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2005年01月 アーカイブ

2005年01月04日

スマトラ沖地震

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新しい年になり、といっても連綿と続く日々のつながりに一区切りの休暇があって、けじめをつける。という人間の生活習慣の中でのとらえかたであるが。

とはいえ、12月26日に起こった「スマトラ沖地震の被害」が今は緊急を要する問題である。

いまや15万人もの犠牲者を出してしまった。この朝日の記事では、各国が援助を申し出ていることを伝えている。

同記事中から引用
北欧の「スウェーデンでは民間募金でも国民1人あたり10ドル(約1000円)に達した」という。AFP通信によると、デンマーク政府は3日、援助額を当初表明より4割多い4億2000万クローネ(約80億円)に増やすと発表。国民1人あたりに換算すると1500円近くで、援助表明国の中で最高額になるという。

世界で多くの地域に住む人々が心を痛め、とおい国への支援を申し出ている。
人間だけが、地球をエリアにわけて、故意に壁を立てている。空気も同じひとつづき、大地もひとつづき、海を隔てていても、海の下は一続きである。

「破壊」の絵をみると、天災も人災(戦争)も同じ風景になる。阪神大震災のとき戦後の焼け野原をそうぞうした人も多かったように。

誰をも無差別に襲った洪水。自然現象には、人間の作った小さな壁面をあっさりぶち壊す力がある。

だから、わたしたちは無差別に自然と相対している。
どこに誰がすんでいようが、遠かろうが近かろうが、なので、わたしは心苦しい。

何かをするためのリストをあげてみました。
続く

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2005年01月06日

今年も毎日が日曜日

今年は、何か一歩踏み出せるか?と問いつつ。1月も一週間が過ぎようとしている。地震についての情報も気になるが、私の生活はごく普通に毎日が日曜日状態である。年始は起動が遅いこともあるが、日記も含め、エンジンがかかっていない。

ひとつ楽器をつくろうと、その辺のものをかき集めていた。チェンバロピンと弦で、ピアノの原型のような楽器をつくってみたいと思い・・・。その辺のものといっての、ピアノの仕事をしているせいで、あんまり一般的でないものも、転がっている。

いつも手作り楽器の情報の豊富さでは、楽器工房ミネハラさんのページがおもしろい。ここの手作り楽器は、ウチとは違い、古楽器などけっこう本格的なキットの販売をしていて、見ていると楽しい。

身近なもので、というのがウチのコンセプトなのだが、手作りとはいえ美しい楽器をみると魅了される。
昨年暮れにピアノ調律師の集まりで、大阪音楽大学の音楽博物館へ見学に行った。アジアの古楽器や日本の三味線から古典ピアノ、太鼓や民族楽器と多岐にわたって展示がされていたが、やはり、手作り楽器をし始めてから、本物の民族楽器の構造をみるのに執着してしまった。

もちろん、みんな調律師なので、ピアノの歴史も詳しいし、ああこれが、あれね~など、実物で確認したり、見慣れない楽器の発音構造を推測したりも楽しい。

ウチでは、テジョンが竹二胡をバージョンアップさせたり、二胡弾きの練習に余念がない。

わたしは、音楽に関わりがあるが、そのアプローチがディープな時とそうでない時(まるで蓬莱のぶたまんCM)にムラがある。音楽に精進している人は、何時間楽器をいじっていても平気なのだろうが、ムラ気の多いのは単に自分のせいだと思うが。

ことしはも少し精進しよっと。
そろそろGospel復帰かァ?

2005年01月08日

似たもの同志の溝・・和解へ

人間と人間。であうと、お互いの共通する趣味や、嗜好に盛り上がったり、共感して喜んだりする。
けれど、どんな人間も違う文化を生きてきた年数分持っている。そこを、すっとばして、今ある共有できる幸福感を拡張しすぎて、少しの違いを許容できなくなって亀裂を生じさせる。そんなこと経験したことないですか?

