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2004年05月 アーカイブ

2004年05月01日

ぷーみょん近況

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ゴールデンウィーク突入である。ここ2年ほど毎年、管理人のGWはゴスペル漬けであった。本年は、ペースを変えていろいろしようと思っている。

写真は、プーミョンとテジョンが最近会ったときのものである。映画は、また大阪で監督をまねいて上映される。

日程は、5/28(金)場所 中央公会堂 時間18:30~20:15 申し込みは往復はがきで5月20日まで市民局人権啓発課「シネマ広場」係りまで。問合せ電話06-6208-7631.ファクス06-6202-7076 参加希望人数(2名まで)も記入してください。

と、以上大阪市政だよりから引用しました。まだ、大阪市のHPにはこの情報はUPされていません。現時点。

いちど、プーミョンの世界に触れてください。障害をもっている、いないに関わらず、人のペースを考えて生きるというのは、つい忘れてしまい勝ちですが、ぷーみょんをめぐって多くの周りの人間は、彼のペースを見守っていきます。

見守るというのは、迎合するのと違います。拒否もしていくことをいいます。
こうやって、ごく個人との関係を考えていくことが、また、イラクなどの紛争の原因になっている異なるものとの付き合いを基礎になると考えることも多いです。

人は人を、理解するための努力を惜しんではいけません。わからんやっちゃ~ということも沢山あるけれど、わからんなりに、その人の行動パターン、思考パターンから、その人のクセや方法を知ることは出来ます。苦手な相手ほど、分析のしがいがあるというものです。
だからこそ、面白い。

そのときの自分の対応も考えて、愕然としたり、うまくいったとおもったり、まちまちですがね。
でも、面白がろうとすれば、なんとなく気楽になれます。
障害は、たいへんな不便さを伴うときも多々ありますが、そのなかにも気楽で優雅な部分もあるのはずです。

知るためには、直接あって、楽しんでください。いろんな人や物事に。ね。

2004年05月02日

同じひとつの命

夕方になって、薄ら寒くなってきた。

子供の友人の死を知る。まだ20歳である。原付バイクでの死。たいがい、家族にも恵まれず、ひとりけなげに生きてきたそんな、一人の青年の死を知るとき、命のはかなさを知る。

あたりまえの平和(という日常)。本当は、自分にとって平和な生活があると感じているに過ぎないが、その中にある、これまたあたりまえの「生」。いつもあって当たり前のもの。

その時間の流れが急に断絶する。ぷつん。終わるとはおもえないものがおわると、拍子抜けする、その後に喪失感がおしよせてくる。

こんな風に一つの身近な命はちゃんと、人を揺り動かし、生の意味を問う。

のに。イラクの空のした。イラク人とアメリカ兵、その他の国からやってきた兵隊。毎日カウントがその命の重さだ。

HPのカウンターが一つ動くように、一つ死ぬということ。

そんなバカなことはないはずだ。
アメリカのTVが戦死した兵士の名前と写真をすべて放送した。政府からクレームがついたが
放送は行われた。

数が人間の生身になるとき、想像がつかないほど死が重くのしかかってくる。

ファルージャから米軍は徐々に撤退をしていく。

でも失われたものはもう、返らない。

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2004年05月03日

高槻ジャズストリート

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TOKU@高槻ジャズストリート
本日は、気分を変えて、高槻まで足を運んだ。
今日と明日の2日間、高槻の町はあちらこちらでジャスバンドのサウンドが響いている。

実は、初めて訪れた。6年目というから、この一大イベントをよく続けてきたと、頭の下がる思いである。以前も、アメリカのミネアポリスで夏の音楽ウィークには、公演やちょっとした広場、街角、ホールで、クラッシックもふくめ、あちこちで演奏する風景を見た。

