍の名のもと、多くの日本兵に命をおとされる皮肉な結果となった沖縄。千代も八千代も別れのキーワードになっている。

今、ざわついた、粗っぽいナショナリズムにゆすぶられる日々である。国は、ほんとうは人間同志では軽くこえられる概念に過ぎないのに、それぞれの政治にあやつられる思考から自由にならなくてはならない。自分が何者かは、国が決める事ではない。

そういう気持ちでありつつ、国の勝手な意志は許さない。

2005年04月21日

抗議行動の質

今夜もデモを見た。扇町を車で走っていて、警察がやたらに多いなと思っていたら、対抗車線に長いデモの列があった。ちょっと、シュプレヒコールが聞こえづらかったので、過ぎ去ってしまって何だったかわからなかった。何を訴えてるか?ってのがデモ重要なポイントなのにね。

整然と粛々とこのデモ隊は歩いていた。この人たちをみて、中国のデモというより暴動を思い出した。

大体、集団ヒステリー状態になった、人の塊は、意志をもった(ようにみえる)凶器にすぎない。
このような抗議が、ほんとうにものごとを訴える手段として適当なのかというのは、理性をもってすれば明らかだ。

ものを破壊する行為。暴力行為をみるのは嫌だ。特に集団でやってるやつは。
以前もとりあげた、キング牧師の非暴力平和主義をまたもって、偉大な抵抗運動だったと再認識した。

キング牧師の運動は、バスボイコット事件からはじまった。それはまず、「歩く」という抵抗だった、バスに乗らない。という抵抗。簡単なことのようで、実にたいへんな抵抗運動だった。このことで、黒人のバスでの乗車の差別が撤廃されたが、その撤廃後の初日の様子が本で描かれている。

あるものは、白人から実際に暴力を受けた。だが、暴力で仕返しはしなかった。非暴力ということの実践には、強い、プロテスタント系キリスト教のキング牧師の教えが浸透していたからであるが、信仰などの強い一つの思いにたいする絆をもっていないと人間という集団は、暴力にまみれるのか?
でも、信仰が暴力を生み出しているパレスチナの地もあるので一概にいえないね。ひとえにキング牧師の偉大さだったのか、求心力だったのかもしれない。

たとえテーマは、「平和」であれ、手段が暴力では意味がない。暴力の連鎖は食い止めたい。
日本で中国人を支援する団体や、中国人に暴力的行為がおこらないように。ここは積極的に祈るしかないか。

2005年04月22日

マデリン・ペルー  "careless love"

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MADELEINE PEYROUX "careless love"

マデリン・ペルーCDを買った。ほぼ衝動的に。FMで聞いた一曲が引っかかった。久々にわくわくし、しっとりと、夜の静けさを楽しむ事ができる曲のかずかず。

この人の声は、ビリーホリデイの再来と言われているらしいが、声だけ聞くと年齢も容姿も写真とはかけ離れている。なめらかな、声。なつかしいけれど、新鮮な声。

わたしも一時、クラシックJAZZをよく聞いた。ビリーホリデイやもっと古くさかのぼり、ベッシ-スミス。このCDのタイトル曲もベッシ-スミスの歌ったものだ。ヘレン・ヒュームス、アルバータ・ハンターこの辺も聞いた。

すごくブルースフィーリングのある、JAZZの歌声は、すーっと、染み込んでくるように、耳に入って聴いているという感覚すらなくなり、自分のいる場の一部となっていく。ひさびさ秀逸のCD。

音楽を選ぶ時。とくにCDを買う時、昔はレコードを買う時、みんなどういう基準で買うのだろうか?
レコードの時は、よくジャケ買いをした。いいジャケットは、いいレコードという通念があるから。今は、CDで、ジャケットが小さくなって存在感がわからないんだな。ジャケットが訴えてくるっていう感覚がね。
そして、参加アーチストを読んで、なかば賭けの気持ちで買ってくる。