ほんとに人間は小さいこころの生き物だと思う。

ふらふらこころを揺さぶられる。

自分の価値基準を、一般化する。

世界は同じ一つの価値によって支配されてはいないということ。唯一「愛」くらいかな?みんなが求めてでもなかなか手に入らないってものがあるとすれば。

共感は点であって、面ではない。わたしは、心ってものは、あるいは魂ってものは、球体のようにどこも平面がなく、他のこころに接するのも「点」でしかないと考えている。でこぼこの球体なので2ヶ所が点でひっついてしまうこともあるだろうしね。3つもあり4もあればすごい凸凹。

そうして、人との付き合いを考えると、とんでもなく人に失望するってこともなくなった。嫌いということばがなくなった。合わないとか、ペースがいまいちとかはあるだろうけど、そんなん当たり前。わかりきったこと。

極力集団にまみれないように生きてきたつもりだけれど、愛する人々がいる場所にまた、もどってなかから異端を発揮してこようかと、開き直った。(ことばどおりだと誤解があるが)
つまり、本日よりゴスペル集団にまいもどったという宣言をします。

なぜ、異端か・・・信仰のないわたしが楽しくゴスペルを歌おうということ。歌の力をしっているから、もういちど、違うアプローチで行こうという、非常に私的な宣言でした。

実に抽象的で日記らしくなりすぎすいませんでした。本日は終了。

でも、どんな集団にも抱える問題はある。平和運動でも然り、物事の何かに賛成していても、そのアプローチには反対といえることも多い。まるがかえで、全部いいってのがあるとすれば、それは、信仰そのものだ。と感じるね。では、駄文終了。

2005年01月09日

音楽映画ぞくぞく上映

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映画「RAY」から
(C)2004 Unchain My Heart Louisiana,LLC. A Universal Release All Rights

音楽映画が充実している。昨年のThe Blues Movie Projectも第2シリーズの公開が迫っている。映画館は心斎橋パラダイススクエア
1月15日から28日まで。なんと、シリーズ第1段で公開のソウル・オブ・マン、レッド、ホワイト&ブルースも上映される。上映の時間が日替わりなので、チェックして下さい。(1/15訂正)

その残り2作品は『 デビルス・ファイヤー 』 チャールズ・バーネット監督

そして 『 ゴッドファーザー&サン 』 マーク・レヴィン監督 出演: ハウリン・ウルフ、マディ・ウォーターズ、ココ・テイラー、サム・レイ、マジック・スリム、チャックD、コモンほか 。この映画はBluesとHIPHOPの出会いを描く。

また、「ライトニン・イン・ア・ボトルマーチンスコセッシ監督総指揮。ブルース生誕100周年となる'03年 2月、NYCラジオ・シティで行われた豪華アーティストによる一夜限りのブルースの祭典。梅田ガーデンシネマで2005年公開。

まだある。映画「RAY」OS劇場C.A.Pで1月29日より公開。昨年亡くなったレイチャールスの自伝的映画。レイチャールスを演じるジェイミーフォックスは、とってもよく似ている。(予告編をみた)。声質も似た感じで、こもったような低い声をしている。これは、ドキュメンタリー映画ではないが、期待大!

もひとつおまけに「食べる・聴く」さんのブログで見つけた「フェスティバル・エクスプレス」。こちらは、黄金の70年代ROCKの華々しい姿を焼き付けたドキュメンタリー映画らしい。あのころのアメリカの音楽シーンは、あこがれだった。

今なら、すこし冷静にあこがれだけでないアメリカを見ているのだけど、音楽にわくわくした時代の音を聞くと、すべて吹っ飛んで、その時代の自分に飛んでいってしまう。

上映スケジュールをチェックしながら、さて、どこまで見れるでしょうか?少々、うれしい悲鳴。

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2005年01月16日

マーチン・ルーサー・キングJr.牧師 誕生の日

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映画「テロリストは誰?」から

1月15日は、マーチン・ルーサー・キングJr.牧師 の誕生日である。アメリカでは、1月の第3月曜日にKing's Holidayとして祝日となる。ユキノヒノシマウマさんのブログにもこの日のことは詳しくかかれているので参考にして下さい。

非暴力的抵抗、非暴力平和主義。この今の時代にキング牧師の言葉が数々引用されている。

映画「テロリストは誰?」の冒頭のシーンでのメッセージ。キング牧師のビデオ映像と共に伝えられた。

「この世で最大の暴力請負人は我が国の政府である」(マーティン・ルーサー・キング Jr. 牧師)