解放感のある音楽の楽しみ方。音楽があふれる幸せ。町並みが、ちと狭いが、でも、ジャズを堪能できて幸せだ。

たまたま、市民球場でスペシャルバンドの時間に居合わせた。このジャズストリートのメインゲストが、現れた。TOKU(flh)Ed Jones(T.sax.S.sax)Gray Tate(dr.)そしてピアノとベースのバンド。暑すぎず、涼しい風ふくなか、さわやかに聞くことが出来た。

良く、昔、万博公演でLIVE UNDER THE SKYというジャズイベントをやっていて、その日はお祭り広場の中は有料なので、そとの小高いところに陣取って、在りし日のマイルスデイビスを楽しませてもらったりした。

夏に向けて野外コンサートの絶好の季節だ。あちこちで気軽に聞ける音楽祭りをもっともっとやってほしいな。

2004年05月04日

憲法記念日

雨がよくふった。怒り、洗い流すかのような春の雨。季節を後押ししてるかのような、自然の力。

5月3日は、憲法記念の日だった。昨日は、書かなかったけれど、実はTVの討論を見たりしてつい、「つっこみ」をいれてしまう。そんな話題だった。

国立国会図書館の日本国憲法の資料がHPで公開されている、成立の概要や詳しい流れなど
この際、いい機会だからゆっくり読んでみようと思う。

9条の問題に触れて、いろいろ意見がある。改憲派は、自衛隊が憲法違反だからといういう理由や、現行憲法で解釈をいろいろ、曲解してまで、まげてつかわれるなら、改憲をという理由や。護憲派は、なにがなんでも守るべき。護憲派の力が弱いからいままで、守りきれなかったとか・・・・

でも、今の国会でなんでも、強行採決なんて決めてしまうのは、不安で仕方ない。選ばれたはずの議員が、わたしたちの意見などどうでもいいような様子で恐ろしい。

平和について、命に関わることについて、もっと丁寧に考えて欲しい。
大阪では、「大阪市無防備条例直接請求署名」というのを行っている。

無防備都市宣言というのは・・・・HPのQ&Aから引用

国際法に基づく無防備地域宣言は国家単位ではなく地域(自治体)単位での宣言が可能。
大阪市が攻撃されるのを防ぐだけでなく、戦争協力を拒否する手だてとなり得ます。
たとえば日本国憲法第9条に反して、日本政府が地方自治体に対して戦争協力を求めたとしても、国際法で定められた
無防備地域として大阪市はNOと言うことができるのです。
世界に向けて発する大阪市民の平和の意思表示となります。

というようなものだ。
無防備都市宣言をした都市は、攻撃をされない。
詳しくは、HPの質問を読んでみるとよい。

直接請求署名とは、大阪市の有権者の50分の1の約50000人の署名が集まれば、”非核・無防備平和都市条例”を市議会に諮(はか)ることができる。

市議会にかけなくてはいけないということになる。

平和は、じっとしていても守られないような世の中になってしまった。
実に、恐ろしいのだけど。

2004年05月06日

ちいさいコンサート

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連休は、過ぎ去った。天気をころころ変えて、友人はこの写真のすばらしい景色に自分の足で登り、触れてきた。いっつも、建物に視界をさえぎられるちいさい街の中にすんでいると、ほんとうに体が水を欲しがるように、大きな風景をもとめている自分がいる。でも、なかなか実現できないでいるんだな。

だから、映画でぐーんと景色が広がるLOTR(ロードオブザリングをこう呼ぶ)のニュージーランドの風景に引き込まれる。ついに、8月にDVD3枚組みが発売されるので、予約してしまった。

タイトルの小さいコンサートは、島之内教会でテネーシャ(カタカナでは正確ではないらしい)のソロのコンサートがあった。敬虔なクリスチャンで、黒人教会でよく歌われる、広く知られたゴスペル曲も素晴らしかった。歌い上げて、天にむかい届く思い。強い、愛の歌。

伴奏をするブッチ氏の指先を待ま間近で見ていたが、時に、賛美歌の美しさを、時に、踊り、時に、Jazzyなコードとくるくる、華麗に変わる演奏に、うっとりした。
I Love Butchである。

