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2009年01月23日
1300人の虐殺、一人の死
ガザが停戦になって、イスラエル軍の集団虐殺の事実が明らかになってきたらしい。さっき見た、報道ステーションでは、人が集められ、一度に虐殺されたり、子供が殺されたりする証言が報道されていた。1300人の無念は、つらい。けれど人の命だけでなく、残された人々から、住む所も水も医療も奪った。
イスラエルでも、反対運動をしている人がいることも事実だし、イスラエル人全てを悪魔のように思うわけではない。けれど、イスラエルという国は、大きな間違いを犯した。
私の身内にがんと闘っていた人物いた。1300人の悲しみに比較ができないが、私には大きすぎる死だった。余命宣告を聞いて、「闘って、生き抜いて」と願いつづけた。けれど、がんの進行は恐ろしい勢いであっという間に、自由を奪い、痛みを与えた。強い薬で朦朧としながらも、闘い、年末には、皮肉の1つも言える状態が、年を越して急激に危ない状況となった。
私の悲しみは、もっとも側で看病していた人の無念に比べようもないと自分の情けなさに、カツを入れようとするのだが、蘇る表情や言葉、最後に言った「また、くるね。」の言葉がぐるぐるめぐる。
色んな思いを複雑に感じる。
人は、その人との関わりの中でのみ、その人の中で生き、死と共に封印される。
実は、いろんな面や、言葉や表情で生きているのに、知らない面が沢山ある。無宗教の葬儀で、僧侶もいない、読経もない、知らない人もいない。棺をかこんで近しいものだけが語り合うゆったりとした会葬で、そんな故人の知らない面をしった。私の中だけでなく、いろんな人の中でずっと、生き続けてね。
こんなに手厚く、思いをこめて、送られることは、幸せなことなのだろう。
まだ、瓦礫の下で閉じ込められているガザの人の無念を思う。
投稿者 pianocraft : 2009年01月23日 22:26
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コメント
pianocraftさん、こんばんは。
生老病死は、人間のこの世での4種の苦悩と言われ避けることのできないものですが、なかなか感情的に受け入れることができにくいですし、余りに不条理と感じられることも多いです。
身近な人の死も時がたてばえぐられるような悲しみは薄れますが、その人への思いは消え去ることはありませんね。
それにしても、「死」というのは正体が理解できないし恐ろしいし悲しいです。
一人でも多くの人が老衰といった自然死で生を終えることができる社会であることを強く望みます。
ちっとも存じ上げない方ではありますが、pianocraftさんの大切な方のご冥福をお祈りします。
ガザで亡くなられた方たちは、さらにただ「どうぞ安らかに」と祈るだけでは決してその無念さは晴れることはないでしょうね。虐殺そのものだったように思います。
ご紹介いただいていた19日のガザに関する集会、是非に、と思っていたのに行けなかったのがとても心残りです。
投稿者 りん : 2009年01月26日 17:57
りんさん。
お心遣いありがとうございます。
19日は、ガザの集会の日だったのですが、葬儀のために老親を連れて横浜へ旅立ちました。
思いを残さないように、生かされているものは、しっかり生きないといけないと、再び思いました。
投稿者 pianocraft : 2009年01月26日 21:46