 「あなた方の苦難を課す力には、私たちの苦難を耐え抜く力で立ち向かおう。物理的な力には、魂の力 で対抗しよう」 マーチン・ルーサー・キング牧師
豪州NGO女性ドナのファルージャ拘束報告No1より)TUPのサイトから

また、
「後世に残るこの世界最大の悲劇は、悪しき人の暴言や暴力ではなく、善意の人の沈黙と無関心だ。」
これも、心にコタエル。無関心の恐ろしさ。見ないでおこうとする無謀さ。

もちろん、ワシントン大行進での有名な「I Have A Dream」の演説も・・・このサイトで演説内容の翻訳と肉声が聞ける。この演説は、中学生の英語教科書にも取り上げられている。

キング牧師の公民権運動のきっかけとなった、ローザ・パークス事件により、バスボイコット運動が起こり、
黒人はみんな、職場まで歩いたり、車を乗りあって、バスに乗車することをやめた、初めは、白人はくだらない抵抗運動だととらえていたが、結局、バスはがらがらで、白人の生活にも影響を与えた。

これは、映画「ロング ウォーク ホーム」主演 ウーピー・ゴールドバーグ松竹ホームビデオ。監督:リチャード・ピアース 1990年アメリカ映画 96分にも描かれている。
喜八ログさんに詳しい映画の内容がかかれている。

わたしも見たが一見の価値がある。白人によってひどい言葉で語られる、当時の黒人の気持ちを思うとつらく、絶対的な差別状況に彼らはいたといくことを、怒りをもって感じる。

では、今、差別的な状況に苦しんでいるのは誰か?アラブのイスラム教徒?イスラムの女たち?偏見をもたれている苦しい人々はどこ?

どこにでもいるのだと、思う。大きく、民族や人の種、出自によって差別があったとして、その被差別者のなかにも、さらにまた、被差別者を作ることがある。男性の女性に対する差別である。イスラム教の中には、本当にひどい女性差別があり、家族からも追われ死を余儀なくされる女性が少なからずいることは、辛い。

さらに、DVのなかから、子供に対する虐待という差別も現れる。

暴力の連鎖。というのは、卑近なことから、戦争レベルにおいてまで果てしない。
非暴力的抵抗の偉大さ。

今、岩波新書の「自由への大いなる歩み」を読み始めている。今だから、戦争しないための抵抗をどうやって考えればよいのかのヒントが見つかれば・・・と思う。

キング牧師の本については、心想事成さんのサイトに詳しい。

人の足を踏んずけてもわからないような人間にならないために。

憲法で両性の平等が揺らぐ?

1月16日の赤旗日曜版を見ていて、ギョッとした。うちでは、一時期、記事の比較のためにいろんな新聞を取ることがあったが最近はWEBで検索できるので、複数紙とることがなくなった。(お金がもったいないし、目を通す時間がないしね。)だが長年のつきあいで赤旗日曜版はポストに入っている。

中々日刊紙にない記事があったりしておもしろいのだが、この記事には恐怖を感じた。
 婚姻・家族における両性の平等を規定した憲法24条を見直そうという動きがある・・・と言う。

憲法24条
①婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

②配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚ならびに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

記事は、憲法学者の中里見博さんから聞いている。要約すると・・・
自民党の憲法調査会憲法改正プロジェクトチームが昨年6月に公表した、「論点整理」に「婚姻・家族における両性平等の規定(現憲法24条)は、家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべきである。」という、見直し案のもつ問題点である。

何故、見直すのか?「個人主義が利己主義に変質した結果、家族や共同体の破壊につながった。家族や、共同体における責務を明確にする方向で新憲法を考えていく」から・・らしい。

我々が、日本という国にとって不都合な自由度をもっていると言う事?どういう責務を果たさなければならないの?ということについては

「公共の責務」 ①社会連帯、共助の観点からの公共的な責務
          ②家族を扶助する責務
          ③国の防衛及び非常事態における協力義務
以上3点。
ほら、恐ろしくなってきたでしょ。