歌い手とピアノの2人の音楽というのは、ほんとうに息ひとつで、動いている。ほんとうに優れた、伴奏者というのは、こういう人を言うのであろう。そんな伴奏で日頃、クアイアは歌っているのである。実に贅沢な、環境。とつくづく思う。

自分が弾き手としてピアノに向かうとき、こういう奏者にはおそらく、なれないだろうが、私は、歌と一緒のピアノがやはり好きだ。歌声という楽器は、本当にすばらしいからね。

まとまりない雑記となった。
でも、音楽に向かい合える幸せを感じる。

2004年05月07日

マイケルムーア

マイケルムーアといえば、ブログよりまえの日記に「ボーリングフォーコロンバイン」の映画のことを書いた。

その映画のあと、9.11があり。相変らず、アメリカは銃をもって誰かを撃っている。
そのマイケルムーアの新作がカンヌ映画祭に出展され、世界への公開も決まっている。というろころで、北米の配給がディズニーの阻止によってダメになってしまった。

タイトルは、「華氏9.11」というそうだ。英国では、配給が決まったらしい。捨てるなんとかあれば拾うなんとかあり。だ。

マイケルムーアのサイトは、日本語版もあるが、英語版オフィシャルサイトでは、この映画の写真も載せている。昨年のアカデミー賞授賞式の”shame on you"「ブッシュよ、恥じをしれ」のビデオも観れる。

この人の本も、どくとくのキツイユーモアも「キツー」と思いつつ、好きなのだ。日本でこんなふうに首相のことをこき下ろすと、何言われるかわかったもんじゃない。よくアメリカで無事でいられるな・・・と心配もするのだけど。

日本もとても陰湿で、ストレスのはけ口のように、個人攻撃する輩がたくさんいることが、この度の人質事件であきらかになった。ネットでも、顔のみえない、ディスプレイの向かいにどんなすさんだ心の持ち主が座っているか、わからない。どちらが、テロリストなんだろうか?

ともかく、思いを書き散らしている自分も責任はあるな。宇宙にばらまく、勝手意志てなかんじだ。

2004年05月09日

mother's day


今日は街のあちこちで母の日用のカーネーションを売っていた。華やか。でも、本当にじっくり感謝をこめて、母と向き合うことがそんなにあるだろうか?自分も親になったが、自分ではまったく自分の力で生きてきているつもりなのだが、こんな自分も守ってもらわなければ生きていけない日々もあったのだ。「ありがと。おかあさん。」ネットで言ってどうすんねん。とも思うけど。

本日は、同窓会でもあった。とはいえ、学校の同窓会ではなく(これはあんまり気が進まない。苦手分野だ。)、たしか震災後にあった旧婦人会館(現クレオおおさか中央)での講座受講生と先生の約10年ぶりの交流会であった。

この講座は「障害児・者から学ぶボランティア講座」というタイトルで、大阪市大の障害児教育専門の先生である、堀智晴先生の半年間ほどつづいた講座であった。

年齢もさまざま、でも障害を持った方々と関わろうとする熱意ある人たちの集まりで、約10年ぶりの再会でも、みんなそれぞれ活動をしていた。

中でも、最高齢の90歳の方が熱く、知的障害の方々との交流を語られる姿、また、知識をもっと吸収したいとおっしゃる姿勢が本当にわたしたちに力を与えてくださる。
ご自分の子供のころの話も興味ぶかく、そういう方の言葉は残していくべきだと思う。人が生きてきた歴史というのは、実に、ユニークでどんな平凡とおもわれる人生でも、今となっては貴重な忘れられた生活スタイルであったりして、もっとお年寄りと交流することが大切だと感じた。

一つの文化。財産である。
中には、数奇な人生を送られた方もいる。そして、何よりも戦争経験者である。圧倒的に今のわたしたちにない強さもあるのではないだろうか?

