秋・日本
ここのところ、色んなことがあった。その中でも、イタリア人女性の解放のニュースは、ひところの日本の人質事件とダブって政府やイタリア国内の反応が興味深かった。そんななか、昨日
の新聞記事では政権の右派が「政府に感謝足りぬない、帰国費用を負担せよ」という日本と同じような批判を浴びせている。
解放当初、報道などでは、とてもイタリアの人々がこころからよろこんでいる・・・そんな印象だった。イタリアからの軍隊の撤退も野党が訴えている。日本人で人質になった高遠さんも応援にいっていた。同じく人質になっていた郡山さんの話を思い出す。「お互いに理解しあおうと、活動を伝え、イラク人はイスラム教について教えてくれた。」また、日本人の人質となった彼らが自分の宗教を持っていないことについて「宗教をもっていないから、だめなんだ。いや、宗教がないから色んなところで活動できる。などと議論を交わした。」という内容の話もあった。
そこは、理解しようとする。人間と人間の場だったということ。これも共通している。でも、残酷に殺される外国人もいた。それは、どんなにアラーの後ろ盾があるといっても、筋がとおらない。
まだまだ、混迷を極める。人殺しのつづく日々をどうか止めたい。
こういうことを書いていると、無力感を感じる。というのは、どうやらわたしだけでないらしい。
ほんとうにつぶやくだけでは、仕方ないと思う。だから、何かひとつでもできることを考えようとしている。
ここ何日かはまアメリカと日本だけで、イチローが大注目を浴びた。その、瞬間をみようとBSにチャンネルをあわせていたことは白状するけど。
命の重さまで差別されている世界の不均衡をどうすればいいんだろう。