サイトを調べていたらすでに反対キャンペーンを張る、市民運動が存在していた。
STOP!憲法24条改悪キャンペーンのサイト
その中から、昨年10月31日の憲法改正プロジェクトチームの議事録が載っている。青ざめる。

夫婦別姓反対。神道への回帰。愛国心。老親を子が扶養する義務。等々。こんな古い価値観、家制度に縛られたかつてへの回帰を何故いまごろいっているのかって~。戦争が出来る国は、家族単位で国民を縛り付けて、国へ奉仕しやすいように考えてるからじゃないの。

お隣、儒教の社会体制をもつ国韓国では、2月にむけて家族単位の戸籍制度を廃止する方向である。

朝鮮日報の1月10日記事はこちら

中央日報の1月10日の記事はこちら

移行する「1人1籍制度」は、個人別に1個の身分登録簿を作る。そのため、これまで、父や夫の戸籍に偏在していた女性も、今後は、自身の身分登録簿を持つことができる。以前の戸籍制度が、男子の戸主を中心にした家族関係だったとすれば、1人1席制度は、登録上には男女平等の形になる。 (中央日報記事より抜粋)

どうだろう。この違い。直接、戸籍制度について、憲法24条が規定しているわけではない、が、日本の現行の戸籍制度と比べてみてどうだろう?ちなみに韓国は、夫婦別姓である。理由は、男子の戸主主義のため女性の氏は、夫の氏に家族としてはいれない、ようするに男系のためにはいれないためなのだが、それを考えても、家族で2つの姓があっても混乱なんかしてないよ。

憲法9条もそう。戦争したい人間は差別主義者である。(と断定したい)戦争暴力は相手の生きる権利を
奪っていく、人権侵害だから・・・・

「夫婦別姓を待つ身の溜息」さんのサイトですでに昨年6月に問題が発覚したときに取り上げられている。
以下二つの記事
2004.6.25 実は家族よりも優先されるものがある家族条項
2004.7.9 自民党の憲法24条改正に関係する記事

2005年01月18日

1.17の10年

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神戸 ERTH展
1.17を振り返ると、毎年報道が希薄になるなあと、感じていたが10周年ということで、あの時の風景をまたTVで見る機会が何度かあった。

昨日は(日付がかわってしまったので)、以前、西代仮設住宅に訪問ボランティアを少しさせてもらったかたがたが開催された合同慰霊祭にほんの少し顔出しした。
当時、長田区の西代仮設住宅は、野球場に建っていた。それは、仮設が建ってからの繋がりだが、もっと状況が整っていなかった頃、震災後初めて、神戸に向かったその日のことを鮮明に覚えている。

その日は、東灘区の森南地区の公園で多くのかたが家を失い生活されていたので、仲間と炊き出しをしに大阪からやってきた。当時4歳と9歳の子供を連れてだ。大阪に住んでいるわたしは、電車が神戸へ近づいていく時の車窓の風景を見て、緊張した。だんだんあおざめていくような気分に襲われた。

大阪梅田の人ごみ、何事もなく遊びに行く人々のいる町から、なにもかも失った街へ。そのときに4歳のこどもが言った言葉。「テレビでみてたけど、ほんまにこわれてると思えへんかった。」
4歳は、虚構の怪獣TV、何とかレンジャーシリーズで毎回破壊される街などめずらしいシーンではなかったのだろう。でも、それは、どこかニセモノ臭く、子供にとっても違う感覚のものだったのかもしれない。

大きな屋根が崩れ落ちている。足元は、アスファルトが隆起していたり、亀裂で歩きにくい。子供を連れて行くにはふさわしくないかもしれなかったが、けれど見ておいて欲しかった。そして、それ以上に自分に強烈に焼き付けた。テレビのむこうの他人事(ひとごと)にしないために。

けれど、それが本当に激震の恐怖と喪失を経験した人にとっては、思い出すのも、当時のものを見るのも辛い日々であったり、ようやく10年で振り返ることができる心境になった人もいただろう。人の辛さを替わってあげることは、出来ない。本人でなければわからない、心の細部まで傷ついた人に共感は出来ない。
だけれど、そばまで言って、聞くことくらいはできる。わたしに辛さをブチまけて、心がすこし軽くなるなら。