こうして、現況を活き活き語り合える会というのは、いい。振り返る、思い出だけのものでなくこれからまだ続いていく関係。また、お会いできるといいな。

堀先生のお蔭で本当にいろんな事を学べた。いいきっかけをもらった。これで、人生の方向が少し変わった参加者も少なくないのではないだろうか?今も、市大で学生さんを教えておられる。ゆったりと生きよう。色んな人がこの世に一緒に暮らしていることを、わたしたちに教えてくれた。

いろんな人の立場にたてば、紛争を起こすことそのものが不可能になる。相手との関係を緩やかにしてしまうと、争う理由がなくなる。
相田みつをのことばを思い出す。
「うばい合えば足らぬ、わけ合えばあまる」

ペースを大事にしよう。と自分に言い聞かせる。

2004年05月13日

草の季節

雨が降ったり、晴れると強い日差し・・・・と夏になるまで、天気は大荒れだ。
このところ、日記をすこしサボる。連休には、書けたけれど、今は、特に今週は、草にやられている。

家は、川に面したところにある。雑草は、雨でぐんぐん育ち、晴れた日にゃ、花粉を飛ばしているらしい。
アレルギーなのである。ここに住んでいる限り逃れられない。スギやヒノキと違うのは、症状が、目、ノド、鼻と3つ同時に来るところ。

薬にぼやっとするし、気持ちがしっかりしないな。こんなこと書いてると、どっかの健食の会社や漢方のサイトから、BBSに書き込まれてしまうんだな。

このおかげで医者に年中かかると、医療費もばかにならない。アレルギーのための控除とかないのかな?とぼやきたくなる。

とそういう日々であった。なんとかしてくれ。

2004年05月20日

FAN

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このところ雨続きである。文章を書くにも、何か煮え切らないものがもんもんとありすっきりしなかった。

私は、自分の人生のなかに音楽を重要なポイントとしてもっていこうとしてきた。時たま餓えるように思うときさえある。ゴスペルを歌いだして、満たされることも多かったし、随分よい勉強をした。素晴らしいミュージシャンとの出会い。魂の奥底にある、黒人音楽のルーツは、ゴスペルであり、ゴスペルの歌詞は、単なる、JESUSへのラブソングではなく聖書の中の言葉でもある。

心の支えというのは、そういうものなのか・・・・と。福音=ゴスペル。さもありなん。

ところが、心が乖離状態になっていく。理解と信仰とは別物である。ずっとテーマでありながら
避けずに正面きってむきあってきたはずなのだが、そして、今、自分の求めるものをまた、探している。

そんな状況の時。すごく惹かれる俳優をみつけた。まだ、追っかけの最中だが。かなり充実してる自分がある。ちょっとした、ファン心理なのだが、このことが自分に、こうも大きな影響を持つとは思わなかったのだが・・・・・

以前も書いた。VIGOO MORTENSENNなのだが、言わずと知れたアラゴルンだ。LOTRファン(The Lord Of The Ring)というのは、Ringersとも呼ばれるらしく、全世界的に広くいるらしい。わたしも、Ringersであることがスタートであった。けれど、この俳優、36本も仕事をしていて、ある時期は、子育てのため・・・つまり生活のために映画にでていて、バイプレイヤーとしても秀逸の役者だった。

これは、「モーテンセン礼賛」というサイトで詳しく書いてある。

ところが、いまやもうハリウッドのセレブとなってしまい、本人がいちばん困っている。自分のもう一面の姿が絵描きであり、詩人で写真家であるのだが、忙しすぎて、大切な時間を奪われてしまう。その、アーチストとしての発言や実生活の方に非常に興味を奪われ、創作するということにたいして、自分の表現をおこなうという姿勢について、インタビューの内容などから彼に学ぶことが多かった。

実に膨大なインタビューのサイトがある。興味のある人にとってはお宝サイトなのだ。
「ヴィゴモーテンセン 翻訳アーカイブ」というサイト。同い年ということもあるのかもしれないし、同じ年に生れているが、育ったところがアジアとヨーロッパや南米、NYなどという俳優と共有できることは少ない。