昔は、一枚一枚がなけなしのお金で買うものだから、スリルもあったな。心斎橋に坂根楽器店というのがあったのだけど、いつもそこで、ブルースやニューオリンズものやキューバ音楽やいろんなレコードがそこにはあって、音楽仲間はひいきにしていた。

ある日アラン・トゥーサンのアルバムをバンドメンバーが同時に4人ほどおそろいで買っていたことがあった。なんで一緒に買ったのかはなぞだけど、たぶんカットアウトか何かで、廉価品だったのだろう。でもみんなで、ジャケットもって並んで座っている図を今も思い出す。

えらく話しがそれてしまったけれど、そんな風に、すてきな風景も思い出させてくれた、マデリンは聴く価値ありですよ。

2005年04月23日

公開まちどおしい映画

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イラク戦火の家族たち

イラク戦争が終わって2年。去年は、日本人3人が拘束された。ちょうど4月頃、バッシングが盛んにおこなわれていて、記事を書いた「人質になった人へのエール」
その当事者である郡山総一郎さんの講演会を後に聴いて事実を知る。「もぎとるジャーナリズム郡山総一郎さん」という記事も書いた。

そして、未だにイラクに自衛隊はいるというのに、「反日」の話題に人のこころは持っていかれている。

そんななか、2つの映画が公開された。まず、東京から。
ドキュメンタリー映画「Little Birds -イラク戦火の家族たち-」監督 綿井 健陽 

綿井さんを多くの人が知っているに違いない。イラク戦争の現地レポートをニュースステーション、ニュース23などでご覧になったはずだ。アジアプレスのメンバーとして活躍されている。

あの戦争は、どんなものだったのか?
「戦争の風景」とコントラストを描くように、鳥の鳴き声があちこちでこだましている。だが、その鳥の声は、決して鳥たちだけの鳴き声ではない。(映画LittleBird HPメッセージより引用)

鳥は、死んだ子供達なのだった。イスラムの教えでは、子供が死ぬと鳥になるという。
このドキュメンタリーは、「華氏911」のように戦争を仕掛ける側からの視点ではない。多くの普通の暮らしをしていたひとが、命を奪われていく、ボディカウントではなく、ひとりひとりの命としてとらえたものと信じる。観たい。

この映画については、Tamyさんのブログに詳しい。

そしてもう一本。
映画「日本国憲法」
これも話題になっていた映画だ。
世界の知識人12人が日本国憲法について語るインタビューなどをまとめた映画と紹介されている。この映画の音楽を担当するのは、なんと「ソウルフラワーユニオン」です。ますます期待大!
この映画もまた、Tamyさんのブログでかかれていて、この2つの公開が同じ時期であることも、非常に意味深いと感じる。Tamyさん感謝です!!

この2つの映画。大阪では九条(きゅうじょうと発音するのではなく、くじょうと発音するのです。)のシネ・ヌーヴォ。で公開される。

しかし、その前に単独で公開されます。(シネ・ヌーヴォHPより)5月の土曜は楽しみだ!!
『Little Birds イラク戦火の家族たち』特別先行上映

日時:5/21(土)開場13:00/開映13:30
会場:大阪市福島区民ホール
アクセス:地下鉄千日前線「野田阪神駅」7番出口すぐ、阪神「野田」徒歩5分
tel:06-6468-1771
●対談 綿井健陽監督VS大谷明宏さん
6/4(土)よりシネ・ヌーヴォにて上映!

『映画 日本国憲法』完成記念上映会
日時:5/28(土)開場13:30/開映 14:00
会場:大阪市中央区民ホール
アクセス:地下鉄堺筋線・中央線「堺筋本町」3番出口下車、東へ徒歩1分
tel:06-6267-0201
●トークショー ジャン・ユンカーマン監督他ゲスト予定
前売1200円(シネ・ヌーヴォと共通チケット)
当日/一般1500円、大学1200円、高校以下・シニア1000円
7/2(土)よりシネ・ヌーヴォにて上映!

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