この10年前の出来事から、わたしも夫も出会う人々、かかわることになった人々が何倍にも膨れ上がった。人生の方向を変えた出来事だった。

2005年01月22日

暴力に巻き込まれずに

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津波や地震が奪う人の命は、自然の大きな力にかなうことができなかった証だけれど、人によって生み出される暴力は、果てしがなく罪深い。

イラクで米軍から命を故意に狙われるのは、14歳~50歳の男の人。戦闘要員という考えだ。子供の戦士がシエラレオネや、アチェでもいる。許されない。

我が家にも実は戦闘要員の下限近くの年齢にたっするやつがいる。昨年、学校から配布されたのか、道端でもらったか不明だけれど、「自衛隊生徒採用案内」という紙切れを持って帰ってきた。ずっと、気になりとってあった。

この紙を持って帰った時はぞっとした。要するに、中学卒業者対象に募集している。

案内から

自衛隊生徒とは
科学技術の進歩が著しい現代、自衛隊においても常に現代科学の粋を集めた装備が各分野で使われています。これらの優れた最新装備を扱うためには、専門的な知識と技術が必要であり、このような観点から、とくに素質に優れた若い人たちを専門技術者として養成するために、中学校卒業者を対象に採用する制度です。

身分・待遇等
身分・特別職国家公務員
給与・初任給152,300円(16.4.1現在)*昇給:年1回
賞与・期末・勤務手当(ボーナス)年2回6月、12月 年間4.4ヶ月分
衣食住・全員が宿舎で生活し、宿舎費は無料、食事、一部の被服類は支給又は貸与
休日・休暇:週休2日(土・日)年次休暇(24日/年)
高等教育・陸上・海上・航空自衛隊生徒として入隊すると同時に高等学校(通信制)入学
(通信教育の経費年間約25,000円前後は自己負担)

一次試験
国・社・数・理・英・作文(マークシート方式)
2次試験
個人面接、身体検査、適性検査

てな内容だった。「華氏911」でマイケルムーアが海軍兵士の募集を上院議員たちにむかって「お宅の息子さんを最前線に是非どうぞ!」と勧誘しているシーンを思い出す。むろん、戦時において日本では少年までもが借り出され、特攻として命をおとしたり、広島では、学徒動員で奉仕活動をしていた中、原爆が投下された。

ヒロシマの原爆資料の中で、小さい軍服(のような制服だと思うが)がぼろぼろになっているのをマネキンがきていたのを子供の時にみて、覚えていて、再度、子供をつれてもう一度、見たときは、親の目になっていたので、苦しかった。自分の子を失った気持ちになった。

暴力に巻き込まないで欲しい。

21日の夜に、疲れてぼんやりTVを見ていたら「夜回り先生」のドキュメントをやっていた。以前も他のドキュメンタリーで見たことがあったけれど、昨日は疲れていたからなのか、何かわからないけれど、涙がでた。「人はやり直すことが出来る。」子供達が薬物依存やシンナー中毒、リストカット、自殺願望でがんじがらめになっているときに、圧倒的な力で子供達からSOSが送られてくる。病魔と戦い命をけづり、ささやかな一人一人の、子供達の命を守ろうとする大人がいる。

(「水谷修先生の夜回り日記 」毎日新聞はコチラで読めます。)

命と引き換えか?この人の行動は・・・と思わせる。私自身は、うけとめることがしんどいと、たまには思うことがある。それは、他人であったり、我が子供であったりしたが、やっぱり、自分の子供はなんとかふんばろうとする。

不細工な受け止め方しかできない。そんなことを繰り返すけれど、この水谷先生の存在を見ていると、ぜった見捨てないということの大切さを感じる。

そうやっていつくしみ深く、子供を守ることの困難で苦しいみちに比べ、戦争にかりたてる甘い言葉と自分の死や他者の死まで軽くあつかう暴力は相反する。

暴力に巻き込まれずに賢い大人になって欲しい。こころからそう願う。今年も一つ大人になる子供たちへメッセージするとしたら・・・

2005年01月27日

こどもの死生観

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長崎県佐世保市の小6同級生殺害事件を受けて調査された小学生の「生と死」の意識調査。「死人が生き返る」と答えたのは小学4年14.7%、同6年13.1%。中学2年は18.5%で、小学生よりも高かった。(記事より)