しかし、時代感というのはなんとなくある。そういう風にこの人をたどっていくと、ふつふつと勇気のようなものが湧いてきた。そろそろ、変わり目だな。私は、変化が好きだ。それは、飽きっぽいとかいうのとちょっとニュアンスが違うと思うのだが、変わっていくわくわく感にすこし元気になり、たくさん考えた。

身の回りをみわたして、また、整理しないといけないことが増えた。変化するためにね。
最近不思議な植物を調律のお客さんからもらった。また、写真を今度UPしようと思うが、葉っぱの先から新しい芽がでてきて、葉っぱがもげて土に落ちると、新しい芽から根が出てくる。
いくらでも増えるのだ。生命力のある、植物。

この植物みたいに、自分の一部分をはがれ落としてあたらしい自分をまた創り直そう。
Thank You VIGOO!

2004年05月24日

Unchain my heart

TLORでビルボが言う言葉に、「だんだん自分がうすっぺらく、引き伸ばされている気がする」
というようなものがあったのを思い出した。

これは、指輪保持者となって寿命が本来より伸びていることについて、うすっぺらになって、生きつかれている気持ちをあらわしているが、よく、だんだん一年の過ぎ去るのが速くなっていくという良く聞く言葉となんだか重なって思える。

人は、なににも本当はつなぎとめられていない。だが、Eフロムの言うように、「自由からの逃走」を人間はこころみるからか、制約を好む。

フロムと出会ったのは高校生の時。むさぼり読んで、社会心理学ごっこで遊んだ。一人でね。

いまも続きをやっているようなのだが、そうそう、人はまるでchainでつなぎとめられた奴隷のようなものだと思う。

そのchainは、自分のこころにある。自由を不自由にするのも自分、リリースするのも自分。
神様の仕事じゃないの?そう、神様でもある。
その人のぬし=主=LORDが存在すれば。それは、茨の冠を被ったイエスであるかも知れない。

あるいは、他の神
あるいは、脳内物質

夏に向かうこのごろ、車に乗って仕事にむかう途中で、びんびん音楽が入ってくるのだ。
素晴らしい音が、まぶしい風景とともに通り過ぎていき、というよりは、自分の体の中をとおっていく、そんな時。

Uncain My Heart
わたしは自由。と思う。70年代ウッドストック気分

2004年05月25日

うきよばなれ

感性のほうでいろいろ、びんびん来ている毎日なのだけど、いまいち体調は良くない。

恒例のカヤ系植物の花粉のおかげである。
アレルギーと付き合いだして、はやめに対応するように心がけているのだけど、この草のヤツときたら、なかなか薬の強さをUPさせないと、どんどん遣られてしまう。

なので、薬をつよくすると、へろへろになる。
ノドもからからになる。

仕事をしてるときは、しっかりやれるのだけど、家に帰り着き、パソコンを使ってコード書きをはじめたとたんに、Ebm7やらBbm7やらが繰り返されてきて、いつのまにか眠ってしまってた。
けダル=。

なので、しっかり生きてない気がする。ふわふわと。

ことに、このところ、お客さんとのおしゃべりが多い。何年か行ってて友達感覚になってるからだけど、1年にいちど、あえて嬉しい。やっぱり、日曜日だらけだな。気楽や。

2004年05月29日

またひとつの

またひとつの

つちくれのなかで
流れ出た赤を追って
痛さを思い出す

ためいきのように
生きたものは
深い記憶のなかに
沈み落ち

遠くの激しい土煙に
むせた呼吸は
生を止められた

ちかくのひとつ
とおくのひとつ
無数のそれぞれのひとつ

日や月や星や天気のように
うけいれられない
死出の旅

2004.5.29.18.52


※イラクでの2人のジャーナリストの死と友人の家族であるネコの死を悼んで

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