2011年07月30日
NHKBS1「オキナワ リポート ~兵士をむしばむ戦争神経症~」
『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知ってること―沖縄・米軍基地観光ガイド』書籍情報社刊
BSの「オキナワリポート」を見た。
沖縄戦で、PTSDという言葉もまだなかったとき、米兵がどんどん神経症になっていく状況に、米軍は前線に精神科医を送った。その時に記録された症状がオキナワレポートだった。
先日、アブチラガマでつらいつらい66年前の沖縄戦の悲惨さ語ってくれたオジイやオバアのことを聞いた。蘇る臭いや空気、音に思い出すのもつらく、苦しい。忘れたいけれど、その時になくなった多くの人や傷ついた人のために語り継がねばならないと、重い言葉を伝えてくれたと。
その時に兵隊も、一般の人たちもみな傷つき、誰一人として良いことはなかった。戦争とはこのようなものだと語ってくれたという。
このドキュメントでは、その様なガマを掘り、米兵に見えない敵と言わしめた奇襲が、米兵に神経症を患わせた原因となったと伝える。常に狙われている恐怖感。どこから狙われるかわからない。その上、15歳から召集された少年達が自爆攻撃を仕掛けてくる。ガマを火炎放射で焼き、逃げ出てくる一般の民衆、もうわけがわからなくなり、誰でも赤ん坊でも殺してしまったと証言する、元米兵がいた。
沖縄戦で戦った生き残りの元米兵たちは、重い口を開いた。本当に辛い闘いであったと。ヨーロッパでは経験したことのない、いやらしい戦術に精神的に追い詰められた米兵達。凄惨を極めた沖縄戦は、日米どちらにも大きな傷を残しているとわかる。
そこから、現代に転じて、今のイラクやアフガンに従軍中にPTSDになった兵士たちは、一旦軍の病院に送られ、再度、克服するための訓練を受ける。その映像は衝撃的だった。傷だらけの兵士(仲間)の人形、傷ついた肉体の一部を再現したものなどを置いたくらい部屋に照明を部分的に当て、もう一度その中で体験をさせる訓練。
あるいは、シュミレーションゲームを使い、脳波の状態を確かめ、正常とみなされた行動をとれば戦場に再度送られるという仕組み。
これを見ていると、彼らはもう人間ではない。戦場で機能しないプログラムの破綻がみつかれば、国の工場に返され再プログラムされる。人間として壊れるまで、繰り返すのだろうか?
一方で、イラク帰還兵たちが入院する精神病棟では、治療プログラムが行われていた。沖縄戦とイラク・アフガンのPTSDは似ているという。自爆攻撃でどこで車が爆発するかわからないという追い詰められれた状況がそうさせる。
この凄惨な戦いのあったシュガーローフは、先日の写真にある。
那覇の繁華街も激戦の跡。
車で辺野古の後に普天間基地が見渡せる道の駅に立ち寄った。
那覇まで帰る道は、米兵の基地から出る車と何台も並んで走った。どこまで行っても、横に基地がある。どこまで走っても終らない。時々、かわいい家々が並んでいる。
オキナワに行ったら、是非基地を見てください。写真の本は、辺野古で買いました。
どうやって、そこにいけるか、丁寧に書いています。そして、米軍の戦争の出発の地でもある沖縄を見てきてください。
投稿者 pianocraft : 2011年07月30日 16:21
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