中学生の方が、多かったことについていろんなことを大人は考える。「死」というものを言葉で読んで、やっぱり言葉で「書いて」答えたらこんな感じになるのだろうか?死は、子供には非日常のイメージの世界だろうと思う。なのに、子供が子供殺しをするという事件がおこって、大人は混乱している。

大人にとっては、寒いこの季節に街の「高齢の人」が死をむかえることは多々ある。葬式に出る回数が増えるという実感がある。でも、これも個別の死だが、本当の死なんて自分がそのときにならなければ、わからないものだ。死と直面しているのに、実感のあるようでない死。見てみぬふりをする死。

中学生といえば、現実を少しずつ理解し、社会の矛盾も、苛立ちも感じる多感な時だ。願望めいた気持ちで「生き返って欲しい」という思いなのだろうか?映画のテーマとしてもはやったし。

大人としてのわたしたちも、ほんと実体のない生き方をしていると思うときがある。イメージやネットのことばに翻弄されたり、感情をぶつけるのもネットだったりと。だからこそ、自分から人にまみれに行く。知らない人と出会うことに喜びを感じる。あえて。

生と死がとなりあわせの現実はイラクにある。リバーベンドの日記は更新されている。そう、本当は観念的なものではないのね。生きているものが死ぬということって。

2005年01月30日

ブルースプロジェクト完結か

この間のエントリー「音楽映画ぞくぞく上映」で書いていた、The Blues Movie Projectのあと2本を見てきた。28日の上映終了になんとか間に合った。

『 デビルス・ファイヤー 』 は、少年の目をとおして描かれる、ドラマと本物の演奏シーンがしょっちゅうクロスする。今回の映画シリーズでは、フィクションの部分が入っているのが「ソウルオブマン」とこの2本だが
どちらかというと、ドキュメンタリーのみで構成されているほうが、わたしとしては良かった。
ブルースマンはもう、生で演奏を聞けない人が多くいるので、レアなシーンの多い方が面白かったのだ。

この映画のテーマは、ブルースは悪魔の音楽。というキリスト教サイドのとらえかたをからませてあった。本当にクリスチャンでもいろんな考えはあるだろうし、今、現在の時点ではブルースはアメリカの黒人文化の歴史を語る上でも重要な文化遺産的側面もあるから、こういうブルース生誕100年というイベントが出来たわけで・・・ゴスペルは善でブルースは悪というのもね。無理があろう。

最後の1本
『 ゴッドファーザー&サン 』 これは、ブルースの名門レーベル「チェス」の歴史とヒップホップとマディウォータースのブルースのコラボレーションを作るドキュメンタリーだった。「チェス」のレーベルの創設はシカゴでおこなわれ、ポーランド移民のチェス兄弟によって生れた。ユダヤ人が黒人音楽の専門レコード会社を作ったというわけだ。

そのころ、シカゴでは、ユダヤ人と黒人のミッククカルチャー的な街の様相があり、チェス兄弟は、黒人のゴスペル教会から聞こえる音楽に魅了され、教会に聴きにいっていた。そういうところから、ブルースは発掘される。マディウォータースがトラックの運転手からブルースのヒットメーカーになる道を彼らは作った。

今の若者がヒップホップに夢中になる中、そのルーツはブルースに行き着くという考えからパブリック絵ねミーのチャックDがルーツ探しの旅にシカゴに向かう。そして、マディの「Electric Mad」のアルバムを当時のミュージシャンを呼び戻し、ボーカル部分をヒップホップに乗せていくというレコーディングが行われた。

当時のシカゴの雰囲気をつたえていて面白かった。マディのパーマをあてている姿もおもしろかったし。

ドキュメンタリー映画をこんなにたくさんみたのは、はじめてだったけど、音楽のあるドキュメンタリーはわくわくする。へんに作ったストーリーは色あせる。彼らの存在自体がブルースだったからね。

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